ルイフィリアの母であるエルデは、父が国外で見つけてきた女性だった。
どこの国なのか、はっきりとは聞いていない。
東の方ではないか、とハンスは言うが、それを父がはっきりと言ったこともなかった。
エルデは1人ではなかった。
彼女には、まったく似ていない姉が1人いたのである。
金色の髪に、青い瞳の姉。
姉妹と言われても、誰も信じなかった。
活発なエルデとは対照的に、姉は控えめで淑やかな女性だ。
どちらが姉か、と聞かれなければ分からないくらい、影が薄く、美しくはあったが、どこか不幸の匂いがする女。
しかしエルデは結婚の条件に、姉も一緒に連れていくことを出した。
そして、その姉にも結婚相手を見つけて欲しい、と言うのだ。
ルイフィリアの父は、騎士団の1人を姉と引き合わせ、2人は恋に落ちる。
幸せそうな姉を見て、エルデはやっと自分の結婚を受け入れた。
だが。
グラース家の人間は、エルデとその姉の運命を知っている。
もしも違うならば運がよかっただけのこと。
姉は魔女で、妹は赤毛の伝説を持つ女。
しかし、長き日に渡り、グラース家は安泰した。
そう、むしろ安泰したのである。
嫁に出た姉も幸せそうになり、騎士団も大きくなり、エルデは男児を2人産んだ。
魔女の伝説などなかったかのように、幸せだったのである。
しかし、すべては次男が騎士団へ入って3年経った頃に起きる。
突然、姉は魔女に覚醒し、大きな戦争を起こした。
美しく優しい姉は、ただの魔女に変貌し、夫のことも、エルデのことも忘れた。
騎士団に攻撃を繰り返し、ついには国を滅ぼそうとしたのだ。
ルイフィリアは、優しかった伯母が変貌してしまった姿を目の前で見ている。
あんなに優しかった伯母が。
あんなに美しかった伯母が。
目の前で、人を殺す魔女となり果てたのだ。
あの時の絶望や哀しみは大きかった。
だが、ルイフィリアよりもエルデの絶望の方が大きかった。
大切な姉が、魔女になってしまったのだ。
その日まで、エルデには何も説明されていなかったと、ルイフィリアは言う。
エルデはただ嫁に来ただけだと思っていた。
姉が魔女に覚醒するなど、知らなかったのだ。
最期に魔女の胸に剣を突き立てたのは、エルデだ。
夫と息子を殺された、母の強さ。
しかし、魔女の呪いを受けたこと、心労が祟ったエルデは、深手を負っていたことも重なって命を落とす。
ルイフィリアに、幸せになって欲しい、と願って。
なぜ魔女が転生を繰り返すのか。
なぜ魔女が女の容姿を選んで、転生するのか。
その理由は明らかになっていない。
しかし、魔女は伝説の通りに覚醒する。
覚醒した後には、必ず大きな戦争が来るのだ。
それが繰り返されれば、繰り返されるほど、国や騎士団は疲弊する。
魔女の目的が明らかになり、何か手段があれば変わることもあるだろう。
しかし、それがいまだにわかっていないので、ルイフィリアは自分の世代で終わらせたいと強く願っていた。
そして、そこで出会ったのがセシリアだったのだ。
伝承そのまま、母と伯母の関係と同じように、赤い髪に緑の瞳のセシリアと、青い瞳に金色の瞳をしたアリシア。
そして、セシリアに恋したルイフィリア。
すべてが重なりあった時、動き出した運命は、いまだ止まることを知らずに進み続けている。
魔女との戦争は、とても苦しいものだとルイフィリアは思う。
それは魔術を扱うことだけではなく、精神を侵されることがあったり、それによって仲間の裏切りや死を目の当たりにしなければいけなくなるからだ。
特に彼は、両親を失い、弟まで失った。
大切な家族の死を受けて、どんなに強い騎士でも、立ち上がれないほどに痛めつけられる。
多くの人が殺され、命を落とし、土地が穢れ、何もかもが狂う。
その狂った世界で1人になることは、それこそ辛いことなのだ。
焼け野原にただ1人、ただ立っているだけ。
