アリシア・ウォーレンス。
金色の髪に、青い瞳。
そして産まれた時期。
すべてが、魔女に一致した。
まだ覚醒してはいないだろうが、魔女の覚醒はほとんどが思春期だ。
その時が来るまでは、目覚めないだろう。
気に入った娘と魔女。
その存在が、ルイフィリアを悩ませる。
しかし、悩んだ彼は何度も学園の図書館に足を運んだ。
そして、声もかけずにひっそりと、本棚の隅からセシリアを見た。
彼女はいつも寄贈された本を握っている。
いつも彼女は母の本と共にいてくれた。
何度も、何度も、ルイフィリアは図書館へ通う。
それはもう、母の本を欲していたからではない。
セシリアに恋していたからだ。
「坊ちゃま!また図書館ですか!」
「そ、そうだが、悪いのか、ハンス!」
「何をそんなに図書館にばかり通っているのですか!」
「そ、そ、それは……」
好きな娘がいると、彼は言えなかったのだ。
恥ずかしくて、言えなかった。
恋愛などしたことがなくて、言えなかった。
顔を真っ赤にさせるルイフィリアは、まるで少年のようだとハンスは思う。
「坊ちゃま、お察しいたしますが、はっきり申されませんとハンスやマリアは動けません」
「う、そ、それは」
主からの命令がなければ、雇われ人は動けないのだ。
ハンスはルイフィリアの目的や気持ちを理解した。
しかし、理解することはできても、命令はない。
それでは、動きたくても、動けない。
「……ハンス、気に入った娘を嫁にもらうには、どうしたら、いい?」
「お連れくださいませ、坊ちゃま」
「その……相手は、俺のことを、その、何も……知らないんだ」
「まさか、ずっと物陰から潜んで見る為だけに、学園の図書館に通っておられたのですか!?」
その通りだ。
ルイフィリアは、セシリアに話しかけることもできず、物陰から見つめることで自分だけの恋を育てていたにすぎない。
あまりにも奥手すぎる主人に、ハンスは呆れた。
パーティーでは近寄る令嬢たちを、泣かせんばかりの冷たさで追い払っているのに、いざ自分が好きな相手には何もできない。
しかも学園と言えば、まだ若い娘だ。
年下が好みだったのか、とハンスは思いながら、息を整える。
「坊ちゃま、お相手は」
「……カリブスの妹だ」
「は!?」
「……セシリア・ウォーレンス」
奥手すぎてどうしようもない上に、元部下の妹に恋をしたのか、ハンスは一瞬思考が停止した。
しかしすぐに気を取り戻す。
「坊ちゃま、まずはウォーレンス家にご挨拶をされるのが先決かと」
「……そうか、結婚を申し込んで、金を払うと言えば早いか!」
「は!?」
「金は幾らある、ハンス!!」
ルイフィリアは幼い時から真面目な子だった。
父と母の穏やかな部分を受け継いで、でも少し悪戯の好きなところもある。
しかし、本当に真面目でいい子だ。
だから、恋愛など何も知らない。
知らないから、分からない。
分からないから、適切な答えが出ない。
愛する娘を金で買うという暴挙に出ている。
しかし、やる気満々だ。
ここまで来ると、ルイフィリアは止まらない。
「坊ちゃま、その、結婚資金に関しましては問題なく……」
「では、ウォーレンス家に縁談の話を送れ!」
「坊ちゃま、その、本当によろしいのですか?」
「ああ、構わん!金なら好きなだけやってしまえ!」
違う、とハンスは思ったが、ルイフィリアは娘が妻になると思って喜んでいた。
戦争が終わってから、あんなに落ち込んでいた彼が、みるみる元気になっていく。
その姿を見て、ハンスは嬉しく思いつつもこれから、この家がどうなっていくのか不安でもあった。
ルイフィリアは、真面目過ぎてちょっと困ったところのある男性だ。
恋愛などまともにしたこともなく、それを飛ばして結婚するという。
騎士団に入ったばかりの頃は、基礎をおろそかにするな、と何度も教えたはずなのに。
