ルイは馬が好きだ。
それは彼が用意した馬を見れば、誰もが一目瞭然だろう。
特に、愛馬のユキは白くて美しい馬。
私もこの子が大好きで、この子に好かれるためならば……と思ってしまうことがあるけれど、意外にもユキの方が私を好いてくれていた。
この馬は、亡きお義母様が残した馬とのことで、ルイはとても気に入っている。
それくらい足が速いし、美しい。
この子以上の馬がこの世界にいるのかなって、思ってしまうくらいだった。
でも、私はユーマの連れてきた馬を見た時に、息を飲む。
それはユキとは正反対の真っ黒な馬。
まさに暗闇のような馬である。
「ユーマ、その馬はあなたの馬なの?」
「ん、ああ。俺が乗せてもらってる馬だなぁ。俺の相棒だわ」
「相棒……」
「昔、旅の途中で出会ったんだけど、それ以来一緒にいる。俺の方がコイツに見つけてもらったようなもんだ」
とても素敵な話を聞いた気分になって、私はその漆黒の馬を見つめる。
なんて美しい馬なんだろう、と思った。
まるで日本人形のような漆黒の毛並みが、風の抵抗を難なく斬り進んでいきそうな印象だ。
見つめてくる瞳は、ほんのりと黒に緑が入ったような、光りの角度で少し変化する感じの瞳だった。
「ルイの馬とは正反対の色合いだわ……」
「あのシロもいい馬だけどよ」
「あのね、名前はシロじゃなくてユキよ」
「そんな名前だったか?まあ、あのシロもいい馬だけど、俺の相棒には敵わないだろ」
真っ黒な馬を撫でながら、彼は笑っていた。
あれ、と私は思う。
その笑顔が、その少年のように笑う顔が、なんだかルイに似ているような気がしたのだ。
おかしいな、そんなことってあるのかしら。
私はそんな気持ちでユーマの顔を見ていた。
「どーした、嬢ちゃん」
「いいえ、別に何でもありません」
「まあ、俺ほどのいい男になれば、そうだよなぁ。見惚れちまうもんだよな?」
ユーマがそんなことを言うものだから、誰よりも何よりも真っ先に、旦那様が走ってきた。
彼にとって、妻である私を脅かす存在は、本当に嫌なものなのだ。
今にも剣を抜くかという勢いで、ユーマに迫ってくる。
「あっちゃ!旦那に見つかってんじゃん!」
「ここはグラース家の敷地内ですよ。ルイの結界の中なんですから、見つかって当然じゃないですか」
何を言っているんだコイツは、と私は思う。
魔女の襲撃があった時も、結婚式の時も、この建物や土地、とにかく敷地内全部が結界の中だ。
ルイにはそれを維持できるだけの、膨大な魔力が備わっているらしい。
私には分からない世界だけれど、ユーマはそれが恐ろしいこと、と認識があるようだ。
「ユーマ!人の妻に手を出すとは何事だ!」
「出しちゃいねぇってば!ちょっとからかっただけじゃねぇか!」
「俺の妻を侮辱するつもりか!」
「ったく、アンタって根は真面目で剣も強くていい面してんのに、嫁には弱いってなんなんだよ!」
ユーマはそんなことを叫び、馬を引き連れて走って行く。
それを途中まで追いかけ、追い払ったルイは私のもとへ戻ってきた。
「無事だったか」
「はい、大丈夫ですよ」
「まったく、ああいう男が優秀なのが頭に来る」
「お兄様とあまりお変わりはないかと」
「そうだな。カリブスもああ見えて優秀だしな」
この世界も、特に悪いわけじゃない。
見た目がいい人もいれば、悪い人もいるし、恐ろしい人もいれば、美しい人もいるのだ。
そのさまざまな人たちが、それに比例した能力を保持しているとは限らない。
不思議なもので、ルイやお兄様のように、いかにも貴族の人間という雰囲気の人ほど、貴族っぽくなかったりする。
金色の髪が綺麗なのに、それを振りかざして戦場に行くなんて当たり前のことだ。
私の赤い髪も、そうなるのかしら。
