乱れた髪に、土や枯れ葉がついていた。
それを取りながら、ユーマの倒した男と、ハンスの捕まえた少年を見る。
2人は話をしようとしなかったが、割と落ち着いているのが妙だ。
もしかしたら、ここが自分たちの土地だとわかっていて、捕まっているのか。
それとも、自暴自棄?なのだろうか。
お兄様が少年の傷を手当し、ルイが2人の目の前に立った。
まさに鬼の形相。
とんでもなく怒り狂っている。
それもそうだろう。
新婚の妻を危険な目に遭わせた相手が、目の前にいるのだから。
ルイは、男の前に立った。
睨みつけているが、きっと魔眼で何かを見ているのではないか。
「お前じゃないな」
不意にルイはそう言って、少年を睨む。
少年は驚いた顔をしていた。
「貴様が大将か」
「へえ、魔眼か。しかも使いこなしているとなると、グラース家の人間だろう」
少年は見た目からは想像できない、冷静な声と言葉で話しかけてくる。
ルイはさらに睨みつけた。
「なんのために、我々を襲った?」
「その娘、特別な娘だろう?預言が出ているのさ」
「なんだと?」
その言葉を聞いた瞬間、ルイが少年の胸倉を掴む。
赤い目はさらに血走り、ユーマが止めるほどだった。
「おいおい、やめときな」
「黙れ、ユーマ」
「情報聞き出す、いい機会じゃないかい?我慢しなって」
ユーマの言葉に、ルイは仕方なく手を放す。
しかし今度はユーマが少年に詰め寄った。
「アンタが噂の若大将だろ?部族を外へ導こうとしている、若手だ。頭がよくて、色々と貿易や物流のことも知ってるって聞いたぜ?」
「……貴様、雇われか」
「今は割と長く雇われててなぁ。まあ、こちらさんとは違うんだけどな」
「アンタになら、山で採れた特別な植物や鉱物を売ってもいいぜ?それが狙いなんだろ?」
若大将は、急に態度を変えてユーマに交渉してきた。
確かに、山岳地帯には特別な植物や鉱物がある。
かつて、その貴重さを知らなかった部族たちは、それを外へ出すこともなく、それを無理に売りさばくこともなかった。
欲しいと願う者がいれば、そういった者たちに分け与えるくらいのことだったのだ。
しかし、近年それは変わった。
金になると知った者たちが、山を荒らし、部族を侵略して、物資を奪うようになったのである。
植物は生息地を失い、ぎりぎりのところで生存を保っている。
鉱山は閉鎖され、今では危険な場所になってしまった。
自然の恵みを、外の人間は荒らす―――だから長は、外との関係を断つことで一族を守ろうとしている。
だが、目の前の存在は、資源を金に換え、外へ出ていくことを願っていた。
外を知った若者たちは、荒らされる故郷を守るよりも、自分たちも外へ出て、羽ばたくことを願ったのだ。
私は、それが若者として大事なものであって、当たり前のことだと思う。
世界に出たい、と思ってしまった彼らは、止めることができないのだ。
「そんなもの、狙いじゃないわ……」
「セシリア、黙っていろ」
「だって、ルイ!この人たちはすべてが善とは言えない、でも悪でもない!」
「カリブス、セシリアを連れて少し離れていろ」
「ルイ!!」
ルイはその場から私を離した。
お兄様に腕を掴まれ、林の向こうへ移動するしかない。
真剣な顔をしていたルイに、私の言葉は届かなかったのだろうか。
「セシリア、これから先は、まだお前の知らない世界なんだよ」
「でも、お兄様……」
「彼らのように若い世代は、確かに悪いことはない。したいことがあって、見たい世界があって、今の道を選んでいるのは分かる。でも、それがどれだけ危険な世界なのか、お前はまだ知らないんだ」
兄の表情も、ルイと同じように真剣だった。
私の知らない世界が、ここから先に広がっていくのか。
きっとそこには、私の命を脅かすような危険もあるのだ。
だから、ルイは私を遠ざけた。
彼は、私を連れてきたことを後悔していないだろうか。
私は、お兄様の力になりたいし、できることなら誰の血も流さずにこの争いを終わらせたい。
そして、できることなら魔女のことを少しでも知りたいのだ。
「お兄様、私がここに来たのは、理由があります」
「そうだね」
「私は、この争いをできるだけ被害が少なく、傷つく人が少なくなるように、交渉したい。そして、魔女の情報も聞き出したいんです」
「お前の気持ちは、分かっている。でも、それが必ず現実になるとは限らないんだ。それも分かっていなければ、いけないよ」
子どもに言い聞かせるような声で、兄は言う。
女の私は、こんな危険な場所に来るべきではなかったの?
