所どころ褪色したサンドイッチの絵の看板に迎えられて、シェリー達が平屋の店の扉を開くと、青年達が飛び出してきた。
すれ違いざまに肩をぶつけた新来の客を気にもしないで、一目散に駆けていった彼らの顔は、蒼白だった。
続けて、店内から太い声が地鳴りのように響いてきた。
「こっちが先に目をつけたんだ!!」
「金を払うなら俺らは引くぜ?ぇえ?!」
奥を覗くと、殺気立った男性四人が、二対二で睨み合っていた。彼らの手には銃。カウンターの向こうには、エプロン姿の女性がいる。店主だろう。
店主は、おろおろと、それでいて面倒くさげに、視線を彼らに投げている。
「マスターが食うモンを出さねぇせいで、こんなことになったじゃないか」
「金庫に入った釣り銭なら、寄越せるだろう?」
にわかに話の矛先を向けられた店主が、心当たりのないところに矢が飛んできたような表情を見せた。
四人は、強奪を働くつもりらしい。
二人は村の労働者、あとの二人は、見るからにその道のプロだ。彼らは偶然、狙った店で、バッティングしたようである。
労働者らは常連か。店主も、彼らの要求は、あしらい慣れている感じがある。
「先月のツケはいつ払うんだい。お前さんには、お冷だって出せないよ」
「んだとこら?!」
労働者が声を荒げた。
ガラの悪い方の男性が、彼の肩を掴んで身体を向かせて、敵の顔を覗き込む。
「いい加減、どけや」
カウンターに身を乗り出した労働者が、僅かに怯んだ。敵がたじろいだのを見逃さなかったはぐれ者に、薄ら笑いが浮かぶ。
「ひけ。今日は見逃してやるよ」
自身の優勢を確信した言葉つきのはぐれ者が、労働者の肩に腕を回した。
「クソッ……よそ者が!」
労働者の鋭い目つきが、キッ、とはぐれ者に抗う。彼の肩を銃の持ち手でとんとん叩くはぐれ者。
二人の様子を、各々の相方達が、硬い表情で静観している。
その時──…
カンカンカンカン!!
店主が、けたたましい音を鳴らした。
四人の男性らが、はっと、彼女に注視する。フライパンとレードルが、ぶつかり続ける。
「営業妨害だよ!あんた達のせいで、お客さん帰ったじゃないか!」
「調子乗ってんなよ」
「脅せばいいってもんじゃないよ!」
店主が目を吊り上げた。
男性達のこめかみに、青筋が立つ。
シェリーの隣で、輝真が溜め息をついた。殺伐とした店内へ、彼が進み入っていく。
パパパンッ!!
「ぬぁっ!!」
四つの銃が、男性達の手を離れた。彼らの間に割って入った輝真の盾が、全員から、物騒な物を弾き上げたのだ。
プロの強盗達の方は、尻餅までついている。
「輝真さん、……」
シェリーも、現場に駆け寄る。店主に怪我の有無を問うと、彼女は首を横に振った。
「おい」
カウンターの真下から、凄みを帯びた声がした。
顔を歪めて尻や腕を押さえながら、強盗達が腰を上げた。血相を変えた彼らの内、一人が輝真に詰め寄って、その胸倉を掴み上げた。
「何してくれる、兄ちゃん!!」
「あのっ!!」
シェリーは、輝真を今にも宙吊りにしかねない剣幕で、彼に額で迫っていた男性の手首を掴む。
腫れぼったい目がシェリーを睨む。
いくつもの修羅場をくぐり抜けてきたような人相の彼には、傷害など罪にも入らないのかも知れない。
だが、シェリーは続ける。
「食べ物は無償で提供します。それに、金銀の用意はありませんが、先史時代に常用されていた鉱物をいくつか提供出来ます」
「先史時代……だと?ふんっ、そんなものが」
実在するのだと頷いて、シェリーは、例のクレーターで発掘してきた鉱物のデータを伝えた。すると略奪を生業としているらしい男性達は、予想以上に食いついてきた。と同時に、それだけ貴重なものを提供するからには裏があるのだろうと疑念も示した。或いは偽物でも用意したのか。慎重な彼らに、シェリーは首を横に振る。そして、今朝までいた土地について、ざっと説明を始めた。
* * * * * *
翡翠は、見ず知らずの一家から逃走していた。
ここまで他人の悪意に晒されたのは、いつぶりか。それでもモモカの簡易バリアに頼れる分、以前よりは心強い。
四人は翡翠に罵詈雑言を浴びせながら、どこまでも追いかけ回してくる。
無我夢中で走り続けて、翡翠は、越えてはいけない範囲をうっかり出ていた。
「……?!」
さっきまで足元にいたモモカの姿が消えている。
翡翠は後方を振り返る。すると、四人組の中の一人が、黒と白のパンダのおもちゃの首根っこを掴んでいた。
「探し物は、こいつか?」
夫婦が、ぐったりと動かなくなったモモカを翡翠に見せつけて、意地汚く口元を歪めた。
家族はモモカを人質にして、翡翠を路地裏の広場に拘引した。
そこには、見るからに貧しい村人達が集っていた。彼らは翡翠に暗い感情を向けてにじり寄ると、斧や角材で脅し始めた。
「とっくにくたばったかと思っていたよ、豪族様のお嬢様さん。気の毒だが、お前には、両親の所業を償ってもらう」
「お前達の偽善が、私の父さん母さんを殺した!私達も、爺さんも叔母さんも、病気や飢えに苦しんだ!」
彼らのもの凄まじい情念に、翡翠は思わず目を瞑った。
「次はお前だ!悪魔!」
「落ちぶれたとは、ただの噂か。いい身なりしてるねぇ、こんなおもちゃなんか連れて」
「やめて!」
モモカをぶらぶら揺さぶる中年男性に、翡翠は叫んだ。
翡翠は、モモカの弱点を失念していた自身を呪う。
移動基地から一定の距離を離れると、彼女はコンピューターとの同期が切れる。つまりただの玩具に戻る。
ただそれだけのことに何故、気を付けられなかったのか。
そして後悔以上に、暗い感情が、翡翠を取り込もうとしていた。
見ず知らずの村人達の憎悪。それは、無念と悲しみに自我を飲まれた悪霊のように、翡翠にねっとりまとわりついて、内側から蝕んでいく。
翡翠は彼らを知らない。だが彼らにとって、目の前の少女は自分らの困窮に追い打ちをかけた、豪族一家の一員だ。
「聞いてるのか!生意気な小娘!」
バシッッ……
翡翠の頬に、裂けるような痛みが走った。
村人達の全員に、残忍な薄ら笑いが浮かぶ。二度目の平手打ちが、翡翠を地面に叩きつけた。
膝が砂利にすりむけて、手のひらが痛む。ひりひりと迫ってくる傷の感覚に泣きそうになるのをこらえて、翡翠は彼らに顔を向ける。
「そこまで考えられなかったの!援助があると自治体の救済が受けられなくなることや、所得があればお金や物資の支給対象から外されてしまうこと……!」
「豪族様には、無縁の制度だからねぇ!」
パシッ……
「ぁうっ」
小石をよけて、翡翠は身を縮こめる。
両親が生前に行っていた貧困層の生活支援は、結局、誰も救わなかった。
翡翠は彼らが大好きだったが、善悪の区別もつかない頃から、その行いには納得いかないところがあった。それは、翡翠自身、幼心にも思うところの出てくる場面を見ていたからか。
脳裏に、遠い日が蘇ってくる。…………