ハンスはグラース家に来たセシリアを見て、最初に自分が感じていた心配はすべて無駄なことだった、と思う。
この娘は、違う。
この娘は、ルイフィリアにふさわしい女性だ、とすぐに思った。
セシリアという娘は、その髪と瞳の色こそ、エルデにそっくりであったが、中身はきちんと貴族の令嬢としての作法も分かっている娘だった。
エルデは騎士団にいたこともあり、それこそ無作法。
そこら辺の子どもと変わりがないような、そんなところがあった。
しかしセシリアは、まるで分っているかのように貴族の娘だ。
そして、貴族の娘以上に何もかもが上手い。
特に貴族の娘がしない、炊事に関しては絶品と言えた。
妹の為に作っていた、と彼女は語るが、その美味い料理や焼き菓子に、ルイフィリアはすぐ惚れ込んだ。
胃袋を掴まれるとは、本当にこのことだとハンスは思う。
そして、それはルイフィリアも同じであった。
本が好きで、母に似た娘。
しかしその中身は、母と違うところがたくさんあって、面白かった。
どこの貴族の令嬢も、美しい化粧やドレスで着飾って、ルイフィリアの前に立つ。
しかしセシリアは違った。
彼女は、普通にルイフィリアの側に立ってくれたのだ。
毎朝の子どもたちの面倒を見ることも、自分ができることを探してまで一緒に参加し、一緒に固いパンを食べる。
マリアと一緒に料理や洗濯をして、子どもたちに文字や計算、刺繍を教える。
ハンスに頼んで片付けも手伝い、馬にも好かれた。
ルイフィリアは、彼女を選んだことが間違えではなかった、と思う。
セシリア・ウォーレンス。
10も年下の娘。
しかし彼女を選んだことは、ルイフィリアの孤独を打ち破り、このグラース家にまた笑顔を運んでくれたのだ。
ルイは、私と出会ったのは学園の図書館だと言った。
でも私はルイに会った記憶がなく、彼も声はかけていない、という。
それくらいのことで、と思ったけれど彼は本気のようだった。
「お、俺にとって、母の本を大切そうに抱きしめるお前が、何より愛しかったんだ」
「でも、その、結婚は……ウォーレンス家への資金援助の為だと」
「そ、そ、それくらいで、お前がこの家に来るなら、安いと思ったんだ!その、ふたを開けたら、予想以上にカリブスが傾かせていたがな」
「私、その、ルイは……お金の為だけに私を迎えてくれたはずなのに、どうしてこんなに優しいのかと思ってました……」
つい本音を漏らす私に対し、ルイは目を丸くした。
彼にとって、私の本音は気分のいいものではなかったのだろうか。
「……は、ずかしくてな」
「私は、何も知らずに連れてこられたのですが」
「す、すまない。俺は、やはり、その、会話は苦手でな……」
「あら、子どもたちとはよく話をしておられたじゃないですか」
「惚れた相手の前で話せなくなるくらい……って、変なことを言わせるな!」
ルイは怒り出したかと思えば、顔を真っ赤にさせて、私の手を取ってくれた。
屋敷はボロボロになってしまったし、マリアさんも怪我をしてしまったけれど、みんな生きてる。
よかった、と思った。
でも、人間とは安心すると違うことを考えてしまうもの!
「そうだわ、お兄様の恋人は見つかったんですか!?」
「その話は、頭が痛くなる」
「あら、何かあったんですか!?」
「目を輝かせるな!まったく、死にかけた娘の目じゃないぞ」
「だって、お兄様の恋物語が気になるんです!貴族と身分違いの恋愛!」
呆れた顔をルイはしたけれど、私はそういう話が大好きだ!
貴族のお兄様と身分が違うお嬢さんの恋!
キラキラに輝く恋物語としか思えない!
「結論だが、会うことはできた」
「会うことは……」
「だが」
「だが!?」
私はついついルイに迫ってその答えを求めてしまう。
ルイは私を押しのけて、大きなため息をついた。
「だが、娘はカリブスのもとには来なかった」
「どうして……」
「東の国に続く山岳に、娘の一族はいた。しかし彼女はそこを離れるわけにはいかないとの話をしていた」
「ど、ど、どうしてですか!?もしかしてご結婚を!?後継ぎ問題!?」
「話を大きくするな、セシリア」
だって気になる!
