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第60話

戦後、戦場から戻ったグラース家の人間は、ルイフィリア1人きりだった。

あんなに自分を支えてくれていた両親も、弟も、すべて失った。

彼は静かな屋敷に戻り、それからハンスを呼び寄せる。

引退すると決めて、ハンスはあまり騎士団に顔を出さなくなり、それ以来グラース家の執事になっていたのだ。


「坊ちゃま」

「部屋の片づけを頼みたい。すまないな」

「承知いたしました」

「不要なものは捨ててくれ。分からないものは確認を」

「はい、心得ております」

「ハンス」


呼ばれて、ハンスはルイフィリアの顔を見た。

いや、正確には顔など見えなかった。

包帯を巻いた頭は、窓の外を見ている。

しかし彼が失意の底にいることは、すぐに分かった。


「はい」

「……騎士団長は、お前では駄目なのか」

「坊ちゃま。騎士団は代々グラース家の男児が跡を継ぐように、と国王より命を受けております」

「分かっている」


すべてを失って、彼は次に立ち上がる力が湧かなかった。

苦しくて、寂しくて。

よく食べていたはずなのに、食べ物も喉を通らなくなった。

マリアがさまざまなものを持ってきてくれたが、どれも大して食べたいと思えない。

そんな時、ハンスがルイフィリアの母の部屋を片付けた。


母の名はエルデ・グラース。

赤い髪を短髪にした、緑の瞳が美しい人。

騎士団長がある日突然連れてきた娘が、気づけば妻になっていた。

そして、男の子を2人産む。

エルデは騎士団2人目の女騎士だ。

ちょうどマリアと入れ違いで騎士団に入った、女の中ではとにかく強くて活発な剣士である。

マリアとは仲が良く、彼女が夫を亡くしたというので、そのままグラース家に連れてきた。


エルデは、料理や裁縫などはできなかったが、本を好んだ。

出身がこの国ではなく、東の方ではないかと言われているが、彼女自身もはっきりとは言わない。

しかし、読み書きの癖は東の方とよく似ており、彼女の好む本は東の方の紙が多く使われていた。


この国で、紙や本はとても貴重なものだ。

紙は貴重なものなので、本とはそれだけで値段をつけられない程の高い代物なのである。

それを嫁入り道具に持ってきたエルデは、女騎士という才能の裏に、知性を持つ人だった。


その本について、ハンスはどうするか尋ねてきたのだ。

彼が言いたいことも分かる。

貴重な品ばかりだから、保管するべきか、売り払うか、譲るのか、考えねばならなかった。


「……学園の図書館に寄贈すればいい」


ルイフィリアは、母の本を屋敷に置いておくことが哀しかった。

愛する母の愛した本。

本は残ったのに、母の命は魔女にとられた。

悔しくて、哀しくて、本を見ると母の笑顔を思い出してしまう。

しかし、貴重なものだと分かっているから、どうしても燃やすことはできなかった。


もしも誰かが、この本を愛してくれたなら―――


そんな淡い希望が、ルイフィリアにはあったのかもしれない。

自分にはできなかったことを、他人に求めてはいけない。

自分が辛かったことを、他人に与えてはならない。

騎士団として、人の上に立つ者として、彼は自分を追い詰めることしかできなかった。


ハンスはルイフィリアの指示どおりに、ほとんどの本を学園の図書館へ寄贈した。

学園では目玉が飛び出るくらいの大事。

こんなにたくさんの本を騎士団長の家からもらい受け、驚かない者の方が少ない。

しかも、どれも貴重な上に、保存状態がよかった。


しかし、ハンスはすべてを寄贈しなかった。

エルデが気に入っていた本は残し、それ以外だけを学園へ持って行ったのだ。

帰り道、エルデがハンスを父親のように慕ってくれていたのを思い出す。

初めて出会った時は、異国の不思議な女性だった。

赤い髪に緑の瞳。

それが印象的な娘。

細い剣1本で、自分を負かした女は初めてだ。

マリアですらできなかったことを、彼女はいつも楽しんでやる。

身軽で、軽やかで、まるで風のよう。