しかしハンスは、喜んで妻を迎えるというルイフィリアに従い、資金の準備とウォーレンス家へ縁談の話を届けた。
事業が傾いているというウォーレンス家は、学園を出たばかりの長女をすぐに嫁に出せる上に、相手が騎士団長となれば万々歳だろう。
娘の答えなど知る由もなく、父親はさっさと縁談話を決めてしまった。
セシリアがやってくるという時まで、ルイフィリアは落ち着かず、イライラして、とても困った調子である。
恋愛というものを飛ばして妻を娶ることは、珍しい話しではないものの、彼の性分に合ってはいない。
本来ならば、時間をかけて愛を育み、手を取り合って結婚するのがルイフィリアの流れなのだが、それを打ち破ったのは彼自身だ。
とにかく、セシリアを家に迎えたい。
彼女が愛しくて、たまらない。
そんなルイフィリアの姿を見ると、前騎士団長のかつての姿を思い出す。
遠征に行けば行った先で、娘が彼に恋をする。
彼は悪気なくまんざらでもない態度なのだ。
時にはそれが、男性や少年という同性であることもあった。
まさに人誑し、その鱗片をハンスは初めて、ルイフィリアに対して見る。
(まさか、こんなことで恋に落ちるなんて)
騎士団の男は、元々野心家や情熱的な男が多い。
家族を愛することが基本ではあるが、所帯を持つまでは恋多き男と呼ばれる者もいるくらいだ。
しかし真っすぐな騎士団員であれば、誰もが真っすぐな恋をすることが多い。
一度相手を見つけると、一途にその人を愛する。
それは女騎士であるマリアも同じで、死んだ夫を今でも愛し続けていた。
だから、ルイフィリアの一途さも間違えではない。
しかし、まさか彼がこんな手段をとるなんて、と思ったのが本音だった。
(しかし、夫婦生活が上手くいかなかったら……落ち込むのではないか?ちゃんとそのあたりは分かっておられるのだろうか、坊ちゃまは)
両親を亡くした彼を止める者はいない。
心配してくれるハンスやマリアは側にいても、諫めて止めてくれる人はいないのだ。
その為、ハンスの目にはルイフィリアが暴走しているかのように見えた。
セシリアを迎え入れることはいい。
近くに赤髪で緑の瞳の乙女を置いておくことで、魔女との対峙がしやすくなるのは、騎士団ならば分かっている話だ。
しかし、そのセシリア・ウォーレンスという娘が、どんな娘なのか、誰も知らない。
学園を出たばかり、嫁の貰い手も決まっておらず、実家に戻っただけの娘。
特別才女であるとの噂もなく、そもそも貿易業が傾いた家の娘だ。
偶然にも容姿がエルデに似ているだけで、それ以外何も持ち合わせていなかったなら。
気も利かず、知識も知恵もなく、ただパーティーで華やかに立っているだけが仕事のような娘だったなら。
そんな娘だったなら、ルイフィリアが落胆してしまう。
ハンスは、セシリアを迎えに行く馬車でそう思った。
その時のルイフィリアの落胆を考えると、次はもう立ち直れないだろう、とも思ってしまう。
家族を失い、やっと立ち上がったのに。
それがまた挫かれたなら。
立ち上がれるというのだろうか。
大きな心配を胸に、ハンスはセシリアと初めて会う。
しかし、その心配など一切無用であった。
セシリア・ウォーレンスは、そのあたりの貴族の令嬢とは段違いの才女だ。
ドレスや髪型、化粧に至るまで、質素で清楚で、自然。
それはまるで、エルデの面影さえ感じてしまうくらい。
赤い髪を伸ばして、軽く結っただけの姿は、自分でしたのではないかと思う。
質素なドレスは、妹とは大違いだ。
妹は上等な生地で華やかなドレスを着ているのに、彼女は茶色に近い落ち着いた赤のドレス。
リボンも飾りもほとんどなく、貴族の令嬢とは思えない格好。
しかし、話し方も礼儀作法も、空気の読み方も間の取り方も、すべて『自然に思わせることができる』という凄さ。
だからハンスは、彼女が他の令嬢とは段違いだと感じたのである。