翡翠達をリビングに残して、シェリーは研究室にこもった。先日の検査結果が出たからだ。
ルコレト村への道中、遭遇した男性から採取した血液は、未発見の成分を含んでいた。
「血球やプラズマの数値も異常だわ。それに、こんな細胞の数式、人間にはあり得ない……」
「二十一世紀、メキシコで発見されたミイラのデジタル再現に近いのです。あのミイラが生きていれば、おそらくこいつの生態が類似したと推定出来るのです」
モモカがコンピューターを操作する。
二人の前方のモニターに、当時のニュースが現れた。
遠い宇宙からの漂着者達は、地上の各所に、彼らの形跡を残している。目前の記事にも、シェリーのかつての研究を裏付けるような報告が目立つ。中でも生物学的な観点による記録は、今手元にあるのとほとんど同じだ。
ただし、現代に当時の彼らと同じ特徴が見られる生命体がいては、辻褄が合わない。
今からおよそ百四十億年前、宇宙は、ビッグバンによって白紙の状態に戻っている。再生した世界で異星人が地球を訪ねた事実もなければ、定住していたはずもない。だのに連日、シェリー達の遭遇してきた耳の尖った不審者達は、まるで彼らがどこかの時代に再来していたことを暗示しているようだった。
「ビッグバンを耐え抜いた超古代遺物は、全体から見て、どれくらいと予想出来ましたです?」
つと、モモカが問いかけてきた。
シェリーは、研究データを振り返る。
今も採掘出来る数少ない鉱物は、少なくとも、一度は地球上の全生命を絶滅させた自然現象に耐え残ったものだ。骨や薬品、装身具などは、度々、考古学者達が目をつけているが、多くが途方もなく長い歳月を経て風化している。シェリーが冷凍睡眠に就いた時期に発見されたというミイラは、よほど強固な棺に永眠していたのだろう。記憶や肉体をより安全に維持する冷凍睡眠を実現していた彼らは、おそらく生命維持装置の外装にもこだわっていた。
そこまで思い至った時、シェリーの背筋に冷たいものが走った。
トヌンプェ族の冷凍睡眠を解明しようと試みた当時、シェリーは、彼らがそれを医療目的で開発したものと思い込んでいた。
身近な常識を基準としていたからだ。別の時代、まして遠い宇宙となれば、常識などいくらでも変わる。
医療も今より発展していただろう彼らの時代に、病の進行を保留するための冷凍睡眠など必要だったのか?
「彼らの冷凍睡眠の、目的が……」
「……っ、まさか……」
モモカに、シェリーは頷く。おそらく彼女も気付いたのだ。
シェリーは、仮説を続ける。
「地球環境の急激な変化からの、肉体安全確保。彼らは、ビッグバンをいち早く観測して、未来まで生き延びるために、先進的な冷凍睡眠を実現したのかも知れない」
* * * * * *
ショウとレンツォが寝泊まりしているという宿に、シェリー達も同行した。
小ぶりの、それでいて上品な外観が印象的な宿の側に、見覚えのあるオートバイが停まっている。
客人用のオートロックを開錠したショウ達に付いて、シェリーや翡翠も中に入ると、ロビーにいた青年が、にこやかな顔で出迎えてきた。
「お帰りなさい、ショウ。レンツォ。お友達が出来たのですか?」
「前に地元で世話になった恩人だ」
シェリー達は、宿の主人と思しき人物──…つまり櫂と名乗ってきた青年に、挨拶する。
そうして自己紹介が輝真の番になった時、シェリーは違和感を覚えた。以前、彼もここには滞在していて、二人には面識があるはずだ。だのに初対面のような態度で、出身地まで教えている。しかもそれは、シェリーが初めて聞く地名だ。
ショウ達が荷物をまとめに客室へ向かうと、再会した二人の間に、ようやく気安さが戻り出していた。
「輝真……!また会えて嬉しいよ。今日までどこを旅したんだい?」
櫂に、輝真が自身の武勇伝を披露する。彼の話に注意深く耳を傾けて、相槌を打って、ころころ表情を変える宿の主。櫂は、シェリー達にも話を求めてきた。
「三人は、本当に西を目指してるんですか?」
「行く先々で、驚かれるわ。だけど西の悪魔に物申したいことがたくさんあるし、私は、両親の──…」
「そうだ、俺の目標、話してなかったな!」
突然、輝真が話の腰を折った。彼が会話の主導権を握ることはしょっちゅうあるが、ここまで強引だったことはない。
まるでシェリーに、自分の話をさせることを阻止したかのようでもあった。
そして、またぞろ輝真は僅かな事実を交えながら、櫂に嘘を伝えている。
櫂は、シェリー達にも泊まっていくよう提案した。
各自、移動基地へ荷物を取りに戻って、割り当てられた部屋に運び入れると、一同はショウ達の客室に集まった。
盗賊上がりの青年達は、少し余裕のある家庭の子供に勉強を教えて稼ぎながら、旅費を工面してきたらしい。彼らの部屋には、参考書が積んである。コンピューターは維持が大変だという理由から、千年前には普及していたスマートフォンをヒントにした小型の機器が、彼らの日々の情報源だ。
「懐かしい……。あなた達が作ったの?」
「通信機を改造したんす!懐かしい、って?」
目を丸くしたレンツォに、シェリーは慌てて補足する。
「研究職で、調べていたの。昔のスマホはカメラも性能抜群で、素人でも写真にハマる人が増えていんだって」
「カメラは盲点でした。付けたら、きっと、めちゃ便利っすよ!」
「ショウ、さっそく今夜、試してみましょう。姉さんは、近代の研究もされていたんですか?」
レンツォの純粋な好奇心が、シェリーに言葉を詰まらせる。
冷凍睡眠から目覚めると、千年の時代を超えていた。
その事実を、シェリーは彼らに打ち明けるべきだ。
だが、度々、翡翠との間にさえ溝を感じる。話せば彼らを混乱させる。そう理由を付けて黙ってきたが、今は、時代という壁に彼らとの心の距離まで引き離されそうで、まだしばらく保留にする時間が欲しい。
「うん、そんなとこ。それに、少し歴史を勉強してれば、スマホくらい私も知ってるよ」
助け舟でも出すタイミングで、翡翠が答えた。
彼女の言葉つきがプライドに障ったらしいショウが、悔し涙を腕に隠す演技を見せた時、輝真がシェリーの袖を引いてきた。
振り向くと、いつになく真剣な輝真の顔が、シェリーの耳近くに迫った。
「ここでは、事実を言わない方がいい」
「え?」
声まで潜めてきた輝真は、何に警戒しているのだろう。
シェリーが、よほど不可解な顔をしていたのか。
輝真が申し訳なさそうに眉を下げた。
「今は話すべきじゃない。そういうこと、あるだろう?」
その言い分に、シェリーは何も言い返せない。
輝真にも、ここでの考えや事情があるのだ。