その苦しみや哀しみを知っているルイフィリアは、その気持ちを他の誰にも味わわせたくない、と思ってしまう。
特に愛したセシリアのことは、本当に幸せにしたいのだ。
魔女の姉という、そんな苦しみの中に彼女を置きたくない。
かつて母が味わった苦しみを、彼女にも経験させたくなかった。
愛する人が、大切な人が、魔女になり果てた時の絶望。
その人から攻撃され、傷つき、苦しむ日々。
哀しみの涙は深く、そこには何も生まれない。
母は、どれだけ辛くとも、剣を振り続けた。
魔女となった姉を救うべく振り続け、ついには共に命を落としたのだ。
だが、そんなことをセシリアにはさせられない。
ルイは、魔女の話をする時にとても哀しみの深い目をしていた。
そこには、多くの苦しみや哀しみによって、傷ついた彼がいる。
父を失い、母を失い、共に肩を並べて成長してきた弟を失った。
それがどれだけ辛いことだったか。
「……セシリア」
「はい」
「伯母の夫は、まだ生きている」
その言葉に、私は息を飲む。
まさか、と私は思い当たる人がいたからだ。
「ハンス……」
「ああ」
年代や時期を考えればそうかもしれない。
そして、ハンスが懸命にこのグラース家を守ろうとしていること。
そのすべてを考えれば、彼しかありえなかった。
「ハンスは、伯母が亡くなった後もずっとグラース家にいてくれている」
「いい人ですね……お辛いことも多かったでしょうに」
「ハンスと伯母には子どもができなくてな、俺や弟のことを我が子のように可愛がってくれたんだ。特に、伯母なんて……」
伯母、その人が魔女になってしまったのだ。
魔女は何を条件にその人へ転生するのか。
勝手に転生すればいいのに!
どうして誰かの中に転生するのよ!
私はそんなことを思いながら、拳を握った。
「伯母はとてもいい人だった。物静かで穏やかな、母とは正反対の人で。でも料理は美味いし、裁縫もよくできてな。母と足して割ったら、セシリアくらいになるかもしれない」
「そ、そんなこと……」
「俺は、お前に母だけを見たわけではない。かつて俺を愛してくれた伯母のことも感じていた。どうして、あの人が魔女にならなければいけなかったのか。どうして、伯母だったのか……どうしても、許せなくて」
許せない。
その気持ちを、今度は私が持つかもしれない。
大切な妹であるアリシアが魔女に覚醒した時。
私は、その思いを持ってしまうのだろう。
「伯母はハンスのことをとても愛していた。そして、ハンスも。仲睦まじい2人の姿は、騎士団でも有名だったんだ。きっとカリブスもそれを知っていて……」
「……お兄様、何も教えてくれなくて」
「カリブスはああ見えて、1人で背負い込む奴だからな。いつも1人で戦場に斬り込んで、傷ついて、仲間を守って……」
私の知らない兄の姿。
あの兄が、どうしてそんなに仲間を大事にできたというのか。
家族すら大事にしてくれなかったのに。
それとも、あれがお兄様の優しさ?
アリシアが魔女だとわかっていて、家に帰ってきたと言っていたから、それだけが目的?
もしかして。
「お兄様は……今度は自分の手でアリシアを」
「それは分からない。しかし、アイツの考えそうなことだ」
「そんな、2人は血のつながった兄妹なのに……」
「母も、そうだったんだ、セシリア」
魔女は、血のつながった者同士を争わせ、苦しみの中へ突き落す。
それが目的?
でもそれに何があるというの?
何も生まない、むしろ失うばかりの争いに、私は妹を巻き込みたくない。
「ルイ、やっぱり覚醒を止める方法はないんでしょうか?」
「……魔女として転生した者は、いつか必ず覚醒する。その覚醒がいつなのかは、はっきりしていない。伯母は結婚した後だったからな、成人した後だと思いたいが……」
そうなれば、もしかしたらアリシアは王子の側で争いを起こすことになってしまうの?
そんなことになれば……。
この国は、どうなってしまうのか。