「シェリー!!」
移動基地の降車口から、モモカの声が聞こえた。
振り向くと、呑気な顔が、ひょっこりこちらを覗いていた。
「大丈夫だったです?!分解システム、そいつにまで飛ばしてしまったです!」
シェリーは、青年を改めて見る。
まるで壊れたロボットだ。手首以外、特に深い傷はないのに、全機能が停止している。
聞けば、モモカは倉庫を開けるために仕掛けた分解システムを、敷地内のロボットらにも飛ばした。その際、青年の体内にあった精密機器も、受信対象になる可能性が出たという。
主人と被支配のロボットは、言わばモモカと移動基地のようなものだ。連動していて当然だ。
シェリーは、倉庫に駆けつけた。
あらゆる物質、機器を分子レベルに分解するプログラムが完成したのは、さっき温泉から出たあとだ。
輝真と雑談していた翡翠を残して、モモカと移動基地に戻ったシェリーは、短期間にしては上手くいった研究に、達成感を覚えていた。
メインコンピューターのディスプレイには、凛九の形見をヒントに得た、分解システムが出ていた。
彼の弾丸が敵に電気ショックを与えるのに対して、シェリーが新たに開発したのは、物質そのものを崩壊させるプログラム。
…──対象物に直接繋ぐか、Wi-Fiで飛ばす。そうすれば、発動するわ。例えば鉄なら、どうなるか想像つくよね?
シェリーが操作を進めると、シュミレーション画面上の鉄塊が、粉々になった。燃料を増やせば、温度を上げて融解も出来る。
モモカが意気揚々と声を上げた。
…──これなら、モモカにも簡単に出来るのです!
彼女の頭に、シェリーは手のひらを滑らせた。
いざという時は、操作をお願い。
そして、注意の補足も忘れなかった。
小型の機器なら半導体が壊れるだけだが、建物ほどの規模であれば、分解した部分から倒壊する。そのため、雪崩で周囲の人間を巻き込む危険もあった。
* * * * * * *
案の定、宿の裏手は瓦礫の山が出来ていた。
シェリーはそれらを踏み越えて、翡翠に駆け寄る。
「翡翠!怪我はない?!」
彼女の側にひざまずいて、近くにいた青年に目礼する。
輝真に視線を向けていた彼が、シェリーに気付いたようだ。人の良さそうな顔で、会釈した。
一同は、広間に戻った。
一週間、倉庫に禁足されていた櫂は、憔悴している。輝真と再会を喜び合いながら、本調子でないのは傍目でも分かる。
翡翠も顔色が芳しくない。だが、彼女も気丈に振る舞っている。
「助けてもらって、有り難うございます。うちは従業員がいませんし、お客さんも旅の人ばかりで……誰にも知られず、諦めるところでした」
ショウとレンツォも、ぞっとしたような顔つきだ。
無理もない。彼らは、ここで異星人と、数日を過ごしたことになる。
彼らに不憫な目を向けて、櫂が続ける。
「情けないことに、ほとんど覚えていないんだ。書庫に案内させられて、トヌンプェに関する資料を回収させられた。ロボットで脅されて、あの倉庫へ──…そのあとは、翡翠さんの見た通り」
「丸腰の人間があれ出されたら、怯むよね。私も抵抗出来なくて……」
「翡翠」
ショウが翡翠を瞥見した。人相の悪い、それでいて温かみのある青年の顔が、妹に対するような感情を覗かせている。
「お前、もっと姉御に頼れ」
「難しいよ。ただでさえ居候なのに」
「ショウの言う通りだわ、翡翠」
シェリーは、翡翠に向き直った。
初対面の櫂を始め、友人達。彼らの目がなかったら、翡翠を抱き締めて泣き出しているところだった。
彼女に会えた。今度こそ失うのではないかと思った。ここにいるだけで奇跡に等しい。
だが、この感情も、きっと彼女を追いつめてきた。
「翡翠は、生きてくれているだけで十分って、誰かに対して思ったことはない?」
「あるよ!」
「そうだぜ、病院跡地で、お前、泣き喚いてたじゃねぇか」
シェリーはショウに目で頷いて、翡翠に続ける。
「私があなたに向けるのは、そういう思い。無茶は、しないで欲しいの」
「…………」
翡翠が俯く。
シェリーは、彼女の腕を引く。
赤い浴衣姿が、痛々しい。昼間の傷も癒えない内に、彼女は、また苦しんだのか。
「モモカちゃんに……聞いた。シェリーだって……無茶してたって!」
「っ……」
シェリーは、モモカに目を遣る。
トヌンプェの青年の心臓を、自分ごと貫くところだった。モモカがあと少し遅れていれば、あの時は、それ以外の方法が見付からなかったと思う。直前に首を絞められたのもあって、判断力も鈍っていた。
だが、シェリーにとって翡翠の身の安全は、それだけ重い。彼女の自己価値を上げるためなら、この生死も懸けられる。
「私に無茶させたくなかったら、翡翠もね」
「それって、脅し文句?」
「脅してでも、翡翠は大切な家族だって、言いたいの」
「…………」
ショウとレンツォが、シェリー達に、にたにたとした顔を向けていた。
「どうしたの?」
「家族……なぁ」
「姉さんと翡翠、いつもそんな痴話喧嘩してるんですか?」
「…──?!」
翡翠が顔を赤らめた。
やはり本調子ではないのか、彼女が再び俯く。
シェリーも、鼓動が不規則になる。敵と掴み合いになった時、打ちどころが悪かったようだ。
得も言われぬ空気感が、一同をとりまく。
耐えかねたようにして、輝真が大袈裟に息を吸った。
「それにしても、あれすごかったな!頑丈な倉庫は吹き飛ぶわ、ロボットはいきなり停止。分解システムって、ずるくね?」
確かにずるい。
それでもあのシステムは、西への旅に必要だ。
どんな勇者も帰らなかった悪魔の土地で、何が起きるか分からない。常識など重んじている場合でなくなることも起きるだろう。だが、どんなことがあっても、シェリー達は一人も欠けずに東部に帰らなければいけない。
「ロボットは、資源を収集しているだけだと思っていた。だけど、トヌンプェ族。彼らが関わっている。彼らの秘密を守るためにも、使われている」
「僕の研究資料が、塵になるところでした。彼らに関する研究データは学会でもとりあってもらえませんし、マスコミにはもみ消されます。インターネットに載せようにも、何かに妨害されるようで……」
沈痛な面持ちを見せた櫂に、シェリーは頷く。
彼らと西との関係性は、不明だ。だが、人々の脅威であることには変わりなく、彼らは科学を悪用している。シェリーにとって不本意だ。
「相手が高度な科学技術の先駆者で、地球が彼らの恩恵を受けたことも少なからずあったとしても、許し難いわ」
「姉さんの言う通りです!」
レンツォが拳を叩きつけた。冷えきったお茶が、彼の手元で水面を揺らした。
「科学の悪用なんて、断固反対。人の明るい未来のために……オレだって、後悔してます。初めて作ったロボットで、盗みを働こうとした。償うためにも、オレも西の悪魔を倒します」
シェリーは頷く。
櫂が一同を見回した。
先祖にトヌンプェ族を調べていた考古学者がいる。彼女の残した資料なら、外部の干渉を受けないコンピューターに保存しているから、明日ここに集まってくれ。
彼の言葉に、全員が決意の表情を見せた。