魔女は混沌の中から生まれたわけではない。
ごく普通の、ごく当たり前の、普通の娘。
ただ、その娘になかったものは、親兄弟。
気づいた時にはただ1人。
だから彼女が求めたものは―――自分に近しい存在。
しかしそれはすぐに現れた。
娘を引き取り、養護してくれる者。
それこそが、もっとも最初の魔女―――原初の魔女。
時空と空間を操る、この世界の調和者。
調和者の元で育った娘は、やがて自分も魔女になりたいと願う。
願った時、魔女は彼女にその力を分け与えた。
こうして、世界に魔女は2人になったのである。
だが、分け与えられたのは時空の力だけ。
時空と空間を操る原初の魔女は、自由気ままに生きてゆく。
娘はそれを追いかけるが、いつも追い付かない。
魔女とはそういう生き物。
魔女とはそういう人生。
「いかがですか?」
「えっと……魔女が2人いるというのは、分かりました……」
「驚かれますよね。この話をしたのは、あなたで2人目じゃないかしら」
「え?」
「先代が、前の魔女の時に話をした、と」
「誰に……ハンスは何も聞けなかったと言っていたんです。ハンスは、前の魔女の夫で」
誰に話をしたのか。
ルイも知らない話となれば、誰?
私が思い当たったのは、あの人だ。
「お義母様……もしかして、魔女になってしまった女性の妹に話をしたんじゃないでしょうか?」
「私も詳しくは分かりません。でも、そうだわ。あなたと同じ赤毛に緑の瞳の女性、と言っていなかったかしら。先代はその後に心を病みましたから、はっきりとは」
「やっぱり、それは夫の母です。魔女になってしまった女性の妹と聞いています」
じゃあ、お義母様はどうして、その話を誰にもしなかったのだろうか。
若かったルイには言えなかったとしても、ハンスには伝えてもよかったと思う。
「ただ、魔女が2人ということは、どちらが転生しているのかが分からない、という意味でもありますよ」
「あ、そう……ですね」
「魂の覚醒は通常起こりえません。例えば、前世の記憶を持っていたとしても、前世の生活をまた行う人は少ないでしょう?時代も周囲の環境も変わってしまっているのですから」
「でも、魔女は覚醒するんですよね?」
「ええ。それは確かです。でも、後者の魔女であったなら、話し合いの余地があるかもしれないと聞いています」
「話し合い?」
後者の魔女、とは時空と空間を操る魔女が育てた娘のことかな。
つまり、時空を操る力を分けてもらった娘。
先の魔女よりも能力が劣るから、話し合いができるんだろうか。
「そ、それは、後者の魔女は能力が低いという感じでしょうか?」
「それもあるようですが、何よりも幼い魔女だという伝承です。時空を操る者は年を取りません。若くしてその能力を得た彼女は、幼い少女のままだと言います」
「幼い少女のまま……」
私の中で、その姿がどうしてもアリシアに重なってしまう。
今のあの子は、ちょうどそのくらいかもしれない。
私の表情を見て、預言者は話を続けてくれた。
「それが姉妹の秘密かもしれません」
「姉妹の秘密?」
「魔女は転生する時に、必ず姉妹を選択します。はっきりとした理由は分かりませんが、自分が生活していくのに困らないように、とも思いますが……」
「でも、それなら姉妹ではなく、母親を選んで転生した方がいいのではないですか?例えばですけれど、健康な母親なら長生きする、お金持ちの家にする、とか」
「必ずしもそうではない、つまりそこに何かあるのでしょう。伝承はここまでです。後は、きっとあなたが知っている、戦争を起こした魔女の情報くらいではないでしょうか」
アリシアは、今の生きる場所を選んで生まれてきたことになる。
つまり、それは私がいたからだ。
私がいなかったら、あの子は、魔女にならなくても済んだのに。
とても落ち込む。
私がこの本の中に転生しなければ、よかったのだ。
それなのに。
「魔女になる妹さんが大切なんですね」
「え、あ、はい……小さな頃から私が面倒を見ていて」
