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第69話

ひっくり返った父を見て、私はちょっとおかしくなってしまった。

あんなにお金が、事業が、とうるさかった父が、今は床にひっくり返ってしまっているのだ。

父にとっても、兄が騎士団であったことはびっくり仰天の事実だったのだろう。

お兄様は、お父様が騎士団に入りたがっていた、と言っていた。

それも本当だったのね。

でもお父様にその才能があるようには、私には見えなかった。


母は、驚いていたけれどひっくり返った父を支えもしない。

そんなことをするのは貴族の令嬢じゃない、というのが母の考え方だ。

仕方なく、アリシアが父を支えようとしていたので、私は慌てて手を差し伸べた。


「お、おとうさ、ま!!」

「カリブスが!あのカリブスだぞ!?」


あの、と言うところ、父も兄には期待していなかったのだ。

確かにお兄様は商売事には向かない人だ。

でも、逆に騎士団ならばよかったのか、と言われると、それも想像できない。

そう、想像できなかった。

けれども、私は兄の剣を見て、兄の動きを見て、騎士団に戻るべきだと思っている。


「お父様、しっかりしてください!」

「セシリア!本当なのか!」

「本当です、お父様!お兄様を見に行きますか?」


その問いかけに、父は息を飲んだ。

きっと事実を見るのが嫌なのだろう。

しかし、ルイはそんな弱さを許しはしない。

大事な友人を傷つけられた、と思っているに違いないからだ。


「構わんぞ。今、カリブスはハンスのところにいる」

「ご案内します、お父様」


父はやっと床から立ち上がり、ブツブツ小言を言いながら私に着いてきた。

グラース家の立派な廊下を歩き、中庭へ。

中庭の先には、ルイやハンスが使っている鍛錬場がある。

ここは芝生を抜いて、動きやすい地面にしているのだ。


そこでお兄様はハンス相手に剣を振っていた。

前よりも早くなったような気がするのは、私の目がおかしくなったからかしら!?

でもお兄様は素早く、細い剣が更に細くなるように動いている。

お兄様の剣は、ルイの持つ剣よりもとても細い。

きっと、素早さに応じたものを選んでいるのではないかと思う。


そんなお兄様を見て、お父様はまたひっくり返った。

どうしてそんなに、何度もひっくり返ることができるのかしら?

私は呆れて、アリシアを自分に引き寄せた。

この子まで変になってしまったら、困るわ。


お母様もお兄様を見ていたけれど、驚いた顔はしたものの、父ほどではない。

あらあら、と言っている感じだ。

母にとって子どもたちがどうであろうと、あまり興味がないのである。


「あれ、お父様?お母様も?」


金色の髪に汗を滴らせ、お兄様はこちらを見た。

そのお兄様の腹にハンスが蹴りを入れる。

あの人!

あんなに強いのね!?

吹き飛ばされたお兄様を見て、お父様は口を開きっぱなしだ。

もう開いた口が塞がらないというのは、このこと。


「っつ、た、く、そ……!」

「こんなことで気を抜いていては、勝てませんぞ、カリブス様!」

「うーわー、現役の時よりも厳しくない?」


はは、と乾いた笑いをしながら、兄は流れた血を拭う。

お兄様がこんな人だとは、両親は想像もしていなかっただろう。


「一度も手を抜いたことはございませんが?」


そして、ハンスもこんな一面があるなんて思わなかった。

さすがルイが信頼して側に置いて、副団長まで任せているのが分かる。

母が呑気に「痛くないのかしらぁ」と言っていた。

呑気すぎる……。

痛いに決まってるじゃん、と私は思いつつ、何も言わなかった。


「ハンス!鍛錬をユーマと変われ!」

「承知いたしました、坊ちゃま」


ハンスが剣を収めると、どこからともなくユーマが来た。

お兄様に向かって拳が飛び、寸でで避けたお兄様の後ろにあった木が大きく凹む。

凹んだところから木はひび割れてしまい、倒れた。

しかしそれを見たルイが、大声で怒鳴る。


「ユーマ!!!うちの木を勝手に倒すな!!!」

「すいませーん。避けられちゃいましたぁ!」

「うちの木だぞ!先祖代々わざわざ植林しているんだ!!!」

「はーい、気をつけまーす!」


気を付けるって何を?と私は思った。

何を気をつければ木を倒さなくなるの?

