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72.終戦

「覚悟していただきます」

 ウェービーな赤髪をライオンの鬣さながらぶわりと浮き立たせるカラスナの迫力は、まさにライオンめいた代物だ。

 が、それよりもなによりも。

 下手に動くとトランクスを毟り取られてしまいそうで、義人は両脚を内股にすくめて花子へ助けを求めるよりない。

「先輩なんか俺アタクシにウザがらみされてんすけど?」

 が、誰より頼れる至高の先輩は生あたたかなアルカイックスマイルをうなずかせ、そっと半歩後じさったあげくに言ったものだ。

「とうとう後輩くんにもモテ期到来だねぇ」

「ぐう」

 犬が不満なのはバカが身分不相応にもてているかもしれないことへなのか、バカを気にする女の出現に対するものなのか、はたまた帰る足を止められたことなのか。

 よくわからないながら、別に割って入ってくれる様子はなかった。


「ちょ、助けてくださいって! マジでガチで!」

「どなたにも救わせはいたしませんよ。それではあたくしの筋が通りませんから」

「王女に見初められるなんて光栄じゃないか。介護アルバイターから閣下様とか夢あるねぇ。あ、女王とくっついたら王配様だし、そっちのほうがあたしとしては都合いいなぁ」

「ぐうう」

「そのような筋違い、あたくしはけして許しません!」

「いや俺、女子とお付き合いとか、そーゆー気ぜんっぜんねーんすけど」

「え? まさか……まさか兄様を!?」

「ああ、まあ、王子はねぇ、絶世の美人だし? しょうがないかな、うん」

「わん」

「あーもーなんかよくわかんねーんすけど全部ちげーっす!!」




 王者一行がどうしようもない揉めごとを勃発させた頃、王城でもひとつの騒動が終結を向かえようとしていた。


「ふん」

 鼻をひとつ鳴らした北端侯が鞘へ納めたままの愛剣をはしらせれば、脇を打たれた男がもんどりうって噴き飛び、壁へ激突。べぎごぎと肋がへし折れる騒がしい音を鳴らしながらずり落ちる。

「これで終いか」

 と、主の邪魔とならぬよう引いていた北端の士たちが敬礼で肯定を示し、意識を失った男を速やかに縛り上げた。


 今、広間の端に拘束され、転がされている男女の数は30余り。すべてが長耳を整形し、人となりすまして王城へ潜んでいたエルフである。

 そこへ加えられたもうひとりを見送ることなく、北端侯は治癒の陣へ力を注ぎ続ける女王の前へ歩み寄り、膝をついた。

「侵入しておりました森の輩はもれなく捕縛いたしましてございます」

「苦労をかけました」

 そればかりを返した女王だが、ここまでに演じられ来た騒動は相当なものだった。




 エルフの挑戦の裏、あるいは表で進行していたものは、事もあろうか王都侵攻である。

 とはいえ、総攻撃というような代物ではない。呪師の男性ばかりを呪う術式が充分に都を侵したそのとき、使用人として、あるいは患者を装い城内へ侵入していたエルフの工作員が女王殺害を実行したのだ。

 男は皆倒れ、女は介抱に手を取られたこの状況、為す術などあろうものか。かくて虚を突いた鬼手はかならずや女王を討ち、王都を森のものとする。そのはずだったのだが。

 この場に伏していた北端の強者どもがその初手を抑え、さらには場外へ出ていたはずの北端侯が疾風がごとくに戻り来て、あっさりと賊を叩き伏せて。

 王者の物語にて北端の奮迅を語ることは控えるが、最前線で鍛え抜かれた武辺に生半な技とわざとが敵おうはずはなかった。




「竜魔殿にも痛い借りを作ってしまいましたね」

 女王の言葉が指したものは、王者一行が駆け出していく直前に竜魔が北端侯へ言い残していった言葉である。


『エルフは騒ぎに乗じて女王を狙ってくるぞ』


 それこそが花子が胸中で語った保険――『50.傀儡』の冒頭部において――だったわけだが、実のところ侯自身もその可能性には気づいていた。

 エルフがこれだけの騒動を引き起こしておいてただの決闘で済ませるはずがない。影から狙ってくるならば、エルバダを陥とすもっとも簡単な手、女王殺害を狙ってこようと。

 故にこそ、運び込まれる患者、加えて患者を運び来る者たちを優秀な配下どもに監視させつつ、もっともエルフが警戒しているだろう己を一度外へ向かわせた。

 なにを差し置いてでも守るべき女王から目線を離す。斯様な一手が打てたのは、それこそ竜魔が呪師の相手を請け負ってくれたからこそだ。文献に記されているほど怜悧ではないようだが、味方ならば状況を丸投げにできる頼もしさ、強かさがあの女にはある。

