お兄様ははっきりとした答えが出ないまま、ソファーで伸びている。
もう、何をさせても駄目な兄。
どうして。
好きな女性の1人くらい、守れないの?
そう考えた時、私は自分がどれだけルイから愛されているのかを感じた。
彼は、私を守る為に何重もの守りを準備してくれていた。
それを易々と抜けてきた魔女の存在も、恐ろしいけれど。
アリシアのくれたネックレスに反応していた、なんて、思いたくない。
「お茶の準備をしてきますね」
「ああ、頼む」
私は、空気を換えようと思い、お茶の準備に移動した。
マリアさんは怪我の治療をしているから、休んでいるだろう。
当分は私が……と思って厨房に飛び込むと、そこにいたのはマリアさんだ。
「マリアさん??」
「あらぁ、奥様!すみません、お見苦しいところをお見せしてしまってぇ」
「そんな!私、マリアさんのおかげで助かったんですよ!寝ててください!」
「いいえ、奥様!マリアの最前線は今はここですよ?」
厨房を指して、マリアさんは言った。
マリアさんは、まだ傷が痛むだろうけれど笑顔だ。
こんなことがあっても、彼女は私のことを心配してくれる。
まるで、本当のお母さんみたいだ。
私はつい涙をこぼしてしまって、マリアさんはそれを優しく拭ってくれた。
「奥様が無事でよかったです」
「マリアさんがいてくれて、よかった……」
「奥様、マリアは必ず奥様を守りますよ。それも坊ちゃまの幸せです」
この家にいる人たちは、みんな私を守るために居てくれる。
ルイと私の幸せを願って。
私の新しい家は、こんなに幸せな場所なのだ。
「うふふ、奥様、お茶にしましょうね。高級な茶葉はちゃーんと隠してましたから!」
マリアさんは棚の中から茶葉を出し、ニコニコ笑った。
私もつられて笑い、2人で厨房を片付ける。
まるで本当の母娘のように、笑ったり、泣いたりしながら。
温かい紅茶の準備ができると、マリアさんはまた棚の中を探し出す。
「マリアさん、今度は何を探しているんですか?」
「確か、ここにクッキーが……!ありましたぁ!」
棚から出てきたのは、私が手作りしたクッキーだ。
そのクッキーはアリシアが大好きで、ルイも好きになってくれたレシピ。
「ふふ、これであの食いしん坊を静かにさせることができますよ!」
「あ、みんな朝食がまだですよね?」
「はい!これを出している間に、何か準備しましょう!」
「こ、子どもたちは……!」
この時間なら、本来ならいつも子どもたちが集まってきているはず。
私は自分のことでいっぱいになっていて、すっかり忘れてしまっていた。
どうしよう、と思っていると後ろから現れたのはハンスだった。
「ご心配は要りませんよ、奥様」
「ハンス!」
「子どもたちには、屋敷にある食べ物を持たせて帰らせました。結婚式の準備をしている、と伝えております」
「よ、よかったぁ……」
安心した私は、ハンスの手際のよさにとても感謝した。
私はハンスに話したいことがあったので、彼と一緒にお茶を持っていくことを提案する。
「あの、ハンス」
「はい、奥様」
「あの、お兄様のこと、ありがとうございました。その、一緒に行ってくださって……」
「問題はございません、奥様。カリブス様のことはよく知っておりますし、久しぶりに昔を思い出しました」
少しだけハンスの目に輝きがあったように思う。
まるで、戦場に戻ったかのような、いきいきとした目。
これが本当のハンスなんじゃないか、と思うと、不思議な気持ちになる。
彼はいつも落ち着いていて、しっかりとグラース家を守ってくれる人だ。
でも、本当は戦場に戻りたいと思っているなら……。
いいえ、彼はそんな人じゃない。
そんな人ではないから、ルイが信頼している。
若手ならたくさんいるはずなのに、それでもハンスに副団長を頼んでいるのだ。
それは、まさに信頼しかない。
「それから、あの、お兄様が決闘に……」
「今のカリブス様では、難しいでしょう」
「や、やっぱり、そうなのですか……」
「私が見た部族の者たちは、大変屈強な殿方ばかりでした。カリブス様の剣は、全盛期とは言えませんので、難しいと思います」
はっきりと言われてしまい、私は少し落ち込んだ。
兄の恋を実らせてあげたい。
私の知っているお兄様の中で、今回が一番しっかりしていた。
それだけ彼の想いが強かったのだと、妹の私にも感じ取れたのだ。
だから。
だからこそ。
私は、兄の想いを叶えてあげたい!
