「お前はいつもそんな目をしているのか?」
ルイフィリアの問いかけに、ユーマッシュが顔を上げる。
彼は目の前の騎士団長を見て、何か思うところでもあるのだろうか。
「まあ、俺も色々と見てきたもんでね、騎士団長さん」
「お前の騎士団長ではない」
「でもアンタのような立場の人間なら、山のように見てきたんだよ、俺はさ。みんな苦しがってたぜ?世の中生きにくいもんだよなぁ」
彼の言葉の意味を、ルイフィリアは分かっているのだ。
この世の中、立場があれば難しいことは増える。
難しいことが増えれば、それに呼応して苦しいことも増えるもの。
彼のように、自由気ままに生きることなどできはしない。
「俺は、お前のようには生きることができない」
「ま、普通の人間はそうだわな。まあ、いいんじゃねぇの?それがアンタの普通、これから生きていく道だ。俺には関係ねぇ」
「いや、お前と取引をするのだから、関係がある」
赤い瞳は、すでに守るべきものを手に入れた人間の目だ。
大切な存在を守り、共に歩むと決めている。
「確かにそうか。これから嬢ちゃんとの取引になりそうだしなぁ」
「人の妻を軽んじるつもりか?」
「いやいや、あの嬢ちゃんなら人としても、何としても信頼がおける存在だわ」
セシリアの話が出ると、ユーマッシュはすぐに引く態勢を見せることが多い。それを知っていたルイフィリアは、少しばかり気分が悪かった。
まるでこの男、自分の妻に気があるのではないか、という感じなのだ。
この男の素性は知れないが、かなりの実力者であり、頭が切れるところなど、信頼できる部分は多い。
しかし、セシリアに対する態度だけは、どうしても許しがたい部分が多い。
ルイフィリアがセシリアを好きだから、というもっともな感情を差し引いても、この男はいつも彼女に馴れ馴れしいのだ。
嫉妬の炎を燃やすルイフィリアを、横から眺めていたカリブスは、彼がこんな男の一面を見せるようになったことが面白かった。
学園の頃からこの男のことはよく知っている。
彼と似ていない弟が、自分の同級だったからだ。
あの頃から、あの男は真面目過ぎてつまらない、と周囲から思われるような人間だった。
彼はただ、次期騎士団長という重圧を背負っていただけで、中身は普通の男なのに、それを悟られまいとしていただけ。
勉学と剣、体力づくり、騎士に必要なことはなんでもこなすくせに、好きな娘1人いないという変わり者。
金色の髪に赤い瞳、そして美しい顔立ちをしているというのに、彼はそれを一切武器にしない。
むしろ、それをあまり理解していないような男だった。
そんなルイフィリアと自分の妹が結婚した。
つまり、自分は彼の義兄となる。
そんな日が来るなんて、カリブスは夢にも思わなかった。
この屋敷で妹が暮らすことになるなんて。
カリブスが初めてこの屋敷に足を踏み入れたのは、まだ学園の学生だった頃だ。
息子の友人として足を踏み入れ、当時この国でもっとも優秀かつ最強の男である騎士団長を目にしたのだ。
ルイフィリアのように優男なのかと思えば、父は違う。
もっと大柄で、屈強な男と言った方がいいような人。
しかし見た目とは違って、人のよさがすぐに滲み出てくる。
こんな人が父であったなら、とカリブスは何度も思ったものだ。
そして、ルイフィリアは母親似なのだ。
髪と瞳の色以外は、母親である当時の騎士団補佐。
女剣士でありながら、国を守る要とまで言われた女にそっくりな様子。
それを間近で見ているカリブスは、ルイフィリアが母に寄せる思いを理解していた。
自分をこの世に産んでくれた女性への感謝、敬意。
それが息子たちには強いのだ。
そう言えば、とぼんやり頭の片隅に、カリブスはあの女性を見たのも覚えている。
魔女として覚醒する前の、ルイフィリアの伯母。
