移動基地を飛び出して、シェリーは翡翠の痕跡を探した。
翡翠は人混みが苦手だ。だからと言って、もう日が暮れかけている。いくら一人になりたくても、万が一ロボットに遭遇した時、助けを呼べないような場所まで、彼女が足を伸ばすだろうか。
「翡翠……翡翠っ!どこにいるの!!」
「オレが付き添ってりゃあ……」
悔しげに顔を歪める輝真から、シェリーはモモカに振り返る。
「モモカ、どうしよう、こんなのおかしい。連絡もつかないなんて、今までなかった」
「シェリー、落ち着くのです。警察は解散したですから、ヒロタ達を呼ぶのです。ギルドなら、迷子の仕事もお手のものです」
「それまで翡翠に何かあったら、どうなるの!」
「あ、シェリー!」
モモカが呼ぶのも聞かないで、シェリーは駆け出す。
点在する木々と、どこまでも続く寂しい土地。そして、隕石クレーター。
そこには人影一つない。翡翠はどこに消えたのだろう。嫌な予感ばかり、押し寄せてくる。
クレーターには、貴重な鉱物がたくさんあった。まるで宝箱のそこは警備も万全で、あれらの権限を誰が握っているのか知らないが、危険であることは確かだ。それでなくても、千年前、考古学者が亡くなっている。
「翡翠……!!翡翠ぃぃいいーーー!!」
通信状態の悪い場所にいるのだろうか。それとも、機器は何者かに取り上げられたか。
「……っ、はぁ……」
これだけは起きて欲しくない。
そう願った最悪ほど、何故、起きてしまうのか。
シェリーの人生に、少し前まで、翡翠という少女などいなかった。両親だけがシェリーの世界の中心にいて、彼らの欠けた場所を埋められるような人物など、いなかった。シェリーの全てで、決して失くしてはいけない、最愛の人達──…その両親を失えば、シェリーには何も残らなかった。
それだけ大切な存在が、翡翠に差し替わったとでも言うのか。彼女に出逢う前の自分には、もう戻れないのか。
翡翠が誰かを愛する未来など、いらない。彼女にとっての一番が、シェリーでなくなる未来など、恐ろしくて寂しくて、考えるだけで、心が押し潰されそうになる。
だが、何より避けたいのは、彼女に迫る危険だ。
「翡翠……」
会いたい。翡翠が見付かれば、他には何も望まないほど、彼女に会いたい。
その時──…
シェリーは、ともすれば踏みつけていたほど小さな何かを目に留めた。
足先に光った何かがふと気になって、身を屈める。
小さな赤い石のネックレスが落ちていた。
* * * * * *
はらはらと、天井から砂礫が降ってくる。
翡翠は頭を庇いながら、地上を歩き回るロボットから身を隠していた。
狭い地下の暗室。
ここを見付けて逃げ込んでから、もう二時間は経っている。通信機のバッテリーは満タンでも、圏外で、外に連絡がとれない。
もっとも、翡翠には、助けを呼べるあてがない。シェリーに合わせる顔もない。移動基地を抜け出して、危地を歩き回ったのも、自分の過失を対処するためだった。
寒くて怖い。
初めて生きているのが億劫になった。両親に託された願いより、思い出すのは、シェリーの顔だ。
彼女は、翡翠を見付け出してくれるだろうか。翡翠を消息不明と諦めて、輝真と次の旅路へ進むのか。
首元に手を当てる。やはり、ネックレスは紛失している。
シェリーからの贈り物は、すぐに翡翠の一部になった。昨日まで何もなくて平気だった首元が、今はこうも心細い。
浮かれて発掘現場でまで身につけないで、保管しておくべきだった。
思い当たる全て探して、風に飛ばされた可能性も視野に入れて、少し遠くも確認した。だのに、この有り様だ。警備のためのロボットは、悪党ではない。シェリーの主張はもっともで、こんな時代だからと言って、利己的な行動に慣れてはいけない。だからもっぱら逃げるだけにして、結果、翡翠は今、ここにいる。千年前、考古学者もこのどこかで亡くなったのだ。もしかすれば、その幽霊も出るかも知れない。
「ふぇ……シェリー……会いたいよぉ……」
膝を抱えて、顔をうずめる。
彼女の思いを、一日と経たずに失くしてしまった。会う資格などないのに、彼女の側に戻りたい。ネックレスが見付かるなら、どんな試練に遭遇しても耐えられる。
ドゴォォォオオン……
「……っ!?」
翡翠は、古びた扉に顔を上げた。
ロボットに気付かれたのか。
* * * * * *
リビングにいた時、翡翠の胸元を飾っていたネックレスは、なかった気がする。
彼女はそれを探しに行ったのだろう。
シェリーは、自分なら探し物をする際、どんな行動パターンになるかを考え直した。
そして、この隕石クレーターに引き返してきた。
ロボットが動き出したのは、想定内だ。
良識だの過去の道徳だの、こだわっていたらキリがない。
シェリーは、やはり警備システムによって稼働した機体に銃を撃って、輝真を足止め役に置くと、巨大な穴の死角へ回った。
「モモカは、向こうを探して!翡翠はきっと隠れている!」
「分かったです。ああっ、シェリー!」
モモカの悲鳴に振り返る。
すると、ロボットに撒かれた輝真が苦戦していた。二十秒という猶予を数え終えたそれは、隕石クレーターの中心へ向かうシェリーに注意を向けていた。
シェリーは、二度目の引き金を引く。
パァァァァン!!
