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67.点火

 わずかに時は遡る。


 刻々と冷えゆく王者の上、カラスナは憤怒滾る視線を花子へと突きつけ、問うた。

「なにを聞けと?」

 花子は表情を消した顔を直ぐに彼女へと向け、答える。

「ここへ来るまでの間に考えたんだよ。呪師の呪を壊す方法をね」

 玲瓏なる竜魔は史上最高の魔術師だ。

 その彼女が王者を復活させる考えたのだとすれば。

「その術はいったい」

 されど花子はかぶりつく勢いで迫るカラスナを竜化させた手で押し戻し、

「後輩くんの体の中へ詰まった呪を壊すには体ごと消し飛ばすしかない。あたしの術なら簡単だよ。でも、その結果どうなるか。わかるだろう?」

 確かにわかりきってはいた。

 無から有を生み出すことなどできはしない。消滅した肉体を再生することなど、それこそこの世界の頂にある竜でもない限り果たせようはずがない。


「王者殿を、救うことは、かなわない」

 カラスナの膝から力が抜けて、すとん。床へと落ちた。

 彼は絶対に「生きる」と言う。それを救えぬ現実を突きつけられた自分は、信じ難いことながらおそろしく打ちのめされているようで。

 好意など欠片ほどもない相手であるはずなのに……いや、エルバダの守護者を喪うことがただただ恐いだけなのか。そう、そうだ。そのはずなのだ。そのはず、なのに。

 血の気を失くした顔を振り、激しく両手を揉み絞るよりないのはなぜなのか。


 室を押し詰める絶望は刻々と重さをいや増し、王女へとのしかかっては押しつける。

 されど花子は彼女を慰めるどころか突き放す強さで言い放ったのだ。


「救えるさ。今、呪は後輩くんの心臓に集まってるからね」


 反射的に叫び返しかけたカラスナだったが、

 まさに竜魔が述べた通り、義人を侵している呪は心臓に集結している。心臓を壊せば呪は拠り所を失い、霧散するだろう。

 だがしかし。

 心臓を壊せば当然、王者は死ぬ。

 それでもカラスナが己を押し止めたわけは、発言したのが花子だからだ。

 最低でも数百年を生き、今なお世界最高の魔術師と謳われる『玲瓏なる竜魔』ならば、己のような凡俗には奇蹟としか見えぬようなわざを成せるのでは――

「王者殿を、本当に呼び戻せるものと?」

 恐る恐る問うた彼女へ、竜魔は顰め面をもって答えた。

「あたしがひとりでやったら心臓が粉々になって終いだよ。だからここにいたんだろう?」

 応えたものはカラスナならぬ今一匹、いや、ひとりであった。

「結果的には」


 今の今まで黒犬であったはずのものが人型を成す。

 髪、肌、瞳、そしてまとう衣までも、夜陰をそのままに切り出してきたかのように黒き細身。

 義人の命を狙って夜陰を進み来た刺客どもを叩き帰してきた、あの女に間違いない。

 そして。

 数多の物語に語られてきた“ぬばたまの閃牙”、その一形態たる人のさまであったのだ。


「呪師がいるって気づいていたんだろうに、どうして殺さなかった? 君だって王者の一行だ。傀儡と同じ道具扱いでやれたはずだろう」

 閃牙の知覚は埒外だ。いかに呪師がうまく隠れていたとて、この場に在ること程度はすぐに察せられただろう。加えて尋常ならざる術耐性を備えた彼女であれば、たとえ呪を受けたとしても歩を鈍らせることなく呪師を屠れたはず。

 だというのにただ居続けるばかりで、さらには呪師の凶行までもを見過ごした理由はいったいなんだというのか。

「バカが怒る」

 それ以上語るつもりはないらしいが、背に結びつけた薄青い包み――義人の病衣の角度を慎重に直す様から、付き合いばかりはそこそこ長い花子には犬の真意が見て取れる。


 黒き魔獣は、恩義という名の契約によって初代の遺志に縛られてきた。

 恩義とはいえ、別になにかしらの情が通ったものではない。彼女の都合を初代が請け負い、代わりとして犬は彼に同行した。ただそればかりの関係性。

 故に初代は犬とまるで親しみはしなかったし、犬もまた彼に一切構わなかった。

 最後の最後、初代が竜との約束を果たすそのときまで、両者が交わることはないのだろうと、花子は思っていたのだが……結局約束は果たされず、歪められた契約のせいで、犬は遺された手の後継者が現れるまでの番を請け負わされたのだ。