そもそも殴って木を倒す人間がいる!?

私は寄せていたアリシアをさらに強く抱き寄せた。


「ってことで、あんまり逃げないでもらえますかね?」

「え~、それって僕には無理な話じゃない?」


ユーマは兄に向って拳を放つ。

そのスピードは速く、そして重たい。

短剣を取り出して、お兄様の足を狙った。

しかしそれを、お兄様は弾く。

本当に鍛錬なの?と思ってしまうくらいに私はドキドキしてしまう。


「ああ、カリブスが、うちの馬鹿息子が……」

「お父様、お言葉が」

「いや、あれば本当に馬鹿息子だぞ!」


自分の息子なのに。

父はそう言いながらも、ユーマと鍛錬を続けるお兄様を見ていた。

その横顔はまるで夢を追いかける少年のようだ。

ああ、お父様。

あなたもそうやって夢を追いかけていた時期があったんですね。

私はそれを見て、まるで物語の1ページを開いたかと思った。


「ハンス、ウォーレンス家の荷物を部屋へ」

「承知しました、坊ちゃま」

「妹はセシリアと同じ部屋にしてやれ」


ルイの言葉に、私は驚いた。

いいんだろうか。

部屋に結界をするとか言っていたのに。


「ルイ、いいんですか?」

「構わん。ただし、一晩だけだぞ」

「ありがとうございます。アリシア、あなたもお礼を言って」


妹に促すと、アリシアは静かに頭を下げ、お礼を言った。

少し緊張しているのか。

なんとなくぎこちなさは会ったけれど、この子だってまだ子どもだ。

これくらいは。


「アリシア、私の部屋を見せてあげるわ、行きましょう」

「お姉様、お兄様はいいのですか?」

「いいのよ、好きにさせておいて。お兄様のことはユーマがなんとかしてくれるわ」


お兄様とユーマの鍛錬は続いている。

このままお兄様が強くなって、決闘に勝てた時は、お兄様の恋は実るのだろうか。

いいや、絶対に実らせなくては!

ここで勝つのが恋物語の定番でしょう!

私はド定番の恋愛モノが大好きなのよ!


「お姉様、私のドレスも持ってきたので、見てもらえますか?」

「ええ、見せてちょうだい!」

「うふふ、素敵なドレスができたんです!」

「本当?よかったわ!」

「お姉様、あの、私が作ったネックレスはいかがでしたか?」


ネックレス。

アリシアが作ったもの。

私は、それを聞いて青くなってしまった。

あれを狙って、私は襲われたのだ。

マリアさんも怪我をして。

あの時、私はネックレスを踏んで壊してしまった。

残骸もルイが騎士団を通して処分してしまったので、どうなったのか詳しくは知らない。


「アリシア、ごめんなさい、その……あのネックレスは壊してしまったの」

「え、そうだったんですか?お姉様にお怪我は?」

「大丈夫、私には……怪我はないわ」

「よかった。ネックレスはまた作ればいいんです。お姉様がご無事なら!」


おかしいな、と私は思う。

こんなに私を想ってくれる妹が、あんなものを作ったの?

それとも別の誰か?

何が起きたの?

ルイに視線を送ると、話すな、と言いたげだった。

だからこの話は終わりにして、妹と歩き出す。

この子の知らないところで、何かが動き出しているような気がした。


アリシアは、私の結婚を反対していたけれど、今では受け入れてくれているようだ。

結婚式を楽しみにしてくれていて、いつものようにニコニコ笑って話をする。

つないだ手が温かい。

赤ちゃんの頃から変わらない。


あんなひどい目にあったけれど、それがこの子のせいだなんて思いたくない。

いいえ、きっと違う。

違うのよ、と私は何度も思いながら、妹の笑顔を見つめるのだった。


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