お兄様はすでにグラース家に住み込んで、毎日ハンスと剣を交えている。
たまにルイとユーマが交代していて、ほぼ1日中特訓中だ。
兄にこんな集中力があるとは思わなかった。
正直、驚いていている。
こんなに頑張る兄の姿を、初めて見たのだ。
お兄様って、目的がしっかりしているとこんなに頑張る人なのね。
驚きばかりを感じてしまった。
朝は早くから、途中は子どもたちも集まって、兄は毎日剣を振る。
それに付き合ってくれるハンスにも感謝だし、ルイやユーマにも感謝しなくちゃいけない。
特にルイは騎士団のことや、結婚式の準備で大変だろうけど、真剣にお兄様に付き合ってくれていた。
ユーマは少し面白がっているところがあったけれど、剣以外のことをよく教えてくれているようだ。
体術というものかしら、たまにお兄様は殴られた跡を作っている。
それでもお兄様は文句を言わないし、誰も諦めなかった。
「ユーマ、少し手加減してやれ。結婚式に、花嫁の兄の顔が酷いものでは、国王に笑われるぞ」
「へいへい。だって、カリブスさぁ、剣は速いのにそれ以外はおっそいもんなぁ」
そんなことを言われても、兄は諦めていなかった。
兄のその瞳には、希望の光りしか見えないのだ。
そんな目ができる人だなんて、知らなかった。
「ユーマは筋肉の割に速すぎるんだよぉ」
兄は、そんなことを言いながらも少し楽しそうだ。
やっぱり、父の仕事を引き継ぐよりも、騎士団の方があっているんじゃないかしら。
私はそんなことを思いながら、子どもたちの朝ごはんを準備し、持っていく。
その中に彼らも入り、一緒に食事をする。
お兄様が子どもたちと並んで食事をすることにも驚いたけれど、やっぱり騎士団の頃を思い出しているんじゃないのかしら。
家族とはこんな風に並んで食事をすることは、滅多になかった。
静かな食卓に、私とアリシアばかり。
忙しい両親はなかなか私たちの側にはいてくれない。
お兄様もそうだった。
「お兄ちゃんはどこから来たの?」
「え?」
兄の側にいた少女が、そんなことを聞いてきた。
最近現れた珍しい存在に見えたのだろう。
「えーっと」
「お兄ちゃんは、王子様なの?」
「え!?」
きっと少女は読み聞かせてあげた絵本に出てきた、素敵な王子様のことを思い出しているのだろう。
金色の髪に青い瞳、白馬に乗って、腰に剣を携えた王子様だ。
確かに、今の兄の姿は絵本の中の王子様と言ってもおかしくはない。
目を輝かせて聞く少女に、兄は困り果てていた。
アリシアの相手もまともにしてこなかったのだから、それよりも幼い子どもの言葉に上手く反応できるはずがない。
「お兄様は、私のお兄様よ」
「先生のお兄ちゃんなの?」
「ええ、そうよ。髪の色も目の色も違うけど、私の大切なお兄様なの」
兄を助けるつもりで少女に話しかける。
少女は微笑んでくれた。
「先生のお兄ちゃんなら、いいお兄ちゃんだね」
「ええ、そうよ」
子どもたちはみんな純粋でいい子たちばかりだった。
しっかりと食事を食べさせ、家に帰す。
ルイがこういったことをしなければ、あの子たちはまともに食事も食べられないのだ。
子どもたちが帰ると、兄はまた稽古に励むのだろうと思っていたけれど、私の側へ寄ってくる。
どうしたのか、と思って見ていると、兄は少し寂しそうな顔をした。
「セシリア」
「どうしました、お兄様?」
「僕はさ、お前のこともアリシアのこともまともに相手にしてこなかったからね。あんなに小さな子に、何をどう言ったらいいのか分からないよ」
「気にしないでください、お兄様。お兄様がそういったことが不得手だと、分かっております。それに人間そのうち慣れるものですよ。ルイだってちゃんと子どもたちの相手ができていますし」
私がお兄様へそんなことを言ったら、ルイが飛んでやってきた。
真っ赤な顔をしている。
「セシリア!余計なことを言うな!」
「あら、そうでしたか?」
「に、にこにこして……!」
