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76.暴挙

「セルファン・オ・ラケシーザ・エルバダ、王者殿へ挑戦いたす」


 それを聞いた義人は目をしばたたき、なにかを考え込んで、顔を上げて。

「どゆことっすか?」

 昭和のコントなら出演者全員がズッコケてみせるところだが、幸いにか不幸にか、異世界の王女は『やはりこの方はおつむりが!』と慄き、王子はごく生真面目な表情で言い直した。

「ヨシト氏、僕とタイマンをしてください」

「押忍」

 今度は即答である。


 王者殿、ご理解されておられるのですか!? 兄様はあなたに剣を向けられると、そう告げておられるのですよ!?

 カラスナは見開いた両目を言い切った王者と強くうなずいた兄との間で往復させ、はたと思い至った顔になる。そうか、そういうことか。

「兄様、お戯れが過ぎます。王者殿がなにもかもをに受けられる方とご承知でしょう?」

「戯れではない。これはマジのガチだ」

 期待を打ち砕いた美しき兄へ食ってかかろうとしたカラスナに構わず、義人は気軽な調子で彼へ問うた。

「いつやるっすか?」

「10日後に宴が催されること、聞かれていますか?」




 宴とは二代めの王者がゴブリンの勇者より勝ち取った勝利を祝うためのもので、当人である義人は女王から直接聞かされていた。


あわつかではありましょうが、何卒汲んでいただけましたら』

 女王の憂い顔へ義人は『なんかよくわかんねっすけどうまいことやるっす』といつもの調子で答えておいて、深刻な表情を花子へ振り向ける。

『先輩俺実は女王様の』

『みなまで言うな。君は戦勝パーティーとか興味がないだろうってさ』

 単語の説明を省き、噛み砕いて説いてやれば、義人はぱかり、口を開いて、

『……俺、マジでキョーミねっすわ』

 そうだろうとも。君は君でいるためのルーティン以外、どうだっていいんだからね。

 でもまあ、君はちゃんと王者の役どころを務めることになるだろうさ。

『女王が王者の勝利をエルバダの貴族どもへアピールすれば、彼女の悩み事はいくらか減る。それだけじゃない、麗しの王子ももう少し楽に息ができるようになるだろう』

 細かな話は省くとして、王家が王者という、エルバダにとって唯一絶対の象徴を抱えている事実は、政治的に大きな意味合いを持つ。

 ましてやこの対呪師戦、結果的にとはいえ国内最大武力たる北端が女王の熱烈なる支持者であることが知れ渡ったのだ。女王派であればより太い縁を結ぶがため、反女王派であればとりあえずの時間稼ぎに、駆けつけざるを得ない。

 とまれ女王派の勢力が増すことは必定。そうなれば王子をあからさまに侮る輩も王城――というか、政治の中心――から距離を取ることを強いられ、後には胸中で侮る輩ばかりが残る。

