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婦人の無念と青年の悲願


 移動基地を飛び出して、シェリーはショウ達に取材班リーダーの保護を頼んで、ロケバスの車内へ急いだ。



「戻ってこい!お前達のデータを寄越せ!処分しろ!!」


「アンリさん!」



 取材班リーダーが遠ざかるのを睨むアンリの体重が、シェリーにのしかかってきた。


 暴れる彼女を押さえながら辺りを見回す。機材は無事だ。



「このっ……正気に戻れ!」


「モモカ、鎮静剤を!」


「はいなのですっ」



 翡翠と輝魔が武器を構えても、シェリーの腕の中でもがくアンリ。彼女が体術に不向きな体格だったことが、不幸中の幸いだ。膝を繰り出す彼女の脚を押さえつけて、シェリーはモモカが戻るまでの時間を稼ぐ。



「アンリ……お前のせいじゃない、戻っておいで……!」



 ルネの悲痛な声が聞こえる。


 シェリーでも感じる車外からの眼差しも、孫娘には届かないのか。…………



「うるさい!お前だな、記憶を返せ……うるさいうるさいっ!」


「くっ……はぁっ」



 アンリの口が、シェリーの肩に噛みつきかけた。それをかわして、シェリーは彼女を後方から羽交い締めにする。


 昇降口に、戻ってきたモモカが見えた。







 シェリーはアンリに軽度の鎮静剤を打った。彼女を移動基地に運んで、トキの話を参考に、彼女を操るパーソナリティマイクロチップの作動を緩和する作業に入った。



 ピピ……ピーーーー……



 脳の周波数は安定している。アンリの脈も正常だ。ただし、かつて同じ施術を受けたルネによると、一日に複数回脳をいじれば人格に支障をきたす場合があるらしく、赤外線でマイクロチップに指示して、メモリー量を減らす方法が安全だという。



「私の時は、学校で得た知識の半分が削除されました。アンリからは、トヌンプェ族が私達にいだく敵愾心を除くことは出来ますか?」


「見付かりました。おそらく、ここのプログラムが、リーダーに銃を向けさせたのだと」


「ええ、私の時は全て見せてもらってからの施術でしたが、このような言語は見当たりませんでした」


「トヌンプェの文字を、ご存知なんですか?」



 問題のHTMLを書き換えながらシェリーが問うと、ルネが頷いた。



「彼女に教えてもらいました。少しくらい読めなければ、こちらの言語を習得している彼女の友人として、恥ずかしい思いがしましたから」




 こうしてアンリの施術は成功した。


 夜の帳の下りた空は、とっくに星が瞬いている。


 通信機で呼んだ朱里が移動基地に到着すると、報道関係者を志す、祖母思いの少女が目を開けた。



「お母、さん……?それに、おばあちゃん、ショウさん達も……」



 仰向けのまま、アンリが薄目で、彼女を覗く一同を見回した。


 マイクロチップを埋め込まれる以前の記憶も、特に問題ないようだ。



「ショウさん達が私を見付けてくれたのは、覚えています。シェリーさん、昼間は、鎖を切ってくれて有り難うございます」



 シェリーは、首を横に振る。



「無事で良かったわ。まだ本調子じゃないだろうから、今夜はゆっくり休んでいて。朱里さん達も」


「アンリ……アンリ……」



 きっと愛娘を目に入れても痛くないだろう母親は、彼女が目覚めてからずっとこの調子だ。娘の片手を強く握って、祈るような姿勢で頬を濡らしている。



「皆さん、さっきはカッとなって……あんなこと言ってごめんなさい……」


「全くですよ。自衛隊に失礼で──…痛っ」



 翡翠が輝真の耳をつねった。


 余計なこと言わないの、と大きな目が無言で彼を咎める。



 取材班が各々のロケバスに戻って、移動基地も夕飯の支度が整うと、シェリーはルネを連れて、アンリを休ませている部屋へ向かった。


 夜食を平らげたアンリは、いくらか顔色も良くなっていた。


 彼女が、シェリーの問いに答え始める。


 強奪したロケバスで、彼女は、村の薬剤研究施設を目指していたらしい。取材班のリーダーは、彼女を刺激しまいと沈黙していた。下車するよう指示されて、初めて拒んだ。それで揉み合いになったという。


