覚悟を問われて、お兄様の瞳は揺るがなかった。
そんな兄を初めて見た私は、それだけで感無量だ。
馬鹿な長男、家業を傾かせることしかできない奴、嫁の1人もまともに見つけられない、とどれだけ馬鹿にされてきたことか。
放蕩息子と呼ばれればいい方なくらい、周囲の貴族からは馬鹿にされていたのだ。
特に女性たちは、見た目はいいのに中身はすっからかん、と兄を馬鹿にしてばかりだった。
事実、兄は女性をデートに誘っても、満足に話もできずに帰ってきたり、女性を怒らせて帰ってくることばかり。
私やアリシアから見ても、何を考えているのか分からない人。
そんな人が、今、やっと変わった。
いいえ、変わったのではなく、本来の自分を取り戻している。
騎士団で剣を振るっていたあの頃。
戦場に出て、多くの信頼を得ていた日々。
そして、愛する人と出会ったこと。
それらが兄の中で、兄を形作る大きなものとしてあったのだ。
だから、ルイはお兄様はを騎士団へ復帰させたかった。
一度は本人の希望で退団したけれど、今回は強制的にでも復帰させるという。
それくらいに、兄がしようとしていることは重いことなのだろう。
「覚悟はもう決まっているけど」
「情けない言い方をするな」
「……決まっているよ。僕にできることも、数少ないんだって理解したしね」
「そうか」
自分にできることは何だと、兄は理解できたのだろうか。
剣を振るうことだけではない、何かを見つけてくれただろうか。
私はそんなことを考えながら、ルイと兄が真剣な目で見つめ合うのを見た。
金色の髪をした男性同士が見つめ合うのは、とても美しい光景だ。
まさに、女性がとても好きなパターンではないだろうか。
「ルイには迷惑をかけるのも分かっている」
「別に迷惑などではない。もう、義理とはいえ兄弟なのだからな」
少しだけ笑ったルイは、どこか楽しんでいるような気がした。
自分の結婚式が終わったから、少しは安心しているのかも。
その時、部屋に入ってきたのはユーマだ。
「俺もついて行くけどさぁ」
「ユーマ、貴様、何を企んでいる?」
「ま、今回なんでこんなに花嫁を巡る決闘が早まったのか……理由が知りたくてねぇ」
紫の髪を揺らし、ユーマは笑う。
彼は国と国を渡り歩いて、雇い主の必要としているものを手に入れることが仕事だ。
つまり、その中には国と国の情勢を知っておきたいという、裏の顔もあるのだろう。
ユーマは侮れない男だ。
気を付けた方がいいけれど、実力もあるし、悪い人ではない。
こちらが誠意を示せば、誠意で返してくれるようなところがある。
「明日の朝に出れば間に合うだろうよ」
「お前の計算ではその予定か?」
「おう。騎士団長さんはどうなんだい?」
ルイの赤い目がユーマを見た。
もしかしたら、ルイはユーマに何かを見ているのかしら。
魔眼であるルイの赤い目は、魔力などに関するものは見えるらしい。
でも、この世界ではたまにそう言った目を持った人はいるので、必ずしも珍しいもの、とも言えないようだった。
「明日の早朝なら問題はないだろう。しかし物資の準備を急がねばならない。結婚式で使ってしまったものも多いからな」
「そ、それでしたら、私が手伝います!」
何ができるか、と言われたら何もできない。
今から兄がしようとしていることの手伝いなんて、多くはできないのだ。
だから、私は自分ができることを精一杯やろうと思った。
「ハンスとマリアさんに頼んで、すぐに準備します。馬の準備もしますので、ルイとお兄様は今後のことについてしっかり話し合ってください!」
私は急いでその場を離れた。
ルイフィリアは、セシリアの背中を見送り、大きなため息をついた。
それを見たカリブスが、ニヤニヤと笑ってくる。
「なんだ」
「いやぁ、新婚なのにすまないなぁと」
「変な目で妹を見るな」