 結果、表面上ながらセルファンにとっては平和な時が訪れようというわけだ。


 花子の説明に、義人は「がんばって考えてまっす顔」を、いかにも頭がよくなさそうな調子で揺らめかせ、はたと静止。

『やっぱよくわかんねっすけど、セルさんいい感じになんならキョーミ出すっす』

 うぅん、それは正解なんだけど。女王的には不正解なんだよなぁ。

 向こう側でひとつの期待が打ち砕かれた気配を感じつつ、花子はそっと息をついたものだが、とりあえず宴に王者が出席しない危機は回避され、遠目に見れば八方丸く収まった。

 そのはずだったのに。

 王子が言い出したタイマンが、竜魔の見立てを盤駒共々打ち壊し、微塵に砕いた。




 そんな顛末を当然思い出しもせず、義人はうなずいた。

「押忍。俺もアイサツさしてもらうっす」

 彼の顔にとまどいはない。疑問も敵意も悪意もなにひとつ含めぬまま、本当の本気で受け止め、直ぐに打ち返すのだ。

 対するセルファンもまた真っ向から王者の声音を受け止め、言葉を継ぐ。

「その日、城の正門前で大事に巻き込まれた民を慰めるいちが催されます。場を用意しましたので、そこで」

「押忍」

「ありがとうございます。では、僕はここで一旦失礼を」

 あっさりと話を決め、あっさりと踵を返したセルファン。カラスナはその衣の裾にあわてて爪先を引っかけ、追いすがった。

「お待ちください兄様!! いったいなにを考えておられるのですか!?」


 死闘の後も治癒を続け、王者の身は完全に癒やした。

 だが、傷さえ癒えればそれでいいなどということはありえない。時をかけ、心身の底へ溜まった疲労を抜いてやらなければ、人間は十全に機能できはしないのだ。

 いやそんなことよりも。

 セルファンはこの国きっての王者狂であり、現王者の信奉者であるはず。それが突然反旗を翻すなど、いったいなにがどうしたというのか?


「そうといえば夕食はカラスナが手配をしてくれるのだったな。私も楽しみにしているよ」

「敵である王者殿と卓を囲まれると!?」

 兄の暢気な顔に苛立ち、言外に含めていた問いをつい口にしてしまうカラスナだったが。

「当然だろう。私にとってヨシト氏と過ごす時はかけがえのないものなのだから」

 打ち込みに戻った義人が響かせる快音に耳を傾け、

「うん、やはりヨシト氏の拳打は強く鋭い。私の歯はいくつ残ることやら」

 摘ままれた裾に構わず歩き出す。




 後をついていきながら、カラスナは眼前にある兄を睨みつけるよりなかった。

 兄の背はいつからこうも直ぐに伸ばされるようになった? いつ見ても先代王者の文献へのしかかるように丸められているか、あるいは誰にも見とがめられぬよう縮こまっているかであったはずなのに。

 しかし、まず晴らすべき疑念は兄の暴挙についてだ。

「王者殿へ挑まれた経緯いきさつ、あたくしにも解せるようご説明を」


 セルファンは妹の強情を解している。納得するまで裾を放してはくれまいことも。

 故にやれやれと息をつき、ささやくように説いた。

「私は1年の間、北端へ行く」

 北端!?

 彼の地は、つまるところ戦場だ。エルバダを狙う異種や異形との戦が無間に続く最前線であり、そこでしか生きられぬような狂える奴原でなくば息ひとつ満足にできはせぬ、濁りきった地獄。

 斯様な地へ行くとなれば、つまり。

「もしや、戦場へ、出られる、と?」

「そのつもりだよ」

 事もなげに答えた兄へ、うろたえながらも問いを重ねる。

「なぜ――兄様は有事の備え、だのに、よりにもよって」

「ああ、それは」


 口を開きかけたセルファンの脇より、カラスナのよく知る声音がすり抜けてきた。

「私にしても、子ばかりを授けていただければと思っていたのだが」

 そうか。なぜ父が指揮を他者へ預けて王都へまで出てきたものか……彼になぜ“彼女”が付き添ってきたものか。すべてが知れた。

「姉様が、兄様とご婚儀を」

 すると。口の端を上げてみせた礼服姿の女性が王子の脇へ進み出て、目礼を返し来る。

「私ならば王家の血を濁すこともないからな」


 美しさよりも涼やかさをよく映す女性の名は、ヒルドナ・ジョルオ・ゼブ・ニーオ・マノド。

 3年前にカラスナの姉として侯爵家が一員に迎えられて以後、遊撃隊を率いて幾多の戦場で勝利をもぎ取ってきた指揮官であり、その青みがかった黒髪の様から“青姫”の二つ名を馳せる武人。

 ちなみに呪師戦時、治癒院へ来た兄と共にあった声の主がこのヒルドナだ。


 そも、北端侯の実子はカラスナのみであり、他の姉妹兄妹はもれなく後に迎えられた養子なのである。

 これも北端侯の女王への奇妙な純愛あればこそと言えようが、とまれカラスナにとって家族とは唐突に生え出るもの。

 故にこそ他の箱入りな聖女王候補とは違い、突然引き合わされたセルファンともそれなりに親しく付き合っているわけだ。


 ……話を戻そう。

 ともかく北端侯は他ならぬセルファンの血を次へと継がせるため、花嫁を連れてきたということなのだが、しかし。

 そうだとしてもなぜ兄が北端へ行く?