よく飛び跳ねて、まるで猫のよう。

愛しい娘だった、とハンスは思いながら、主の元へ帰る。


それからのルイフィリアは、落ち込んでいたが、怪我が治ってすぐに騎士団長を襲名した。

ハンスに代わって欲しいと言っていた弱音が嘘のように、彼は堂々と騎士団長になったのである。

安心したハンスであったが、ルイフィリアの心は凍てついた。

自分の代で魔女を討ち取る、と決めた彼は、縁談話をすべて断る。

貴族の娘たちは、パーティーにルイフィリアが来ると知れば、喜んで駆け寄ってきたが、ついには誰も寄れなくなった。

その赤い目が。

その男の凍てつく心が。

側に寄る者すべてを、冷たく突き刺すからだ。


魔女を討ち取る為には、転生した魔女を探さねばならない。

魔女がどんな娘に転生しているかは分からないが、近くに必ず赤髪で緑の瞳の女性がいる。

それだけを頼りに、ルイフィリアは魔女を探し続けた。


そして、ある時学園にそれによく似た娘がいると噂を聞いたのだ。

騎士団の尋問は、学園に通う貴族の娘には辛いだろう。

しかし魔女と通じているならば、見逃すことはできない。

ルイフィリアは確認する為に、学園へ向かった。


学園を卒業して久しいが、ルイフィリアは学園のことをよく覚えていた。

弟やカリブスと過ごした日々が、とても楽しかったからだ。

あの日々は、もう訪れない。

カリブスも騎士団を離れてしまっており、ルイフィリアと会うのはパーティーくらいのものだった。

過去を振り返っても、何も残らない。

創り出す為には、前に進まねばならない。

だから、ルイフィリアは自分で確かめに来たのだ。

魔女に通ずる女を。


名目上は図書館の利用とした。

母の本を寄贈したことを思い出し、それも理由に添える。

ルイフィリアは学園の図書館に入り、本を見ていると見せかけて、本当は赤髪の娘を探していた。

司書が母の本を持ってきてくれたので、懐かしく思いながら本を開く。

しかし、実際には人探しが目的だ。


開いた本の一節が目に入る。

『目的は目の前だ。しかし目的とは真実をいつも隠している。その隠されたものに気づく時、人は前に進んでいく』

きっと母も魔女を討ち取ることを望んでいるのだ、とルイフィリアは思う。

しかし、違った。

本から顔を上げ、本棚の向こうに見えたのは、赤髪で緑の瞳をした娘。

美しく、清楚で、穏やか。

同時に母の面影さえ感じた。

こみ上げるものを感じたルイフィリアだったが、この娘が魔女に通じているならば、と思い、意を決したところで、それはあっさりと打ち破られる。


「この本は……エルデ様という人から寄贈されたのね。素敵な本だわ。花のことがとても詳しく書いてある。エルデ様という人は、さぞ聡明な方なのね」


娘は、母の本を持っていた。

そして、その本から知らないはずの母を知っていた。

ルイフィリアは涙があふれて止まらない。

失った大切な母を、家族を、母が愛した本から知ってくれる娘がいたから。


「エルデ様に感謝しなくちゃ。この花を今度の刺繍の絵にしましょうね。今度、栞も作ろうかしら」


その娘は、母の本を大事に抱きしめて、図書館を出て行く。

それがルイフィリアと、セシリア・ウォーレンスの出会い。

ルイフィリア・レオパール・グラースの恋物語が、始まった瞬間だった。


ルイフィリアは、司書に先ほどの娘はどこの娘なのか尋ねた。

するとウォーレンス家の娘、あのカリブスの妹だった。

グラースの屋敷に戻り、ハンスに娘のことを調べさせる。

すると、娘は孤児院から引き取られた、血の繋がりがない娘で、養女であることがわかった。

傾きかけたウォーレンス家の噂は聞いている。

ウォーレンスの当主が、あの手この手を使っているらしいが、貿易業は傾いていた。

付け込む隙はたくさんある、とついルイフィリアは思ってしまう。


そして。

ウォーレンス家にはもう1人娘がいた。


それこそが、ルイフィリアの宿敵とも言える魔女の転生した姿だと、彼はすぐに気づく―――


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