私はアリシアの声のまま、馬を走らせた。
その先に何が待っているのか、と言われれば、妹しかいないことを理解している。
妹だけが、私の支えだった。
いいえ、それは今の私。
かつて転生する前の、惨めな私は、キラキラ輝く可愛らしいあの子を見て、それを支えに生きるしかなかったのだ。
それが、こんなことになった。
あんなに優しくて、愛しくて、これから先の国を守るべき子が、魔女になってしまうなんて。
今の私には、アリシアの声しか聞こえない。
そのか弱い声、どうしてそんな声をするの?
守らなきゃ。
どうにかして、守らなきゃ。
それだけしか、私には分からない。
「セシリア!!」
誰かが私を呼んでいても、理解できない。
妹のところに行かねばならない。
それだけが私を突き動かす。
「セシリア、落ち着け!!」
目の前に馬が出て、そこに乗っていたのはルイだった。
彼のことが視界に入って、私はゆっくりと落ち着きを取り戻す。
馬の手綱を握り、そしてゆっくりと馬を止めた。
「セシリア、それは魔女の声だ。聞いてはならん」
「違います!アリシアの声です!」
「違うんだ、セシリア!俺を見ろ!」
見ているのに、分からない。
見えているのに、見えていない。
そんな感覚が私を襲う。
ルイの赤い瞳が私を見つめ、それによってあの声が遠のくのが分かった。
「ルイ、アリシアが遠くへ行ってしまう……」
「魔女の力が強まっているんだ。お前への干渉が強すぎる」
「強すぎる?なんの、話を……」
「少し休め、セシリア」
「いえ、休めません……」
けれども、私はルイに抱き留められた。
彼にとって大事なのは、私の妹なのではなく、私なのである。
「セシリア、まずは家に帰ろう」
2人の家、グラースの屋敷へ。
私はそれに従うことにして、静かに頷いた。
兄は、当分部族の祝杯を受けるため、ここに残ると言う。
グラースの屋敷に戻ったのは、ユーマとハンス、そしてルイと私。
疲れ切った私を馬に乗せ、ルイはグラースの家へ戻った。
しかし、グラースの屋敷へ戻るとおかしなことに気づく。
人がいないのだ。
マリアさんも、庭師も、人だけなく馬もいない。
おかしい、と感じているところへ、声がした。
「お姉様、おかえりになったのですね」
「アリシア?」
「お待ちしてましたわ」
金色の髪に青い瞳。
まるで人形のように可愛いアリシアなのに、そこにいるのはまるで―――ただの人形。
感情のない瞳に、声が私を不安にさせる。
「ど、どうしてここに?」
「だから、お姉様がおかえりになるのを待っていたんです」
「どうして……」
「お姉様、まだ分からないんですか?」
青い瞳が私に近づく。
その瞳に映っているのは、かつての私。
かつて、旅館で馬車馬のように働かされていた私の姿だ。
どうして、と思った時には遅い。
私の中に、あの子が入ってくる感覚がよく分かった。
同時に、私は、「あの子」の中にも入って行くのだ。
それは遠い遠い記憶の海。
「あの子」は1人でそこにいて、1人でそこにいるしかできなかった頃の話。
彼女に名前はなく、幼くて、何も持たず、ただそこに存在するだけだった。
だから、寂しさや哀しさから、力を求め、愛を求める。
その結果、呼び寄せたのは強大な力を持つ魔女であった。
魔女の名はアン。
赤い髪に緑の瞳をした、時空と空間のはざまに住まう者。
アンはその娘を自分の場所へと引き込み、自分の力の一部を分け与えた。
赤い髪が揺れると雨が降り、緑の瞳が輝くと草木が枯れる。
(私はね、死ねないのよ、お嬢さん)
アンはそう言って、ただこちらを見ていた。
原初の魔女―――何から始まり、どこから来たのか、本人も忘れてしまうくらいに遠くから来た存在。
彼女は少女に力を分け与え、世界を見せてくれた。
長く長く生きた魔女の命の中で、ちょっとした気まぐれだ。
そんな気まぐれでもなければ、長くなど生きていけない。
少女に力を分け与えると、その少女は死ねなくなった。