「いつもと同じ顔です」
私はそう言いながら、恥ずかしそうにしているルイを見た。
兄はそんなルイを見て少し笑ったけれど、ルイのそんな姿さえも受け入れているようだ。
ただの貴族の馬鹿な息子。
家を傾かせるばかり。
できもしないのに事業に手を出す。
どこのご令嬢も兄からは離れていく。
そんな人だと思っていたのに。
今、目の前にいるのは自分の人生をしっかりと歩く、真っすぐな青年だ。
「ルイ、剣の相手をしてよ」
「ああ、分かった。でも後は、ユーマに頼むぞ。俺は結婚式の準備がある」
「えー、分かったぁ」
「どちらにせよ、お前の剣は十分だ。それよりも体術を伸ばした方がいい」
ルイは、お兄様のことをよく見てくれていた。
彼からの指摘に、お兄様も分かっているようで素直に受け入れている。
「セシリア、結婚式の流れを確認するから準備をしておけ」
「はい、分かりました」
「マリアにも料理のことを最終確認しよう」
「はい」
2人は稽古へ、私はマリアさんのところへ行くことになった。
廊下を歩きながら、やはり兄が騎士団へ戻らないだろうか、と思ってしまう。
確かに我が家の跡取りはいなくなってしまうけれど、それはまた別の問題だ。
お兄様には、お兄様らしくいられる場所にいて欲しいな……。
厨房に顔を出すと、マリアさんが忙しそうに準備をしていた。
まだ傷が治っていないはずなのに、大丈夫だろうか。
「マリアさん!」
「奥様!」
「そんなに動いて、もう大丈夫なんですか?」
「はい、大丈夫ですよぉ!」
笑顔で料理の準備をしていく彼女は、いつも元気そうな雰囲気だ。
いつでもマリアさんはそんな人だけれど、本当は引退した騎士団員。
しかも、騎士団初の女騎士という。
私はマリアさんの手伝いをしながら、話をしてみた。
「マリアさん、その」
「どうしましたぁ、奥様?」
「その、マリアさんはどうして騎士団に入ったのかな、と」
「ああ……そうですねぇ、あの頃は若かったからぁ」
うふふ、と頬に手を当ててマリアさんは少しだけ、恥ずかしそうに笑っていた。
私は、ぜひその若き日の話を聞きたい、と頼み込む。
「そうですねぇ、私は貧乏な家の出身で、女はお嫁に行くか、家の為に働くか、それくらいしか道がなくって。私の父や兄も騎士団を目指していましたけど、そもそも我が家では学園に入れませんでしたぁ」
「学園に入ると、騎士団の試験までが分かりやすいですものね」
「ええ。だから兄は成人すると家を出て行って、何度か戻った時には荒くれ者の傭兵集団にいました。大して才能はなかったんですけれどねぇ」
「傭兵集団……」
「そうです。まずまず能力はあるけれど、騎士団にはなれない、騎士団のように立派な精神や目標を持つことができない者は、傭兵を選びます」
「まさか、マリアさんも傭兵だったんですか?」
「いいえ~!」
話を聞けば、マリアさんは身体能力が高く、それを偶然見たルイの父親に特殊な形で騎士団入りを許可されたらしい。
騎士団に入る条件として、厳しい訓練を強いられ、それを乗り越えたという。
「根性だけはありました。だから、私は戦場で肉の壁って呼ばれてしまって。酷いあだ名でしょう?」
「えっと、その、でも有名みたい……ユーマが言っていました」
「本当ですかぁ?いやだわぁ!」
彼女は、女でありながら戦場では決して倒れないと有名だったらしい。
それは仲間や騎士団長を守る壁として、大いに活躍したようだ。
すごいな、と思いつつそんな人がうちのメイドだったなんて、知りもしなかった。
騎士団で知り合った斧使いの男性と結婚したものの、夫を亡くして、自分の年齢も考えて引退したという。
「今はいっぱい女の子が剣を持ってますけどね。昔はそんなじゃなかったんですよ」
「マリアさん……」
「でも、時代は変わりましたから。女の子でも騎士団に入っていいんです。やりたいことをすればいいんですよ」
そう言って、マリアさんは満面の笑みを浮かべた。