赤毛のアンみたいな、縮れた赤毛でも、中身は素敵な奥様って呼ばれるのかな。
そんなことを考えていると、ルイがジロジロと私を見てきた。
「どうしました?」
「髪を結っているのも似合うな」
「あら、お世辞ですか」
「世辞を言って、何が出る?」
「そうですねぇ」
結婚式が済んで、2人の距離は縮まった。
特にルイの気持ちが私に寄り添ってくれているのが、よく分かる。
ルイは、私のことを非常に大事にしてくれるのだ。
出会いの話をしてくれたこともあって、彼が私のことを真剣に愛してくれていることがとても伝わってくる。
お義母様の本を大事にしているだけだったのに……。
「今度、寝物語でもお聞かせしましょうか」
「寝物語?」
「ええ。私がアリシアを寝かしつける時に聞かせた話ですよ」
「俺を寝かしつけるつもりか?」
「あら、私の寝物語は面白いんですよ。アリシアなんて、幾つも覚えていると思います」
「それでは眠れなくなるだろう?」
「ふふ、でも、明日もまた聞きたくなって、明日もまた私に会いたくなりますよ」
それは千夜一夜物語。
アラビアンナイトの世界。
横暴な王に殺されない為に、語り紡いだ物語だ。
でも私の場合は、とにかくアリシアをベッドから出さない為のもの。
「……そんなものがなくても、俺は明日も明後日も、セシリアに会いたい」
「ルイ……」
「お前がそれだけ自信たっぷりに言うのだから、さぞかし面白い話なんだろうな。面白くなかったら、仕置きをしよう」
本当に千夜一夜物語になってしまいそうだ。
私は少し笑って、それでもルイに話をすると約束した。
だって、夫婦になったのだから。
夫婦一緒に夜を眠るのは、当たり前。
だから、それに少しだけ味をつけたい。
風に吹かれながら、私はルイの赤い瞳を見た。
「子どもができたら、聞けなくなりますよ」
「いや、俺が聞かせよう。セシリアはその間に寝るといい」
「あら、子煩悩なんですね」
「俺は、幼い頃父があまり側にいなかったからな。騎士団長は家に長くはいられない。でも今はやっと平和になって、俺も長く家にいる。我が子に寂しい思いはさせんぞ」
「まだ、子どもはいないんですけど」
「それなら、セシリアに寂しい思いはさせん」
その約束が。
その気持ちが。
これから先の私の大事な支えだ。
ルイがいてくれるから、魔女にも立ち向かう勇気が持てる。
馬の手入れを2人でして、時間が来たので荷物の最終的な確認をした。
食料も武器もある。
馬の調子もいい。
ついに、出発だ。
私は、今の自分の状況がまだ上手く飲み込めていない。
だって、この世界に来て、初めての大冒険だ。
家と学園とグラース家くらいしか知らなかった私が、見知らぬ土地に馬に乗って行くなんて、想像もしていなかった。
「セシリア、大丈夫か」
「はい、平気です!」
「楽しそうだな」
「はい、私、見知らぬ土地に行くのが初めてなので!」
つい喜んで言ってしまったけれど、私にとって今の世界は本当に、未知の世界であり楽しみを感じるものなのだ。
まるで、それは本を飛び出すかのように。
抱きしめて、開いた本から、飛び出していくことがついにできる。
「僕の決闘なのに、なんで楽しそうなのぉ?」
「お兄様!」
「本当に、困った妹だよね。普通の女の子なら、馬に乗るなんて嫌がるし、これから見知らぬ汚い場所へ行くんだよ?嫌がるものなのにねぇ」
まあ、それが普通の貴族の娘だ。
でも私は、普通じゃない。
馬に乗るのも好きだし、汚れても洗濯すれば平気だ。
お兄様の恋物語を一番近くで見ることができるのだから、それこそ嬉しいし、楽しみなのである!
自分の結婚式が終わった直後であるというのに、私はすでに兄の恋物語にご執心というわけ。
だって、気になるじゃない!
お兄様がどんな人を愛して、どんな恋物語を紡いできたのか!