お兄様の意気込みはよく分かったけれど、それだけで勝敗が変わるものなのか、私にははっきりと分からなかった。
だから、今はできるだけ魔女の情報集めに集中したいと思っている。
もちろん、交渉のためにはさまざまな情報が必要になるだろう。
それらも考えなければいけなかった。
滞在を許された小屋は、小さくて隙間風の入るような造りだ。
グラース家の屋敷と比べちゃいけない、と思うけれど、貴族の屋敷で生きてきた私にとっては、ちょっと辛かった。
寒さはもともと嫌いだし。
でも弱音は吐けない。
私がそんなことを言ってしまえば、お兄様の気持ちを落ち込ませてしまうかもしれないから。
「セシリア、冷えるだろう」
「ルイ……」
「側にいろ。俺は寒さは割と平気だからな」
「はい」
ルイの隣に座ると温かかった。
彼が風よけになってくれて、少しは寒さが和らぐのだ。
「寒いのは苦手だったか?」
「いえ、あまり好きではなくて」
「そうか」
ふと、会話がなくなる。
どうしたのかな、と見上げるとそこには顔を赤くしたルイがいた。
あら?どうしたのかな、と思ったら、手が震えていた。
「ルイ、手が冷えましたか?」
「あ、ああ!冷えた!手を繋いでくれ!」
「はい…あら、あったかい」
温かくて、大きな手だ。
あら、と首を傾げていると、兄やユーマが笑っていた。
「お兄様、どうしたんですか?」
「いやいや、ルイの面白い顔が見れたよ」
「あら、ひどい。ルイはそんな顔していませんよ?」
そう言ってルイの顔を見れば、真っ赤になり、俯いている。
いや、空いている手で顔を隠していた。
「手を繋ぎたいなら繋ぎたいって、言えばいいのに~」
「うるさいぞ、カリブス!」
「お兄ちゃんだぞ!」
「やめろ、今、その台詞は聞きたくない……!」
ルイと兄はそんなやりとりをしていた。
それを見て、私はやっと繋がれた手の意味を知る。
そうか、私と手を繋ぎたいって思ってくれたんだ。
だから、冷えたって……嘘までついて。
可愛らしいルイの嘘。
まるで、アリシアみたい。
そう思った時、とても冷たい風が吹いた。
小屋の窓から外を見ると、老婆が立っている。
杖を突いた、皺のある顔と手。
その眼差しは、私を射抜いた。
「あ、あの人!」
「セシリア!?」
私は、その老婆が気になって、ルイの手を放してしまった。
それが間違いだったと、すぐに気づく。
外へ出た瞬間、冷たい風に視界を奪われる。
気づけば、目の前に老婆が立っていた。
一瞬にして目の前に来た老婆の印象は、まさに魔女だ。
部族以外の人が彼女を見て、魔女と認識してしまっても、おかしくはないだろう。
「あ、あの」
「お前さん、どこから来たんだい?」
「え、あ、あの、グラースの家から……」
「ああ、先代の魔女を出した家か」
先代の魔女。
つまりそれは、ハンスの妻であり、ルイの伯母のことだ。
この人は、そんなことまで知っているなんて……!
「あの、あなたは魔女のことを……」
「ワシは、お前さんにどこから来た、と聞いたな」
「え?」
「どこから来た、お前さんの魂は。この世界ではないところから、まるで隙間を縫って入ってきたような感じだね。悪い魂じゃないが、ああ、そうか。お前さん、魔女に囚われているのか」
「ど、どうして……」
この人は、私がこの世界―――本の世界の中に転生した人間だって、見えているの?
それとも、嘘をついて、動揺させようとしているだけ?
「たまにいるんだよ、お前さんみたいな魂が。しかし、このままでは魂の行く先がなくなっちまう」
「な、何を言ってるんですか、わ、わたし、私は……!」
「お前さんは別の世界から来たんだろう。魂がそう叫んでいる。魂の形がこっちのもんとは違うのさ。魔女に干渉されたのか、理由は分からんけどね」
「なんで……」
どうして、分かったの。
どうして、私が転生者だって分かったの?
もしかして、この人が預言者……?