いいえ、兄を守るため、妹を守るため、私は立ち上がらねばならない。
私は、兄の手を振り払い、ルイのもとへ戻ろうと足を進めた。
その時、ユーマがきつい言葉で彼らを責め立てているのが聞こえる。
私の知っているユーマではない。
でも、それでも。
「ユーマッシュ様、これより先の交渉は私が行います!」
「おっと、嬢ちゃん、本気かい?」
紫の髪を揺らし、ユーマは私を見た。
ルイが私をジッと見つめ、私の本気を問うている。
彼の考えていることは、分かっていた。
本気でこの場に来ているのか、本当にやれるのか、と。
やってやる!
やってみせる!
「へぇ、いい目ができるようになったじゃねぇか」
「場所を変わってください、ユーマッシュ様」
「おうよ。まあ、危ないことがまた起きれば、今度はアンタの旦那様が相手の首を飛ばすだろうよ。そうならないように、上手くやんな」
上手くやるつもりしかない。
相手は物資と金銭の交換を望んでいるのだ。
しかし、実際は「ソレ」が目的ではない。
「情報交換しましょう。こちらはそれに対して半金を払う。あなたたちにとって、貴重な外貨のはず。半分でもそれなりの金額を支払うわ」
「……情報が嘘だと、アンタは見抜けるのかい?」
「情報が本物かどうか、確定するまであなたを拘束します。どちらにせよ、我々は数日しかこの近辺に留まるつもりはないわ。結果はすぐに出る」
「それでも嘘かどうかは、分かるまい」
「すべてが成功した場合は、あなたたちの雇用先を見つけます!」
私の言葉を聞いた瞬間、ユーマとお兄様の目が丸くなった。
ルイは私の言うことが面白かったのだろう。
口元だけで笑っている。
「グラース家でも雇います」
「お、奥様!?何をおっしゃいますか!?」
驚いて大声を出したのはハンスだ。
今のグラース家は、私を守るために騎士団で構成されている。
そこに、ただの使用人ではなく、山岳地帯の部族から人を入れるとなれば、大事なのだ。
「奥様!グラース家にお仕えする者は、騎士団でなければなりません!そうでなければ、また魔女の襲撃があった場合、お守りすることが……」
「つまり、騎士団ならばいいんでしょう?私の口添えで、騎士団の入団試験を受ける権利をあなたたちに与えます。自信と実力、やる気があるなら、入団試験も突破できるのでは?」
「奥様ー!?」
ハンスは今にもぶっ倒れてしまいそうな、大声を上げていた。
その後ろでルイが声を殺して、笑っている。
騎士団の入団試験は、そもそも学園出身者でなければ得ることができない難易度の高い試験だ。
受験資格すら、通常の人は持たないのである。
稀に特殊な能力や、騎士団長の認めた存在が入団することを許可される場合もあるが、それは本当に稀な場合だけ。
未来を見つめて、部族を出ようとしている彼らにとって、名高い騎士団の入団試験を受ける権利があるだけでも、とても嬉しいはずなのである。
「……本気で言っているのか?」
「ええ。夫に誓います」
「でも、そう言って試験だけ受けさせて、入団させないつもりなんだろう?」
少年がそう言った瞬間。
妻である私よりも、驚いたハンスよりも、大きな怒鳴り声でルイが割って入った。
「栄誉ある騎士団の入団試験に不正などない!貴様らの実力があれば、入団は可能だ!」
誇り高い騎士団長であるルイ。
私は、彼がこんな人だと分かっていたから、こういった交渉をしたのだ。