馬が進むにつれて、お兄様の表情が硬くなっていく。
返事はあるものの、妙に態度がおかしい。
今までも変なところのある兄だったけれど、私にとってはそちらの方が普通だったから、今の兄はその変なところに輪をかけておかしいのだ。
そんなに緊張していて、本当に大丈夫だろうか。
下手をすれば恋人を手に入れられないだけでなく、自分の命さえも失ってしまうのだ。
そんなこと、受け入れられるのだろうか。
兄にとって、その娘はそれくらい大事な存在なのだろうか。
「セシリア」
「は、はい!?」
「……妄想ばかりするのはやめろ」
「え、聞こえてましたか!?」
「顔に出ているぞ!」
ルイに言われて、私は自分で顔を触ってみる。
嫌だわ、そんな顔してたかしら?
自覚はないのだけれど。
そんなことを思いながら、私は馬の手綱を引いて、ルイに近寄る。
「ルイ、お兄様の好きなお嬢様って、どんな方ですか?」
「なぜそれを聞く?」
「なぜって、気になります。皆様はこの前、お会いになったかもしれませんが」
「他人の想い人だぞ。気にするな」
「あら、ルイにとっても兄じゃないですか!」
それを言うとルイはげんなりとした顔で、前ばかり見ていた。
後の方で、ユーマとハンスが笑っていたように思うけれど、その理由を私はまだ知らない。
お兄様が好きになった女性だから、さぞかし美人で、可憐で儚くて、美しい女性かと思う。
もしかしたら、妖艶な美女に虜にされている、とも考えられた。
山岳地帯の部族の長の娘、となれば、自然に愛された、美しい乙女なのかも。
ああ、想像したらきりがないわ。
「あまり、無駄な想像ばかりするなよ」
「え、どういう意味ですか?」
「……お前は兄がどんな男か忘れたのか?」
「いえ、歴代屈指の馬鹿かと」
「分かっているならいい。そんなカリブスが好きになった相手だからな」
「意味深すぎます……」
わからない。
まさか、兄の想う人がとんでもない人なの?
それとも、もっと何か違う理由が?
別の意味で色々なことを思い浮かべてしまう。
恐ろしくなった私は、真剣な顔で前に進む兄の背中を見た。
お兄様、あなたが好きになった人はどんな人なんですか?
ついに私はそれを聞くことができず、馬を走らせ続けた。
森を抜け、林を抜け、東の国近くの山が見えてくる。
私はこの世界に転生して、山を見るのが久しい。
学園にいた時に本では見ていたけれど、実際に見たのは幼い頃に両親に連れられて、出かけた時だったと思う。
あの時は、馬車の中から、遠くの山を見た程度。
でも、今見るととても懐かしい。
「このあたりで飯にしようぜ~」
「お前はそればかりだな、ユーマ」
お腹が空いたと訴えるユーマは、ルイに睨まれていた。
でも、きっとルイもお腹が減っているに違いない。
「火を準備してもらえれば、私が料理します」
「お、いいねぇ、嬢ちゃん!」
「人の妻を勝手に使うな!」
ルイはそんなことを叫んでいたけれど、私は次々に料理の準備をした。
自然の中だから、屋敷のようにはいかない。
でも、それでも、美味しくて温かいものでお腹を満たせば、少しは気持ちが変わってくるはずだ。
温かいシチューにパン。
簡単なものだけれど、ルイとユーマはお腹いっぱい食べていた。
2人の場合は、魔力が関係しているので空腹はある程度仕方ないのだろうと思う。
私にはそう言った能力がないので、どうすることもできないけれど、この世界にはそういう能力を持つ人もいるみたい。
3杯目のシチューをユーマに渡しながら、私はあまり進んでいない兄を見る。
緊張していいるのだろうな、としか思えない。
当たり前よね、これで自分のこれからが決まるかもしれないんだもの。
これからの未来、愛した人と進めるか、自分の命さえ失うか。
私の中で、アリシアと重なる。
あの子も魔女に覚醒してしまうと、自分を失い、完全に魔女になってしまう。
魔女になってしまうと、記憶もすべて魔女になり、性格も人格も、すべてが魔女になるのだと、ハンスに言われた。
「お兄様」
「……セシリア」
「焚火ばかり見ていても、シチューは減りませんよ」
「あんまりお腹が空かなくてさ」
「……それでも、食べておかなきゃ」
「うん、わかってはいるんだけどね……」
「あちらの2人はあんなに食べてます」
「一緒にしないでくれる?」
だって、ルイとユーマはあんなに食べているんだもの。
ちょっと食べすぎだとは思うけれど、でも今はそれが必要だと思う。
これから先、いつ食べられなくなるか、わからない。
水だって、飲めるかわからない。
だから。
「セシリア、お前の方こそ休んでおきなよ。こんなところ、来たことないだろ?」
「は、はい……」
「女の子がさぁ、こんなところに来るもんじゃないよぉ」
「もう来てしまいましたから、今更です。お兄様」
「そうだけどねぇ。セシリアは、魔女のことが気になるんだろ?」
兄は気づいていたのだ。
私が今回同行した理由の1つ。
それは、魔女の情報が欲しかったから。
もちろん、お兄様の恋の行方も知りたいけれど!