ピコー……ピコー……
シンニュウシャ。ツイゲキスル。タダチニ、デロ。シンニャウシャ。バッソクヲカス。…………
「シェリーさん!しくじった、悪い!相手はオレだ、君は翡翠を探してくれ!」
輝真が絶壁を飛び降りた。得意のジャンプで、クレーターの内部に着地した彼が、盾を構えてシェリー達に突き進んでくる。
「有り難う、輝真さん!」
だが、ロボットの狙いはシェリーに定まったままだ。翡翠の捜索に専念出来ないばかりか、逃れるので精一杯だ。
「っ、く……」
ドゴォォオオオン!!
バキューーーン!!
不安定な足場によろけたロボットに、すかさずシェリーは発砲した。
凛久から受け継いだ、電動の弾丸。
それは、ロボットの動きを止めた。
「はぁっ、……」
「やったか?!」
その時、ロボットの倒れたすぐ近くに、シェリーは古びた扉を見た。
「翡翠っ!」
扉を開くと空気が変わった。
夏でも冷気の漂うクレーター。寒々とした空間が、瞬く間に温度を得て、シェリーの肌をくすぐるように包み込む。目の前が鮮やかになったように感じる。
「シェリー……?」
翡翠は、いた。
膝を抱えた彼女は不安げだ。息を潜めて、怖い思いに耐えていたのだろう。
シェリーは、彼女の近くに膝をつく。そして、肩を抱いた。
「本物よね?翡翠……あなたよね?」
首筋を、頷く彼女の吐息が撫でた。
幻でも、見破れないはずない。
不安が一気にとけていく。
何もかも失くしきった。シェリーに残ったのは天涯孤独の絶望と、見知らぬ世界。これ以上失くすものがなかったから、特に恐れるものもなかった。それなのに、さっきは底なしの恐怖を連れた魔物に追われるようにして、彼女を探し回っていた。自分を形成しているものの一部を失くしたくらい、彼女が行方知れずになっただけで、シェリーの何かが欠陥した。
「シェリー……ごめん……あの、……私……」
シェリーは、翡翠のうなじに金具を留めた。
抱き締めて、彼女の存在を確かめながら、拾ったペンダントをかけていたのだ。
「探してくれていたんでしょう。昼間、急に私が走らせたせいで……落ちたのね。言ってくれたら、お店くらい立ち寄って、似たものをまた探したのに」
「違うのっ!私の不注意で……それに、これがいいの。これじゃないといけなくて……シェリーが選んでくれたことに意味があって、……」
思い起こせば、翡翠は昔に失くしたルビーの記憶を振り返って、悲しんでいた。彼女にとって重要なのは装身具ではなく、思い出なのだろう。
「だからって、こんな危ないとこに一人で来ないで」
「うん。ごめん。結局、シェリーに迷惑かけちゃった。こういう戦いは、避けなくちゃいけなかったのに」
「翡翠が無事なら、何だって倒すわ。何よりも、あなたにもしものことがあったら……」
どれだけこの世界に順応しても、それだけは耐えられる気がしない。
「あなただけは失くしたくない」
思わず口を衝いて出た本音。
驚いたのか、翡翠が目を見開いた。
彼女は、まだ両親との別れを受け入れきれていないかも知れない。前向きに振る舞っていても、気持ちは過去に繋がれたままだとしたら──…。
慌てて弁解しかけたシェリーに、翡翠が満面の笑顔を向けた。ガーネットを指の腹に撫でながら、身をすり寄せてくる。
「シェリーが私にそこまで思ってくれるなんて、……有り難う」
「翡翠……」
「シェリーとの思い出が、大事なんだ。もっと増えていくと思う。でも、どんなに思い出が増えたって、一つも手放したくないよ。好きな人が出来たって、シェリーからもらったものを外して欲しがるような人、きっと私から願い下げる」
「そんなことで……。可哀想じゃない?」
「ううん。第一、シェリーより好きな人は現れそうにない。大事なのは、私の気持ち」
おどけた感じの翡翠の口調。
それは、姉離れ出来ていない妹のようでもあって、親友や恋人というレッテルを超えた純粋な好意が覗いてもいる。