名前も持たず、何も持たず、そこにはただのアンと少女しかいない。
いない世界の中で、2人きり。
ただ人間や動物の世界が崩れては生まれて行き、産まれては崩れていくのを見続けた。
やがて、少女はアンがその争いを引き起こしていることに気づく。
どうしてそんなことをするのか、と尋ねれば、アンは笑った。
それが面白いからよ、と。
面白いから、それをするの、と。
お嬢さんには分からないかしら、でもいつか分かるわよ、あなたも死ねないのだから、と言った。
少女は恐ろしくなった。
自分の隣にいるのは、美しい者ではなくて、ただの暗闇なのだ。
他者の心に住まう闇が、ここに具現化している。
恐ろしくなった少女は、アンを愛しながら、アンを捨てるしかなかった。
アンの側を離れて、何度も何度も死のうとした。
けれども死ねなかった。
この世界は少女を縛り付ける。
生きろ、生き続けろ、と少女を縛って、死なせてくれなかった。
首を吊っても、心臓を貫いても、何をしても死ねないのだ。
だから。
少女はアンからもらった力を使い、時空を超えて、死を願った。
何度も、何度も、違う時空、違う世界で命を絶とうともがく。
でも、絶てないのだ。
壊れた体も、腐った肉も、命が潰える前に元通りになる。
少女は、自分の死に場所を求めて世界を探し、時空を渡り歩いた。
時にそれは美しい娘、時にそれは仕事に疲れた若い男。
海から身を投げ、電車に飛び込み、毒を飲む。
けれども死ぬことはなかった。
最後に死のうと思った世界に行った時、彼女は初めて出会ったのだ。
自分の死を止めてくれる存在―――自分の自殺に巻き込まれて死んだ、女。
自分は死ねなかったのに、自分を止めた女は死んでいた。
赤い血が川に流れて、女の息が止まる。
それを見て、少女はこの人なら自分の何かを断ち切ってくれるのではないか、と思う。
だから、この人の望む世界に行こう、共に。
一緒に生きて、この因果から一緒に解き放たれよう、そう思えた。
だから少女は、その女を転生させたが―――すでに死んだ女の魂は量が足りず、自分の魂を分け与えた。
こんなことをすれば、この女の因果に魔女の力が関わってしまうかもしれない、と分かっていたけれど、それでも自分を救ってくれるかもしれない存在を、手放す気になれなかったのだ。
次に目が覚めた時、そこにあの人の存在があった。
自分を最初から愛してくれて、育ててくれて、心の底から大事にしてくれる。
アンとは違う存在。
それを少女は手に入れたと思った―――しかし。
少女は自分を抱く腕を覚えていた。
この腕、この声、この魂の形。
自分を見る目は、忘れもしない―――原初の魔女。
「セシリア、あなたはとても優秀だったわ。前の世界でお嬢さんの魂をもらって、ちょっと能力が高くなって。それで転生したのだから、騎士団長の妻くらいになってもらわなきゃ、面白くない」
私は、セシリア・グラース。
騎士団長、ルイフィリア・レオパール・グラースの妻。
目を開けると視界が開け、そこにいたのは母だった。
金色の髪に青い瞳。
私を見つけた、私とアリシアの母、アンリエッタ。
「人間との戦争もそろそろ潮時だと思っていたの。人間ってやっぱりつまらないわ。壊して、壊れて、争って、罵り合い、傷つけ合うことの繰り返し。おかしいと思わない?自分たちの利益にならないと分かっているのに、争い続けるのよ」
母が笑っていた。
アリシアが母を睨む。
「そう仕向けているのは、あなたでしょう、アン!」
「そうねぇ。でもそれは人間の本心がすること。本能なんじゃないかしら、人と争い、傷つけ合うことが。だからもう飽きたのよ、こんなことの繰り返し。でも、そんなことよりももっと面白いものを見つけたわ!」
母は、まるで子どもがおもちゃを見つけたかのように、笑う。
可愛らしい笑顔だ。
「ねえ、セシリア!あなたは私の娘でしょう?だから―――いいわよね?」