「でも預言をもらえるとは限らないよ」
「はい。ハンスもそう言っていました」
「魔女の情報だって、騎士団でさえ教えてもらえないのに」
「それでも、一縷の望みをかけています」
「……いいお姉ちゃんだねぇ」
そう言った兄の目は、とても優しかった。
私はお姉ちゃんだけど、お兄様だっていいお兄ちゃんになれるはず。
今まで、影ながらに家にいてくれていたこと。
本当は、とても強い剣士だってこと。
もっとしたいことも、夢も希望もあったはずなのに。
お兄様の本音はどこにあるのだろう、とふと思った。
「お兄様は、決闘に勝ったらどうされたいんですか?」
「え?」
「もちろん、お相手をお嫁にもらうのでしょう?」
「そ、れは……そっか、そうだよね」
「そうですよ」
「そっかぁ……家族が増えるのかぁ」
「うーん、少し表現が微妙かと思いますが、そうですね。私は姉ができます」
その言葉に、兄は目を丸くした。
そして今にも泣きそうな目で言った。
「愛してるんだ。彼女のことを」
「はい、存じております」
「僕が連れて帰っても、いいかなぁ……」
「よいと思います」
兄は、私の影で涙を流す。
この人が愛する人は、とても幸せだ。
こんなに深く愛されるなんて、幸せ以外の何物でもないだろう。
「お兄様」
「うん……」
「お兄様は立派な剣士です。立派な騎士です。だから、自信をもってください」
金色の髪と青い目をした、素敵な騎士じゃないか。
得意でもないことを無理にして、楽しくない日々を過ごす必要はないのだ。
好きな人を守って、その人の騎士になればいい。
兄は、笑って「自信はずっとあるんだけどねぇ」と言った。
やっぱり変な人だなぁ、と思いながら、それだけ素直になれたお兄様を見て、幸せな気持ちになれた。
これから、この人は守るべき人のところへ行くのだ。
私はそれを支える。
私は、私のできることをするのだ。
「セシリア」
「はい、どうしました、ルイ?」
「ハンスの手伝いをしてくれ」
「はい」
「カリブスは俺とユーマで作戦会議だ」
そう言って笑うルイは、兄のことを見透かしているかのようだった。
兄は、ユーマに肩を抱かれ、ルイに話をされる。
なんだか、楽しそうだった。
私は、ハンスのもとへ行く。
食事の片づけや、荷物の確認をしているハンスに話しかけると、彼は少し微笑んでいた。
「カリブス様は」
「はい」
「妹様のことを一切お話することがありませんでした。まるで、ないものかのようにです」
「そうですか……」
「ご両親の関心が妹様たちにしかない、と言っていたのを聞いた覚えがございます」
「え、そんなことを?でも私からすれば、兄の方が父から期待されていたように思いますが……」
私は、幼い日に兄の頭を撫でる父を見ていた。
女の子は髪が乱れるから、と撫でられた記憶がない。
あれがとても羨ましかったのを、今でも覚えている。