 そんな魔獣が、この単純バカのことを殊の外気に入っている。それこそ怒られるかもしれぬというだけで呪師への手出しを控えるほどに。

 理由は、なんとなしに知れた。

 墓場のようなあの場所で相対した犬に、義人が嘘をつかなかったから。

 そして愛想も愛嬌もけして見せはせぬ彼女のことを、けして放っておかないから。

 たったそれだけのことで、彼女はどうにもならないほど掬われてしまったのだ。

 とどのつまり、犬が血を失い過ぎて死にかけた義人を眷属にしなかったのは、「バカ」と上下で縛られる関係になることを避けた。ただそれだけの事情なのだろう。


 犬は絶対に認めないだろうけどね。

 でも、結局あたしも同じなんだ。

 まあ、これ以上はやめておこうか。あたしみたいな狡い嘘つきが通すべき筋は、狡く嘘をつき続けることだしね。


 花子はその思いを腹の底へと押し戻した後、皮肉な笑みを犬へと向けた。

「けなげだねぇ」

 犬は漆黒の仏頂面へ目に見えるほどの嫌悪を滾らせたが、なにも言わず。義人の上へと跨がった。

 幸いにして刺客撃退を人形態でこなしてきたことで、力加減には自信がある。けしてしくじりはしない。

「握れ」

 うなずいた花子は犬の右横から義人の胸元へ竜の右手の先をあてがい、カラスナを返り見る。

「というわけだ。犬が後輩くんの心臓を壊す。あたしはそれが飛び散らないように握っておくから、王女様、君が治せ」

 できるか? 目で問われたカラスナは、怒りの朱を緊迫の青で染め替えた顔を直ぐにもたげ、強く言い切った。

「やります」

 やってみます、ではない。

 やる。

 勝手に己をかばって勝手に死んだどうしようもない馬鹿をこの世界へ引きずり戻し、死ぬほど責め立ててやらなければならない。

 それをするために、1拍を数えるよりも迅く癒やしてその上で、

「60拍の内に立たせて送り出して差し上げますから!」


 花子と向き合う形で義人の左脇についたカラスナが両手の爪先を彼の胸元へとあてがった。

「いつなりと!」

 その言葉を受けた花子が竜化させた手の爪先を義人の胸元へと突き立て、すぶり。いかなる術を駆使しているものか、肉を押し分け、胸骨をすり抜けて、その奥にある心臓を握り込んだ。

 今なおそこに押し詰まり、死をすら穢さんと蠢き続ける凄絶な呪へ直接触れていながら、彼女は顔色ひとつ変えはしない。竜魔の力によるものなのか、ただのやせ我慢なのか、端から知る術はなかったが、ともあれ。

 竜魔と王女が同時に犬を仰ぎ見る。


 相変わらずの仏頂面から窺い知れるものはなかったが、実際のところ、犬に複雑な思考や心境などというものなどありはしない。

 あるものはただ「早く動けバカ」。たったそれだけの願い。

 故にこそ迷わない。

 黒き渾身により黒き黒を沸き立たせ、右手へ集約させた、次の瞬間。

 黒滾る掌打が義人の胸を打ち抜いた。


 心臓が爆ぜ砕け、義人の身がびぐりと跳ね上がる。

 たった今、彼は完全に死んだ。

 されども。

 それでも。


 死んだままでなどいさせませんよ!!

 カラスナは王者の冷えた胸の奥の奥まで10の爪を刺し通し、繰り繰り繰る。

 竜手の内に握り込まれ、握り留められた心臓の断片は数百、あるいは数千にも及ぼう。

 だからとて構うものか。

 親指で掻き集め、小指で押さえ込んで薬指で押し込んで、中指と人差し指とで繋ぐ。

 それを指先の感覚と感触ばかりで為すなど、人の域を超えたわざと表すよりあるまい。

 なれど、己が起こしつつある奇蹟に彼女は気づかない。気づかぬままに己を一層急かす。王者の心臓が溢れ出してしまうよりも早く速く迅く!

 いや、爆ぜて溢れ出るなら溢れ出ればいい。

 それをすべて掻き集める。掻き集めて縫い、縫いながら掻き集め、繋いで癒やすだけのこと。


 ――闘いなさい!!

 どれほど戦場で役に立たなさげでも、どれほど単純でおつむがよろしくなかろうと、誰よりあたくしを苛立たせるのだとしても! あなたはそれしかできないのでしょう!?

 ならば、あなたの筋を通しなさい!

 あたくしはあたくしの筋を通し、あなたにあなたを全うさせて差し上げます!!


 カラスナの神懸かったわざによって縫い繋がれていく後輩の心臓、その有り様を手の内に感じながら、花子もまた思う。

 ここで生き返れても、君は君のせいでこれからも酷い目に合い続けるだろう。君にとっての異世界はただの生き地獄だよ。

 だけど。

 いろいろ迷ってはいるけど、あたしは君を信じたんだ。君にはその義理を立てる義務がある。そうだろう?

 だから、地獄より辛い生き地獄に還ってこい。

 君が全うする君をあたしに、竜に、見せてみろ。


「動かせ」

 告げた犬が跳び退くに合わせ、カラスナもまた爪を引き抜き転がり離れる。

 握るはそう、竜魔の役目だから。

「起きろ後輩くん」

 魔力の灼熱を燃え立たせた花子の手が義人の心臓をやさしく握り締めた。

 魔力が火薬カートリッジさながら、力尽くで“エンジン”を起動させる。それに合わせて開かれた手の内、強く跳ねたそれは果たして――


 どぐん。


 義人の背が床へと落ち、跳ね返った。


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