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第89話

馬が進むにつれて、お兄様の表情が硬くなっていく。

返事はあるものの、妙に態度がおかしい。

今までも変なところのある兄だったけれど、私にとってはそちらの方が普通だったから、今の兄はその変なところに輪をかけておかしいのだ。


そんなに緊張していて、本当に大丈夫だろうか。

下手をすれば恋人を手に入れられないだけでなく、自分の命さえも失ってしまうのだ。

そんなこと、受け入れられるのだろうか。

兄にとって、その娘はそれくらい大事な存在なのだろうか。


「セシリア」

「は、はい!?」

「……妄想ばかりするのはやめろ」

「え、聞こえてましたか!?」

「顔に出ているぞ!」


ルイに言われて、私は自分で顔を触ってみる。

嫌だわ、そんな顔してたかしら?

自覚はないのだけれど。

そんなことを思いながら、私は馬の手綱を引いて、ルイに近寄る。


「ルイ、お兄様の好きなお嬢様って、どんな方ですか?」

「なぜそれを聞く?」

「なぜって、気になります。皆様はこの前、お会いになったかもしれませんが」

「他人の想い人だぞ。気にするな」

「あら、ルイにとっても兄じゃないですか!」


それを言うとルイはげんなりとした顔で、前ばかり見ていた。

後の方で、ユーマとハンスが笑っていたように思うけれど、その理由を私はまだ知らない。

お兄様が好きになった女性だから、さぞかし美人で、可憐で儚くて、美しい女性かと思う。

もしかしたら、妖艶な美女に虜にされている、とも考えられた。

山岳地帯の部族の長の娘、となれば、自然に愛された、美しい乙女なのかも。

ああ、想像したらきりがないわ。


「あまり、無駄な想像ばかりするなよ」

「え、どういう意味ですか?」

「……お前は兄がどんな男か忘れたのか?」

「いえ、歴代屈指の馬鹿かと」

「分かっているならいい。そんなカリブスが好きになった相手だからな」

「意味深すぎます……」


わからない。

まさか、兄の想う人がとんでもない人なの?

それとも、もっと何か違う理由が?

別の意味で色々なことを思い浮かべてしまう。


恐ろしくなった私は、真剣な顔で前に進む兄の背中を見た。

お兄様、あなたが好きになった人はどんな人なんですか?