「セシリアのことは気にしないよ。むしろ、君の方が面白いじゃないか」
カリブスはそんなことを言いながら、ルイの顔を覗き込んだ。
顔を赤くしているルイを見て、カリブスは満足そうに笑う。
「本当に結婚しちゃうとは思ってなかったなぁ」
「うるさい」
「セシリアも、よくルイなんかと結婚する気になったもんだよ」
「なんだと!」
ルイフィリアがカリブスに飛び掛かると、彼は大きな声で笑った。
2人は一緒に騎士団で活躍していた時からのことを、よく理解している。
特にカリブスは、騎士としての能力を見初められたこともあり、期待されていた。
元々、次期騎士団長と言われていたルイフィリアと似たような立場だったのだ。
あの頃の騎士団は、若手が勢力を増しているよい時期。
ルイフィリアの記憶の中で、あれほどにまで楽しい時期はなかったくらいだ。
「もしも僕が戻らなかったら」
今まで笑っていたというのに、カリブスは急にそんなことを口にした。
ルイフィリアは、何を言い出すのか、と怒る。
「もしも僕が戻らなかったら、アリシアを殺してくれよ」
「な……」
「別に殺さなくてもいいか。そうだな、事故に巻き込むとか、とにかくそんな感じで殺してほしい」
「な、なにを、カリブス……」
「アリシアが魔女になったら、僕が殺すつもりだった。でももしも僕がいなくなったら、その役目を誰かが引き継ぐだろ?それなら、ルイがアリシアを殺してくれよ」
アリシアのまま。
その言葉に、ルイフィリアはそれが兄として妹たちを思う気持ちだと察した。
セシリアは妹を深く愛している。
愛しい妹が、魔女であると知っただけで多くの苦しみを受けていた。
だが、魔女はいつか必ず覚醒する。
それを騎士団であるルイフィリアも、カリブスも、見てきたのだ。
多くを見てきたからこそ、分かっていることがある。
逃げられない運命があること。
その先に多くの哀しみがあること。
「俺は……」
ルイフィリアに、セシリアの笑顔が浮かんでいた。
妻として迎えた女性の妹。
それが転生を繰り返す魔女。
今は幼い少女であっても、いつか必ず魔女として覚醒する。
だから、その時。
二度と悲劇を繰り返さないようにする為、騎士団で討たねばならないと、心に決めていた。
だが、今はセシリアの顔が浮かぶ。
彼女はきっと哀しむだろう。
魔女に体を奪われた妹を嘆き、殺される為に産まれ、生きてきた妹の人生を哀しむだろう。
でも、それでも。
魔女は倒さねばならない、悪の根源なのだ。
「それなら、俺がやろうかい?」
「ユーマ!?」
2人の話を聞いていたユーマが、身を乗り出してくる。
彼は鍛えられた傭兵でありつつ、他国に雇われた存在だ。
魔女を殺しても、大きな利益があるとは思えなかった。
「でも、ユーマには」
「俺はそんなに気にしないんだわ。まあ、ちょっと代金は上乗せして欲しいけどなぁ」
「待て、お前がそんなことをすれば、今後の事業が難しくなるではないか」
ルイフィリアの言葉に、カリブスも気づいた。
今、ユーマは取引の相手だ。
彼がいるから成り立っている商売がある。
そして、それは今後も広げていくつもりなのだ。
「今後事業はセシリアに任せる。お前の提案どおりだ」
「ありがとさん。それなら俺も安心できるな」
「だが、そうなると妹を殺した相手と仕事をすることになる。セシリアはそんなことができる女ではない」
「そうだろうな……まあ、俺がやるとなったら裏で見えないようにするだけさ」
この男は。
本当に危険な男だ。
一瞬にして、傭兵の目をすることができる。
「……それが必要になった時は、それなりの依頼をする。それまでは手を出すな」
「騎士団長さんは大変だねぇ。まあ、その時はよろしく頼むぜ?」
ユーマの目が静かに細くなる。
それは傭兵の目だ。
そこに、人の心はない。