金色の髪に青い瞳。
自分とよく似た容姿だったが、この国では珍しくない。
あの人もとても優しい人で、ハンスの隣を歩くことが何よりも幸せだとその笑顔が言っていた人だ。
「ルイ、ユーマ」
カリブスは、睨み合う2人に話しかけた。
「とにかく僕は行くよ。これで命を落としたとしても、本望さ。正直言うなら、もう少し時間が欲しかったけれど、無駄にした時間は戻らない」
「そうか」
「自分でこの数年を棒に振っただけさ。でもこれからは違う。ちゃんと前を向くよ」
金色の髪は、少しばかり彼の気持ちを表して垂れているような気がした。
それは反省や後悔なのだろう。
しかし、それだけで人は成長できない。
掴み取りたいものに気づいた彼は、前に進む覚悟が決まったのだ。
「僕は決闘に出て、愛する人にもう一度会う」
それがカリブスの夢。
ルイフィリアがセシリアを愛したように、彼がセシリアとの絆を作ったように、自分にもそれができるのではないか、と思えるのだ。
しかし、自分には多くのことが足りないことは分かっている。
戦場に出ていたので、経験こそあるが、腐れていた期間もあるので、どうしようもできない間ができてしまったのだ。
「俺は、お前の友としてついて行こう」
「ルイ……」
「そして、義理の兄弟として」
「弟だろ、ルイ。認めなよ」
そう言われるとルイフィリアは、顔を赤くしてカリブスを睨む。
カリブスはそんな顔を、今まで見たことがなかったので面白かった。
「年上の弟など、認められん!」
「いやいや、この期に及んで認めなよ~!お兄ちゃんって呼んでいいんだよ?」
ニヤニヤしながらカリブスが言うので、ルイフィリアは余計に腹立たしくなる。
しかし同時に、失った弟のような存在がまた側に居てくれることが、嬉しくなっていた。
家族が戻ること、それを望んでいたわけではないが、それを望んでいた自分がいたのかもしれない、と気づかされる。
「おいおい、俺はどうするつもりなんだ?ここで嬢ちゃんの護衛を……」
「ならん!」
「だが、現実問題必要だろ?この前みたいなことが起きたら、今度は肉の壁どころじゃねえぜ?」
「……確かに、マリアはまだ全快していないからな」
魔女の襲撃を受けた時、セシリアを守ったのはマリアであった。
かつて騎士団初の女性騎士として活躍していた彼女だからこそ、あんな危険な場面でもセシリアを守り、自分も生還することができたのだ。
ただの護衛程度では、難しかったかもしれない。
「また魔女の襲撃があるかな……」
「可能性は高い。魔女と赤髪の乙女との関係は深いからな。しかしそうなれば、ハンスを残すしかないか……。ハンスとマリアなら、戦場で何度も一緒に戦っているから緊急事態にも対応ができる」
今回はハンスがついて来ない、と聞いて胸を撫で下ろしたのはカリブスだ。
昔から指導の厳しかったハンスに対して、カリブスは信用信頼はあっても、恐怖と苦手意識が抜けない。
共に戦えば十分に信頼できるというのに、指導される時は何度も拳骨を食らうなど、貴族の息子として有り得ない扱いを受けてきた。
しかし、それがあったからこそ、カリブスが成長したのも事実である。
「いや、なんなら嬢ちゃんを連れて行っちゃぁどうだ?」
ユーマッシュの無謀な提案を聞いた瞬間、ルイフィリアが剣を抜こうとしたが、カリブスが止めた。
こんな屋敷の中で剣を振り回すなど、危険極まりない。
「まあ、話を聞けって、騎士団長さんよぉ。嬢ちゃんの交渉能力はかなり高けぇもんがある。俺らで護衛して、嬢ちゃんに交渉してもらうってのはどうだ?」
「何を言い出す、馬鹿者が!人の妻だぞ!」
「だーかーらー!交渉する為に連れて行くだけだ!」
セシリアの交渉能力は高い。
しかしそれを今、使うべきなのか?
カリブスも頭を悩ませた。