「あなたが、預言者……ですか?」
「さあね。そう呼ぶ人間もいるが、私は今までの女たちより大したこたぁないよ。でもお前さんの魂だけははっきり見えるねぇ。別の世界から来た魂の中でも、こんなにはっきり違いが分かるなんて珍しいこった」
「あの!私!!」
自分が転生者であることを、あまり知られたくなかった。
だって、あの世界に私はもういないのだ。
そして、あの時の私には戻りたくない。
たとえ本の中であっても、ここが偽物の世界だろうが、何だろうが、私はこの世界がいいんだ。
ルイと結婚して、お兄様も恋人と一緒になって、家族みんな幸せになるの!
そのためには、アリシアが魔女にならないように……。
「今の話は、何だ?」
その声は、ルイだった。
ルイが私と老婆を見て、なんとも言えない顔をしている。
どうしよう。
隠しきれない。
いいえ、隠さなきゃ!
「老婆よ、あなたが預言者なのは俺には分かる」
「……魔眼か。グラースの子だね」
「ああ。それは俺の妻だ。無用な話を聞かせないでもらえるか。結婚したばかりで、哀しませたくはない」
「……そうかい。ああそうだ、お前さん」
青い顔をしている私に、老婆は言う。
私は、固く口を結んで、何も言えなかった。
「お前さんの知りたいことは、なんにもないよ。ここにも、どこにもね。だが、2人の魔女がいるってことを教えておこう。2人で1人の、対の魔女だ。どちらが上でも、どちらが下でもない。鏡合わせの、対の魔女」
その瞬間、私は理解してしまった。
きっと、その対の魔女は私なんだ。
私がいるから、本当は魔女でもなんでもなかった、素敵な本の主人公だったはずのアリシアを魔女にしてしまったに違いない。
涙が溢れて、私は走り出す。
どれくらい走ったか分からなくなった時、ルイに腕を引かれた。
私の後を追ってきてくれたルイが、私を抱き寄せる。
「どこにも行くな、セシリア」
「だって、ルイ、私は……!」
「お前はセシリア・グラース。俺の妻。それ以外の何者でもない!」
大きな胸で抱きしめられ、私は涙をこぼす。
ああ、ごめんね、アリシア。
お姉ちゃんのせいで、きらきら輝く素敵なあなたを、魔女なんてものにしてしまったんだ。
もしかしたら、私も同じように魔女になってしまうかもしれない。
そう考えると、これ以上ルイと一緒にいるなんて。
彼の哀しみや、グラース家の悲劇を考えれば、無理な話だ。
「ルイ、私は」
「セシリア!お前は俺の妻だ。それだけでいい」
「でも……」
「あの老婆は預言者だが、魔術師のようなものでもある。すべてが真実とは限らない。俺は父から聞いたことがあるんだ。預言者の大半は、魔術師だ。魔術によって預言のようなことをして見せるが、事実とは違うことを言う者も多い」
「それって、騙している、ような?」
「ああ。そうやって部族内の人間関係を揺さぶったり、外の人間を襲わせたりしている。父は何人も魔術師を排除したが、もともと魔術師の生まれやすい家系だから、きりがない。きっとその時の残党だろう」
魔術師は、実力があり、よい人間ならば国で雇われる。
要は、国王の側で働くことを許されるのだ。
でもそれができない者は、占い師のような者から、冒険者の付き添いまで、さまざまである。
魔術師と言っても能力には大きな開きがあり、ルイやユーマのように魔眼を持つ者の方が特別視される。
「魔術を持つ者は、その魔力に魅了される。あの老婆のように長く生きれば、魔術なのか、夢現か、もう分からないだろう。たとえ当たっていることがあったとしても、それは意味が違うと思う」
「ルイ……」
「何よりも、強く正しき者は愛する者を傷つけない。それが、父やハンスの教えてくれたことだ。騎士団の男は、皆そうだからな」
ルイは微笑み、そう言ってくれた。
でもね、ルイ。
当たっているの。
私がこの世界の人間ではない魂を持つこと。
いつの日か、私はそのことをあなたに打ち明けねばならないのかしら……。