 だからこそ。

「そちらは陛下ならず、告げられた儂が負うべき借りにございましょう」

 形としては託された己が借りておくべきものであろうし、借りひとつで史上最高の魔術師と縁を繋げるならば生涯恩に着せられる程度は妥協しよう。

 そればかりでなく、己が手柄を闇雲に増やせば他の有力者を煽ることとなる。尽きることない戦争だけで手いっぱいだというのに、無間地獄がごとき政争の暗がりへまで引きずり込まれてはたまったものではない。


 女王も彼の心境は十二分に察していたから、ただうなずくに留めたのであったが――ふと顔を上げ、ほろりと笑んで、

「この地を穢す呪が和らぎ始めました。王者殿が呪師を討ち破られたのですね」

 声音こそ落ち着いたものだが、身より迸る治癒の力はおそろしいまでに浮き立っていて……これまでほとんどの者に知りようがなかった女王の乙女心、ダダ漏れである。

 こうとなれば、北端侯が取るべき行動はただひとつ。

「……陛下、恐れながら今より少々泣きわめいても?」

「けして許しませんが!?」

 それはさておいて。


 王城の地階にある牢へと運ばれていくエルフを見送るともなく見やりつつ、女王が言った。

「殺さずを貫くが王者殿の示された新たな掟。我らもまたをそれを果たしましょう。あくまで王者殿と挑戦者の決闘、その内の騒ぎなのですから」

 北端侯は、王者登城までの硬く冷ややかな有り様からまるで変わり果て、柔らかな風情をまとうに至った彼女へ一礼を返す。


 柔らかく見えるのは、女王が弁えたからこそだ。

 エルバダはこの地において最大勢力であり、王都のみの戦力ですら森の民の総力の数十倍へ達しよう。そこへ北端の士と侯の指揮とを加えたなら、圧倒的勝利を獲られることは確実である。

 されど、9割9分まで狩れたとしても、森の深みへ隠れ潜んだ1いちぶを狩り尽くすことなどできようはずがない。いかな精兵であれ知らぬ地で十全に動けはせぬし、どれほどの数が残っているか知れぬ敵のため、補給線を維持し続ける予算と手間は甚大な被害を国へもたらすこととなる。

 殲滅できぬならば、代わりに要らぬ怨恨を育ませずに済む一手をこそ打つべきだ。

 と、今になれば思い至るわけだが、北侵を企てたわずか数日前なら、たとえ同じく思い至ったとて女王は認めることなく押し進めたはず。

 そう。あのとき王者に叱られていなかったなら、今も――


「憚りながら陛下ぁ! 陛下がなさってはならぬお顔をされておられますぞぉ!」

 割り込んできたのは北端侯の、悋気りんきを丸出しにした濁声。

 正気を取り戻した女王は咳払い、あわてて表情を整えた。

 しかして気を取り直して。


「森は如何様に囀りますかな?」

「一部の逸りと訴えてくるでしょうね」

 総力を持って攻め込んでこなかったわけは、それこそエルフ側の保険であったはず。

 心ない一派が暴走し、決闘に乗じて事を起こした。それは森の総意ならず、森もまた思わぬ事態に困惑している――女王殺害を果たせなかった際、言い張れるように。

「思えばあれ《・・》も仕込みの一環であったのでしょうな」

 5年前、北端侯が巻き込まれることとなったエルフとゴブリンの抗争。

 閉鎖的なエルフがあえて彼に助けを求めたのは、彼らが人間に及ばぬ弱きものであり、友好的な存在であることを印象づけたいばかりのことではなかったか。

 そうとなれば、ゴブリンに襲撃されたのでなく、襲撃させるよう仕向けた可能性もあるわけだが、それにしてもだ。


「とまれわたくしたちは今成すべきを為す、そればかりのことです」

 女王は文官を呼び、取り急ぎエルバダが王者の掟を遵守したことを喧伝するよう指示を出す。

 周囲の異種へ王者の勝利を伝え、さらにはエルバダが王者の傍らにあるものと――言い換えるなら、王者はあくまでも人間を代表するものであるものと――強調するために。

「当然、森へも相応の代償を求めましょう。支払っていただければよし、支払っていただけずとも、それはそれで」

 対価を得るか、あるいは恩を売るか労を課すか。いずれを得たとて騒動に巻き込まれた民への補償に足りるものとは成り得まいが、政治的には程よい落としどころが得られよう。と、思うよりないのはなんとも歯がゆいことではあるのだが。

「厄介事は増えこそすれ、なかなかに減ってはくれませぬな」

「ええ、本当に」

 女王は広間の向こうを透かし見るように目をすがめ、ほろりと唱える。

「けれどその前に、王者殿の凱旋を迎えなければ。あの方が守ってくださったこの国の統治者として心より――」

「陛下。恐れながらその際にこそ少々泣きわめいても?」

「よろしくありませんよ!?」


 これよりエルバダは森との落としどころを探り、延々とつまらぬ駆け引きを繰り広げることとなろう。

 だが今は、今ばかりは、誰ひとり命を損なうことのない終幕に安堵し、王者の勝利を喜び讃えるのだ。


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