「そうですか。先代は、こんな時、魔女を見捨ててしまえ、と言う人でした。でも私も子どもを手放しているから……そんなこと、言えませんもんね」
「う……そ、そうなんです!大事な妹なんです!!」
私にとって、アリシアはただの妹ではない。
転生する前、あの辛くて孤独な世界で、唯一の希望。
本を開けば、いつでも幸せで可愛いアリシアがいた。
大事な、私の希望。
「魔女は、あなたがそんなに優しいから選んだのかもしれませんね」
「でも、私が、妹を……!」
「いいえ、それは違います。魂の行く末は本来は決まっているもの。捻じ曲げているのは、魔女の方ですよ。あなたは悪くありません。そして、我々も……。魔女の蛮行によって、誤解を受け、酷い差別や迫害に悩まされてきました。山にこもっているのは、家族を守るため。その期間が長くなりすぎてしまいました」
ふと、私はその陰りのある顔に誰かを見たような気がした。
でもはっきりと分からないのだ。
「魔女の話は終わりましょう。あなたの交渉の話を聞きたい」
「分かりました。でも、あなたが交渉相手でいいのですか?部族の長でなければ、変わらないのかと思って……」
「ふふ、預言者は部族の長よりも強い立場なんですよ?」
「え、そうなんですか!?」
「はい。ただし、本来は先代の方が立場は上です。でも、今は先代も病んでいますので、実質私が一番なんです」
ニコニコしているけど、結構恐いことを言っている。
うん、でも、まあ、交渉はしやすくなったかもしれない。
しかし、私の気が緩んだのを預言者は見逃さなかった。
「あら、私なら交渉が楽だと思いました?」
「え、いえ……」
「まあ、心にもないことを。私、子どもを外に捨てるくらいの女ですよ?あなたみたいな小娘の話、本来は聞くに堪えないわ」
え?と思っている間に、一気に形勢逆転してしまった。
目の前にいる女は、恐い人だ!
ヒュッ、と息を飲んで、吐き出すことを忘れてしまう。
でも私は、ゆっくりと息を吐き出し、ゆっくりともう一度吸い込んだ。
負けてはならない。
ここで負ければ、外で戦う兄だけでなく、ついてきてくれたみんなの命さえ危うくなる。
「この部族と……物資のやりとりをしたいんです」
「あら、こんな山には大したものはないでしょう?特に貴族や騎士団が欲しがるようなものなんて……」
「いいえ、あります」
「あら?」
「人材と土地です」
それを聞いて、彼女は目を丸くした。
私は事前にルイと話し合っていたのだ。
この土地には何があり、何がないのか。
それは欠点ではあるが、逆を考えれば長所にならないか。
ルイの提案は、騎士団ならではだったかもしれない。
だから、彼女は驚いたのだ。
「まず、人材として若手を働き手に欲しいんです。その中で優秀な人は、騎士団の入団試験を受けさせます」
「き、騎士団は貴族でなければなれないのでは……」
「いいえ。夫に騎士団の入団基準を細かく確認しましたが、そこに生まれは関係ありません。もちろん、文字の読み書きなど必須なことはありますが、それも含めて騎士団で支援します」
「騎士団に入れて……読み書きもできるようになる……」
「騎士団に入れなくても、グラース家を中心とした信頼できる貴族の家や、その関係のところで働き口を見つけます。皆さん、腕には自信があるようなので、礼儀作法を見に着ければ十分に護衛が務まります」
そして、土地。
これはルイからの提案だった。
「そして、山の一部を騎士団の鍛錬場、遠征時の中継地として買い取りたい」
「か、買い取るなんて、値段のつくような……」
そう、それを言わせたかった。
この山岳地帯は、人が住むには厳しい土地なのだ。
だから、二束三文。
でも、そこに値段が付くとなれば。
「騎士団が使う土地です。安い土地では困ります」
「……ふふ、あなた、すごいわね」
「夫がいますから」
「そうね、さすが騎士団長の妻ね……」
最後の台詞。
少しだけ何かを含んでいるような気がしたのは、私だけだっただろうか。