「何故、あんな行動に出たのか分かりません。薬剤研究施設へ行かなければ、と。思い立って、衝動を抑えられなくなりました。私、どうしちゃったんですか……?」



 不安げなアンリをルネが抱き締めた。パーソナリティマイクロチップの話を出すには、彼女は消耗しすぎている。


 それからシェリーは、ルネに呼ばれて、リビングから遠い倉庫の前に移った。


 アンリのさっきの発言に、ルネは思い当たる節があるらしい。



「あの子は、私が友人の話をしたのを覚えていたんでしょう」


「ご病気で亡くなった、トヌンプェ族の……」



 ルネが静かに頷いた。



「私は、彼女を見捨てたやつらを全く恨まなかったわけではありません。彼女の話をしたのはあの子が十にもならなかった頃ですが、子供なりに察したのでしょう。この村の薬剤研究施設がトヌンプェ族で成り立っていることも、アンリは知っています」


「同郷の眷属も見捨てるような彼らが、人間は薬剤で助けるなんて……」


「彼らは、それで利益を得ています。しかし友人の志は、無益どころか、トヌンプェの損害にもなり得ました」



 今も、ルネは悔しげだ。そんな祖母の無念を目の当たりにしてきたアンリは、トヌンプェの本能を植えつけられて、理性の制御を失くしたのだろう。仇を討つ。それは、ルネの本望だったのかも知れない。孫娘を秘匿の駒に変えようとしたトヌンプェ側にしてみれば、多分、誤算だ。


 声を潜めて話していたシェリーの耳に、足音が触れた。


 ルネの肩越しに、顔色の悪い青年がリビングを出てきたのが見えた。


 シェリー達の側に足を止めて、レンツォが口を開いた。



「その研究施設に、突撃しましょう」



 彼らしからぬ好戦的な物言いだ。


 シェリーが理由を問うより先に、彼が続ける。



 そこには、ショウがかつて探していた──…今も探し続けている、父親の病魔を取り去るための薬があるという。彼がルネの配偶者を家に残したのは、あの紳士と父親が、同じ病を患っていると勘づいたからだ。浮き出た骨に、独特の咳。他にも似た症状が見られたらしいが、レンツォにはよく分からなかった。



「そう、ショウくんは気付いていたのね。ええ、そうです。主人は難病にかかっていますが、あの人達の世話になりたくないと言って、治療を拒んでいます」


「そんなこと、言ってる場合じゃないでしょう!」



 急に大きな声を出したレンツォに、ルネが突き飛ばされたような顔を見せた。と同時に、二人分の薬を手に入れられても、彼は拒絶するだろう──…反論もした。



「私が説得するわ、おばあちゃん」



 また、第三者の声だ。


 部屋に残してきたアンリが、シェリー達を見つめていた。



「そんな意地のために、おじいちゃんが元気にならないなんて、もういやだ。それに、おじいちゃんがあの人達を疎んでいるのは、おばあちゃんのお友達のことがあったから。……言い方は乱暴だけれど、叩きのめして報復すれば、おじいちゃんだって薬くらい……」



 レンツォはショウのために薬を、ルネとアンリは、愛する肉親達のために。


 一同、決意が一致した。



「翡翠達に、伝えてくるわ」



 彼らを見回して、シェリーも気持ちを引き締めた。


 ルネからすれば、薬の入手は、独善的行為かも知れない。だが助かる命を見捨てられるほど、シェリーは他人事を他人事と割りきれない。かつて翡翠が自分を説得してくれたように、アンリになら、祖父をこの世にとどめられるのではないか。行動にも出ない内から諦める方が、きっと後悔は残る。


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