「実はな、私が縁組を蹴ったのだ」

 さらりと明かした王子が苦笑を添え、言葉を継いだ。

「が、そればかりでは侯の顔を潰すこととなる。それ故、私を迎えに出向いてもらったこととしたのだよ」

 王子に戦場を踏ませて見識を拡げさせ、よりよい王族として成長させる。いい題目ではある。

 加えて女王派の重鎮にして1年限りながら王配を務めた北端侯、その面子をエルバダが潰せようはずはない。ないのだが、だからといってこれはあまりに、乱暴すぎる。

 言葉を押し詰めて立ち尽くすカラスナへ、セルファンは穏やかな目を向けてまた言ったものだ。

「ただ身を預けるわけではない。対価はいただくさ。私が要するだけの金子をな」


 城に閉じ込められて生きてきた兄が、自立を志して傭兵紛いを演じようとしている。身分やなにやらの問題を置いておけばおかしくはない話だ。

 しかも、化粧を整えれば間違いなく傾国の美貌と成り果せようとはいえ、セルファンもまた男子。王者の背を見て己もこの手で先を拓きたいと奮うことに不思議はない。

 だがしかし。すべてを踏まえて考えてみても、女王が彼の北端行きを許した、その理由がまったくわからなくて。


 いや、ひとつだけ思い当たることがあった。

 王者狂の兄は義人にどこまでもついていきたいと願っているはず。が、到底王子に許されることではない。いっそ北端に隔離して、王都にある王者から切り離してしまえば……そう母が考えるのは当然ではあろう。

 加えて母上も王者狂の気をお持ちですからね。引き離したくはなるやもしれません。


「失礼ながら、半日で逃げ帰られることとなりそうですけれど」

 ごちゃついた思考を漏らさぬよう、努めて平らかにカラスナが述べれば、

「実は私もそれを懸念していたところでな。おまえのように戦場を知らぬ身だ。用心のため、威勢のよいことは吹き鳴らさぬよう心がけよう」

 王子はあっさりと言い返し、苦笑する。


 まだ季節ひとつも過ごしておらぬはずなのに、兄は変わり果せた。

 王者と出会ったからだということは間違いない。

 なれど妹の目――贔屓は元より一切ないので、ただの目だ――をもってしても、兄がその美貌の奥で育み始めたものは、王者狂のさがに付随するものばかりとは思えなくて。無論のこと王者狂の度合も育まれているにせよだ。


「殿下の御身は私がかならずやお守りする。その中でお考えを変えていただき、本来の務めを果たしてくださるよう力を尽くそう」

 なんともいえぬ顔で兄を見つめる妹へとヒルドナが生真面目な言葉を送れば、セルファンもまた苦笑を深めてうなずいた。

「私のお守りはさぞや骨が折れようが、よろしく頼む」

 なんにせよ、話はすでにまとまっているのだ。ここでカラスナがなにを言おうと、覆せようはずがない。

 だとすれば。

「明日はあたくしが兄様の介添かいぞえを務めます。王子が歯なしとあっては民に王家をそしられ、嗤われましょうから」

 兄が王者に勝つ目はない。

 加えて彼がなぜ王者と決闘をしなければならぬものかも知れない。

 故に、兄の側へ立ち、背中越しに見届ける。


 するとセルファンは美貌に笑みを咲かせ、

「心強いな。タイマンが終わるまでは手出し無用、と言いたいところだが、間違いなく世話をかけることになる。なにせ私が私を尽くす様、皆に見てもらわねばならぬ故」

 ふと口調を変えて言い添えた。

「僕がヨシト氏へ、本当に伝えたいことを伝えるためにも」




 これよりなにが演じられるものかを知る者は現状ひとりとてありはしない。

 いや、ただひとり――王子ばかりはすべてを知っているのだろう。

 その通りに答が合わせられるものか?

 明かされるまでに残された時は、わずか3日であったのだ。


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