もしかして、お兄様の恋人はすでに誰かの花嫁に!?
それでも、お兄様を忘れられず!?
「ど、ドロ沼ですわ……!!」
「山に泥沼はなかったぞ?」
「い、いえ、こっちの話です!それで、お兄様はどうされるんですか!?」
自分で馬を走らせるほどの根性を出した兄だ。
きっと今回は諦めきれなかったはず!
「セシリア~!お兄ちゃんの悪口は駄目だぞぉ~!」
「お、お兄様!!」
お兄様はいつものようにヘラヘラしてやってきた。
それでもルイやユーマと肩を並べて戦っていた人だ。
どうして騎士団に戻らないのだろう、と何度も思ってしまう。
「お兄ちゃん、決闘に行ってくる!」
「は……?」
「だぁからぁ!決闘だよ!」
私の目は点になった。
点になって、こぼれ落ちそうだった。
兄は、何を言っているのか?
この世界で決闘となれば、それはそれは大変な行事になる。
例えば、相手と立場を争って行ったり、自分の身の潔白を示す為など、意味は色々あるがとにかく大変なのだ。
兄がハンスとの決闘を拒んだことも、よく分かる。
兄にとって、恩師であるハンスは恐ろしい存在なのだろう。
でも、話がよく分からなくて、私が首を傾げていると、ユーマがやってきた。
「あっちの族長が、娘は決闘の景品だから、金を積まれてもやらねぇって言われたんだわ」
「決闘の景品!?」
「欲しいなら決闘に出て、優勝するしかねぇって話」
ユーマは面白そうにニヤニヤしている。
でもまるで少年漫画のような話になっていませんか!?
って、この世界ではそんなの許されるの!?
基本的人権は!!??
お金の為に嫁にされた、と思っていた私が言うのもなんだけれど!
「け、決闘だなんて……」
「まあ、あっちの方はそうやって花嫁の相手を探すってやり方は多いんだぜ。強い男は一族を守る男にもなるからな~」
「ユーマ!そんなに簡単に言わないでください!お兄様は現役の騎士団ではないのですよ!」
そう、私が一番心配したところはそこなのだ。
兄の実力で決闘なんかに出て、まさか負けたら首を飛ばされるなんてことにならないだろうか……。
ルイは大きなため息をつき、お兄様へ言う。
「だから言っただろ。腹を括れ、カリブス」
「え~」
も、もしかして!
お兄様が、騎士団に復帰される、とか!?
「カリブス、ハンスに1から稽古をしてもらえ!」
「そっちー!?」
お兄様の騎士団復帰には、副団長の大きな壁がある!
でも、この調子でお兄様が結婚相手と騎士団復帰を果たせたなら、ウォーレンス家も安泰するはず!
我が家から騎士団員を輩出したとなれば、父も鼻が高いはずよ!
いい噂が流れれば、事業も!
「やだなぁ」
「おい!」
「だって~」
目の前の兄は、まさにハンスの稽古は受けたくないというのが見え見えだ。
きっとハンスはとても厳しいのだろう。
いつも自分を律して生きているハンス。
彼に鍛えられたなら、と言っても一度は失敗している。
こ、今回は大丈夫なのかしら?
「カリブスの旦那さぁ、あっちの男は強いぞぉ。旦那の剣は速いけど、それだけじゃ勝てねぇぜ?」
「そうなのかい、ユーマ?」
「はは、まあ現役の騎士団ならいいかもしれねぇが、今の腑抜けたアンタじゃ無理無理!」
「みんな酷いなぁ」
兄はそう言って、ソファーに座り呆けてしまった。
そう、彼はいつもいっぱいになると、駄目なのだ。
頭の中がいっぱいになる。
私が話しかけようとしたら、ルイに止められた。
「カリブス、少し考えろ」
ルイの言葉に、お兄様の返事はなかった。