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乗っ取られた考古学者の宿


 トイレへ行ったきりの翡翠が戻ってこない。


 一度気になり出すと、シェリーは櫂の話どころではなくなった。まだ有益な情報の一つも引き出せていないのに。


 腰を上げたのは櫂だ。仕事を思い出した。ついでに翡翠の様子も見てくると言い残した彼は、広間を離れた。


 それからすぐあと、翡翠から、シェリーの通信機に連絡が入った。



「…………」



 通信を切って、シェリーはしばらく自身の腕の小さな機器を見つめていた。



「何て?」



 輝真に、シェリーは今聞いたばかりの言葉を復唱する。



「眠たくなった。先に休んでいるから、明日また話を聞かせて。……だって」



 ややあって、櫂が広間に戻ってきた。


 今度こそリナの話を聞かなければいけないのに、集中出来る自信がない。



「レンツォ!」



 突然、輝真が叫んだ。真剣な彼の目力が、湯呑みを持ち上げた顔色の悪い青年をたじろがせる。



「二人とも、トイレ。さっき行きたがってたよな?」


「オレ達が、ですか」


「言ってただろ。お茶なんか飲んでねぇで、行ってこい」



 レンツォからスマートフォンもどきを取り上げて、輝真が何か操作する。


 派手な青年の行動に、目を丸くする青白い顔の青年。彼らの経歴を知らない人間からすれば、前者の方が、力関係は優位に見えるに違いない。


 実際、レンツォは輝真に文句の一つもつけないで、ショウを誘って腰を上げた。


 青年達が手洗い場へ向かうと、輝真がシェリーに、今しがた何か打ち込んでいた画面を向けた。



"そのお茶は飲まないでくれ"



 シェリーは、湯呑みを凝視する。


 見たところ怪しい感じはない。


 それでもシェリーは、輝真に従う。


 いなくなった翡翠。そして彼の様子からして、何か起きているのだろう。



「輝真さん、翡翠は……」


「櫂」



 輝真の声が、厳しい調子で旧友を呼んだ。



「お前さ、何でシェリーさんを忘れてた?」


「っ……?!」


「彼女も前回、一緒に来ていた。それにオレが認めて欲しい女性ってのは、シェリーさん……あれだけ応援してくれたのにな」



 シェリーは、声を荒げそうになった。


 どこまで友人にでたらめを言えば気が済むのだ。


 ただし目前の青年は、輝真にとって友人ではない。今の虚言も、おそらく事実を引きずり出すための材料だ。


 案の定、櫂が明らかな動揺を見せた。



「えっ、と……」



 目を泳がせる櫂に追い打ちをかけるようにして、モモカがわざとらしく口を開く。



「櫂さん、モモカのことも覚えてないです?シェリーと一緒にいたです」



 シェリーは、腹をくくる。


 翡翠も、既に何かに巻き込まれているかも知れない。彼女の身にまたぞろ危険が迫っているなら、輝真達の茶番に乗るしかない。



「櫂さん。黙っていてごめんなさい、実は私、あなたとは──…」


「ですよねぇ。申し訳ありません!何せ忙しくて、シェリーさん……ご無沙汰しておりました」



 潔いほどすんなり、櫂がシェリーに頭を下げた。



「かかったな」


「え……?」



 輝真が低く呟くと、櫂が九十度に曲げていた腰を元に戻した。



「櫂。俺は、お前なんかに会ったことない」


「…………」


「お前が誰だか知らねぇが、今まで話しを合わせてやっただけ、有り難く思え。櫂はどこだ?翡翠は!」



 輝真が声を荒げた時、ショウとレンツォが顔面蒼白で駆けてきた。



「姉御、輝真さん!地下から物音が聞こえるっす!」


「ロボットに違いありません!」



 シェリーは、宿の主人に振り向いた。


 にこやかな笑顔の定着した青年が、くくく、と陰湿な声を漏らした。


* * * * * *


 ショウ達に宿の主人を足止めをさせて、シェリーは輝真と地下へ向かった。


 そこは消灯しているのに、眩しいくらいだ。回廊を動き回っていたロボット達が、目から光線を放っていたからだ。


 シェリーは、それらをレーザーガンで倒していく。櫂・ミーチェを騙っていた青年を捕獲したり殺したりしないようショウ達に念を押してきた以上、ロボットの凶暴化はないはずだ。おそらく目前の個体達も、あの主人に生命の危機が及べば、緊急システムが発動する。



 ズンッ!カンッ!ズンズンッ!



 輝真の盾がロボット達の進行方向を操作して、シェリーのための道を開ける。


 シェリーは、ロボット達を撒きながら、書庫へ急ぐ。


 輝真に聞かされていた扉に手をついて、勢い任せにそれを開くと、中はひっくり返っていた。空き巣の侵入を疑うほどの惨状だ。



「翡翠……翡翠っ!」



 真っ先に彼女を呼んだのは、その気配がしたからだ。


 さっきの不可解な通信。彼女は、櫂の偽物に脅されて、シェリー達に嘘を伝えてきたのではないか。


 回廊に、けたたましい銃声、金属音が響いている。


 それらに気を散らされかけながら、シェリーはまずテーブルの資料に目を通す。


 櫂が考古学者であるのは間違いない。だが、書棚に目を向けても、トヌンプェはおろか、先史時代を研究していた形跡が皆無だ。



「姉さんっ!」


「シェリー!」



 レンツォとモモカが飛び込んできた。


 シェリーは、二人にここの印象を伝える。すると二人は、概ねシェリーと同じ予想を口にした。



「本物の櫂さんは、処分……されたです……トヌンプェに由来する、超古代の異星人達の子孫にとって、都合の悪い何かを握っていたです……きっと……」


「そんな……じゃあ、翡翠は……!」


「姉さん」



 レンツォのいつになく静かな声が、低く震えた。


 シェリーは、恐る恐る彼を見る。


 彼の手が、宿の会計票を握っていた。



「これ、持ってたのって、翡翠ですよね?」


「っ……!!」



 今一度、シェリーはテーブルに両手をついて、資料を見回す。


 ここで起きたことの一部終始の想像がついた。



「翡翠は、会計表と資料の筆跡の違いに気付いた……」



 もとより彼女は、初めから輝真と同じところに目をつけていたのだ。


 それにしても何故、たった一人で探ろうとしたのか。輝真でも強引な手でシェリー達に協力させていたのに、翡翠は単身、宿の主人の矛盾を暴こうとしていたことになる。


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