「ハンス、お願いです。大変だと思いますが、どうか、お兄様に稽古をつけてもらえませんか!」
「奥様……」
「お兄様は馬鹿で、商才もなくって、家の事業を傾かせてしまった張本人です。でも、そんな兄でも、幸せになってもらいたいんです!」
お兄様だって、騎士団として命を懸けてきた時間があったはず。
馬鹿馬鹿と言われてきたけれど、それでも幸せになって欲しい!
それが私の気持ちなのだ。
「なんでセシリアが言っちゃうの~?」
いつもの呑気な声がしたので、驚いて見ると、そこには兄がいた。
いつもの笑顔、いつもの声。
でも、さっきまでソファーで呆けていた姿ではない。
そこにいたのは、私の知らない、カリブス・ウォーレンスだ。
お兄様は、ハンスの前へ来て、頭を下げた。
その綺麗な金色の髪が、垂れている。
「ハンス副団長。今までの非礼をお詫びします。このカリブス・ウォーレンスに、今一度、ご指導いただけませんでしょうか」
お兄様が、頭を下げている!
お兄様が、ちゃんと他人にお願いをしている!
私はそれだけで、大きな感動を受けた。
「……私が副団長を引き受けたのは、騎士団長、ルイフィリア・レオパール・グラースの命があったからです。騎士団の為ではなく、このグラース家の為」
ハンスの声はとても落ち着いていて、いつもの彼のままだ。
でも、少しだけその目の奥に、光るものがある。
「グラース家に奥様が来てくださいました。奥様は、新しい我が主。奥様の願いを、ハンス・ペダゴーグは叶えましょう。指導が終わるまで、カリブス・ウォーレンスはかつての愛弟子とみなします」
「よろしくお願いいたします」
兄は頭を下げたまま、そう言った。
初めて聞いた、兄の礼儀正しい言葉。
私はそれだけで、感動してしまう!
「カリブス、頭を上げなさい。当面は指導の為に、グラース家へ滞在してください。途中、坊ちゃまの結婚式があります」
「お兄様、決闘はいつなんですか!?」
私が兄に飛び掛かるようにして、尋ねると、答えはルイが言う。
ルイは、少し嬉しそうな表情をしているように感じた。
きっと、お兄様が前に進んだのを彼も分かったのだろう。
「来月の頭だな。まあ、結婚式の後、2週間ほど時間がある。カリブスの稽古に俺も付き合おう」
あれ、楽しんでいる?
ルイは楽しそうな、そんな感じを受けた。
やっぱり、馴染みの人がいると嬉しいのかな。
私は、それが嬉しいと思うのと、少しだけそれが私ではないことに、不思議な苛立ちを感じた。
ああ、それって、恋なの?
愛なの?
私は、ルイをちゃんと愛しているのだ。
だから、彼の気持ちが兄に向いている今、苛立ちを感じるのだ。
「じゃあ、俺も手伝うかなぁ?」
「お前、国に帰らなくてもいいのか?」
「おう、へーきだわ!ちゃんと雇い主には話してっから!」
ユーマまでそんなことを言い出して、私の出る幕はちっともない!
でも、初めてお兄様が認められたのを目の前で見て、嬉しい気持ちもある。
でも、私はどうしたらいいの、と思う気持ちもある。
いいなぁ、男の子は。
剣を振るって、馬に乗って。
突き合っても、泥だらけになっても、許される。
彼らの絆に対して、私はとても羨ましさを募らせるのだった。