ついに私はそれを聞くことができず、馬を走らせ続けた。


森を抜け、林を抜け、東の国近くの山が見えてくる。

私はこの世界に転生して、山を見るのが久しい。

学園にいた時に本では見ていたけれど、実際に見たのは幼い頃に両親に連れられて、出かけた時だったと思う。

あの時は、馬車の中から、遠くの山を見た程度。

でも、今見るととても懐かしい。


「このあたりで飯にしようぜ~」

「お前はそればかりだな、ユーマ」


お腹が空いたと訴えるユーマは、ルイに睨まれていた。

でも、きっとルイもお腹が減っているに違いない。


「火を準備してもらえれば、私が料理します」

「お、いいねぇ、嬢ちゃん!」

「人の妻を勝手に使うな!」


ルイはそんなことを叫んでいたけれど、私は次々に料理の準備をした。

自然の中だから、屋敷のようにはいかない。

でも、それでも、美味しくて温かいものでお腹を満たせば、少しは気持ちが変わってくるはずだ。


温かいシチューにパン。

簡単なものだけれど、ルイとユーマはお腹いっぱい食べていた。

2人の場合は、魔力が関係しているので空腹はある程度仕方ないのだろうと思う。

私にはそう言った能力がないので、どうすることもできないけれど、この世界にはそういう能力を持つ人もいるみたい。

3杯目のシチューをユーマに渡しながら、私はあまり進んでいない兄を見る。

緊張していいるのだろうな、としか思えない。

当たり前よね、これで自分のこれからが決まるかもしれないんだもの。

これからの未来、愛した人と進めるか、自分の命さえ失うか。


私の中で、アリシアと重なる。

あの子も魔女に覚醒してしまうと、自分を失い、完全に魔女になってしまう。

魔女になってしまうと、記憶もすべて魔女になり、性格も人格も、すべてが魔女になるのだと、ハンスに言われた。


「お兄様」

「……セシリア」

「焚火ばかり見ていても、シチューは減りませんよ」

「あんまりお腹が空かなくてさ」

「……それでも、食べておかなきゃ」

「うん、わかってはいるんだけどね……」

「あちらの2人はあんなに食べてます」

「一緒にしないでくれる?」


だって、ルイとユーマはあんなに食べているんだもの。

ちょっと食べすぎだとは思うけれど、でも今はそれが必要だと思う。

これから先、いつ食べられなくなるか、わからない。

水だって、飲めるかわからない。

だから。


「セシリア、お前の方こそ休んでおきなよ。こんなところ、来たことないだろ?」

「は、はい……」

「女の子がさぁ、こんなところに来るもんじゃないよぉ」

「もう来てしまいましたから、今更です。お兄様」

「そうだけどねぇ。セシリアは、魔女のことが気になるんだろ?」


兄は気づいていたのだ。

私が今回同行した理由の1つ。

それは、魔女の情報が欲しかったから。

もちろん、お兄様の恋の行方も知りたいけれど!


「でも預言をもらえるとは限らないよ」

「はい。ハンスもそう言っていました」

「魔女の情報だって、騎士団でさえ教えてもらえないのに」

「それでも、一縷の望みをかけています」

「……いいお姉ちゃんだねぇ」


そう言った兄の目は、とても優しかった。

私はお姉ちゃんだけど、お兄様だっていいお兄ちゃんになれるはず。

今まで、影ながらに家にいてくれていたこと。

本当は、とても強い剣士だってこと。

もっとしたいことも、夢も希望もあったはずなのに。

お兄様の本音はどこにあるのだろう、とふと思った。


「お兄様は、決闘に勝ったらどうされたいんですか?」

「え?」

「もちろん、お相手をお嫁にもらうのでしょう?」

「そ、れは……そっか、そうだよね」

「そうですよ」

「そっかぁ……家族が増えるのかぁ」

「うーん、少し表現が微妙かと思いますが、そうですね。私は姉ができます」


その言葉に、兄は目を丸くした。

そして今にも泣きそうな目で言った。


「愛してるんだ。彼女のことを」

「はい、存じております」

「僕が連れて帰っても、いいかなぁ……」

「よいと思います」


兄は、私の影で涙を流す。

この人が愛する人は、とても幸せだ。

こんなに深く愛されるなんて、幸せ以外の何物でもないだろう。


「お兄様」

「うん……」

「お兄様は立派な剣士です。立派な騎士です。だから、自信をもってください」


金色の髪と青い目をした、素敵な騎士じゃないか。

得意でもないことを無理にして、楽しくない日々を過ごす必要はないのだ。

好きな人を守って、その人の騎士になればいい。


兄は、笑って「自信はずっとあるんだけどねぇ」と言った。

やっぱり変な人だなぁ、と思いながら、それだけ素直になれたお兄様を見て、幸せな気持ちになれた。

これから、この人は守るべき人のところへ行くのだ。

私はそれを支える。

私は、私のできることをするのだ。


「セシリア」

「はい、どうしました、ルイ?」

「ハンスの手伝いをしてくれ」

「はい」

「カリブスは俺とユーマで作戦会議だ」


そう言って笑うルイは、兄のことを見透かしているかのようだった。

兄は、ユーマに肩を抱かれ、ルイに話をされる。

なんだか、楽しそうだった。


私は、ハンスのもとへ行く。

食事の片づけや、荷物の確認をしているハンスに話しかけると、彼は少し微笑んでいた。


「カリブス様は」

「はい」

「妹様のことを一切お話することがありませんでした。まるで、ないものかのようにです」

「そうですか……」

「ご両親の関心が妹様たちにしかない、と言っていたのを聞いた覚えがございます」

「え、そんなことを?でも私からすれば、兄の方が父から期待されていたように思いますが……」


私は、幼い日に兄の頭を撫でる父を見ていた。

女の子は髪が乱れるから、と撫でられた記憶がない。


あれがとても羨ましかったのを、今でも覚えている。



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