「……分かった」
先に折れたのは、翡翠だ。
納得しきれてはいないだろう。ただ彼女の中で、シェリーに罪を背負わせるのも、悔やませるのも、同等になったのか。
彼女の声が、そっとシェリーの耳に触れる。
「私、人に甘えてばかりだったから……シェリーの経験した後悔って、本当の意味で分かってないんだと思う。なのに、大したことないみたいに言っちゃって……」
「ううん。翡翠がいてくれたから、やり直せる気がした。そんな水臭いこと、思わないわ」
シェリーは、翡翠に腕を回す。
家族の温もりに欠けた二人の抱擁は、まるで過去の清算だ。翡翠は彼らの代わりではなく、彼女にとってもシェリーは違う。ただ、こうしていると、戻らない日々が慰められる。
「有り難う、翡翠。すぐ終わらせてくる」
腕をほどいて、踵を返した彼女を見送る。
ツインテールの後ろ姿が遠ざかっていくと、シェリーはモモカと塔の扉の向こうへ進んだ。
館内は、博物館そのものだ。トヌンプェ族らが長い歴史を通して発見、研究してきた成果を残した資料や、発明品の数々が、回廊に沿って続くショーケースに並んでいる。
中でもシェリーが着目したのは、彼らが最初の故郷から持ち込んできたという鉱物だ。変質を防ぐために真空で保存してあるのもあって、複製品や、それを作り出す過程に出た不合格品まで残されている。そして千年前、シェリーが必要に迫られて紐解き、リスペクトした装置もあった。
「残っていたのはレプリカだけ。現物は老朽化して、破棄されたと聞いていたのに……」
「彼らが冷凍睡眠の実現を目指していた頃の、試作の生命維持装置なのです。元は、こんなにずさんな設計だったのですね……」
生命維持装置に限らない。人間がまだ電報を連絡手段としていた時代、彼らは既に通信機の開発に乗り出していた。その初期段階の製品や、今や彼らが常用している精密機器のプロトタイプ、人工知能の原点に関わる論文など、どうあっても人間の発想では及ばなかった実績が、ここに集まっている。彼らが地球に関わらなければ、ひょっとすればシェリー達の歴史は、今とは別物になっていたのではないか。
「シェリー、これだけのものが揃っているのです……移民プログラムの秘密も見付かるなんてことは、ないです?」
モモカの呟きに、シェリーははっとする。
確かに、ここならトヌンプェ族らの禁忌も隠れているのではないか。
例えば、彼らのあらゆるコンピューターに侵入し、干渉するプログラム──…シェリーがその存在を伝えられて以来、何度も解禁を試みてきたHTMLだ。開くための暗号が、見付からなかった。いくつかあるハッキングプログラムの中でも、最も強力なロックのかかったそれこそ、移民プログラムにも有効と見て間違いないだろう。この館内なら、ヒントくらいどこかにあるかも知れない。
そこでシェリーは足を止める。
随分、長い距離を歩いた気がする。外から見て円柱だったが、存外に、内部は奥行きがある。
「モモカ、……」
シェリーは、モモカと移動基地の距離を測る。
案の定、あと数メートルで、彼女が無線で動ける範囲を超えるところだった。
モモカの身を隠せそうな場所を探す。この先は単独で進んで、彼女とは通信機で話すしかない。
その時、突然、シェリーの視界を強烈な光が覆った。
思わずかざした片手の指の隙間を覗く。振り向くと、警備員の制服姿のトヌンプェ族らが、シェリー達に懐中電灯を向けていた。
「動くな!」
「っ、……」
シェリーはレーザーガンを引き抜く。
バキューーン!!
一撃を放った瞬間、鈍い反動が手首を襲った。警備員の銃弾が、シェリーの機体に命中したのだ。
カランカラン……
「シェリー!」
飛ばされていったレーザーガンを、モモカの目が追う。彼女が簡易バリアを広げた。突然の壁にトヌンプェ族らが弾かれて、尻餅をつく。
シェリーは、レーザーガンに走り寄る。拾い上げて、バリアの向こうの警備員らに銃口を向ける。その瞬間、自分の目を疑った。
「翡翠……?」
耳の尖った異星人らの隙間に、翡翠が見えた。
シェリーは引き金に指をかけたまま、幻でも見ている気に陥る。
彼女は、ひときわ目立つ。それでなくても、シェリーは翡翠を見紛わない。そこにいれば気配だけで、目を閉じていても分かるだろう。
何故、彼女が彼らに付いている──…?
シェリーの疑問を解くタイミングで、警備員の一人が口を開いた。
「翡翠さん。ご報告感謝します」
彼に視線を向けた翡翠に対し、別の警備員が続ける。
「危うく、我々は侵入者を見逃すところでした」
状況整理の追いつかないまま、シェリーは身動きとれなくなる。
左右に回った警備員らに、腕を取り押さえられていた。再度、簡易バリアを展開する構えを見せたモモカを、彼らの銃弾が狙う。
バキューーーン!!
翡翠の一撃がモモカを救った。警備員の放った弾が、軌道を変える。
「あの人工知能は、彼女が今日まで掴んできたあなた達の情報を書き込んだ、メインコンピューターに繋がっている。無傷で捕らえなければ、回収が難しくなるわ」
「なるほど、分かりました。おいっ」
翡翠に首肯した警備員が、別の仲間に合図した。
シェリーは、モモカに向かって叫ぶ。
「モモカ、行って!すぐにショウ達を避難させて!!」
気が動転していても、これだけは分かった。翡翠がシェリーを通報したのだ。
どんな心境の変化が彼女に起きたのか。考えている余裕はない。シェリーの真意がトヌンプェ族らに知れた今、移動基地に残った三人にも疑いがかかる。
こんな時、人工知能は扱いやすい。シェリーを守るようプログラムしてあるモモカでも、本人が指示すれば別だ。
彼女は簡易バリアを広げ直して、器用にトヌンプェ族らをかいくぐりながら、見ている内に逃げ去った。