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第98話

私はアリシアの声のまま、馬を走らせた。

その先に何が待っているのか、と言われれば、妹しかいないことを理解している。

妹だけが、私の支えだった。

いいえ、それは今の私。

かつて転生する前の、惨めな私は、キラキラ輝く可愛らしいあの子を見て、それを支えに生きるしかなかったのだ。

それが、こんなことになった。

あんなに優しくて、愛しくて、これから先の国を守るべき子が、魔女になってしまうなんて。


今の私には、アリシアの声しか聞こえない。

そのか弱い声、どうしてそんな声をするの?

守らなきゃ。

どうにかして、守らなきゃ。

それだけしか、私には分からない。


「セシリア!!」


誰かが私を呼んでいても、理解できない。

妹のところに行かねばならない。

それだけが私を突き動かす。


「セシリア、落ち着け!!」


目の前に馬が出て、そこに乗っていたのはルイだった。

彼のことが視界に入って、私はゆっくりと落ち着きを取り戻す。

馬の手綱を握り、そしてゆっくりと馬を止めた。


「セシリア、それは魔女の声だ。聞いてはならん」

「違います!アリシアの声です!」

「違うんだ、セシリア!俺を見ろ!」


見ているのに、分からない。

見えているのに、見えていない。

そんな感覚が私を襲う。

ルイの赤い瞳が私を見つめ、それによってあの声が遠のくのが分かった。


「ルイ、アリシアが遠くへ行ってしまう……」

「魔女の力が強まっているんだ。お前への干渉が強すぎる」

「強すぎる?なんの、話を……」

「少し休め、セシリア」

「いえ、休めません……」


けれども、私はルイに抱き留められた。

彼にとって大事なのは、私の妹なのではなく、私なのである。


「セシリア、まずは家に帰ろう」


2人の家、グラースの屋敷へ。

私はそれに従うことにして、静かに頷いた。


兄は、当分部族の祝杯を受けるため、ここに残ると言う。

グラースの屋敷に戻ったのは、ユーマとハンス、そしてルイと私。

疲れ切った私を馬に乗せ、ルイはグラースの家へ戻った。


しかし、グラースの屋敷へ戻るとおかしなことに気づく。

人がいないのだ。

マリアさんも、庭師も、人だけなく馬もいない。

おかしい、と感じているところへ、声がした。


「お姉様、おかえりになったのですね」

「アリシア?」

「お待ちしてましたわ」


金色の髪に青い瞳。

まるで人形のように可愛いアリシアなのに、そこにいるのはまるで―――ただの人形。

感情のない瞳に、声が私を不安にさせる。


「ど、どうしてここに?」

「だから、お姉様がおかえりになるのを待っていたんです」

「どうして……」

「お姉様、まだ分からないんですか?」


青い瞳が私に近づく。

その瞳に映っているのは、かつての私。

かつて、旅館で馬車馬のように働かされていた私の姿だ。

どうして、と思った時には遅い。

私の中に、あの子が入ってくる感覚がよく分かった。


同時に、私は、「あの子」の中にも入って行くのだ。


それは遠い遠い記憶の海。

「あの子」は1人でそこにいて、1人でそこにいるしかできなかった頃の話。

彼女に名前はなく、幼くて、何も持たず、ただそこに存在するだけだった。

だから、寂しさや哀しさから、力を求め、愛を求める。

その結果、呼び寄せたのは強大な力を持つ魔女であった。


魔女の名はアン。

赤い髪に緑の瞳をした、時空と空間のはざまに住まう者。

アンはその娘を自分の場所へと引き込み、自分の力の一部を分け与えた。

赤い髪が揺れると雨が降り、緑の瞳が輝くと草木が枯れる。


(私はね、死ねないのよ、お嬢さん)


アンはそう言って、ただこちらを見ていた。

原初の魔女―――何から始まり、どこから来たのか、本人も忘れてしまうくらいに遠くから来た存在。

彼女は少女に力を分け与え、世界を見せてくれた。

長く長く生きた魔女の命の中で、ちょっとした気まぐれだ。

そんな気まぐれでもなければ、長くなど生きていけない。

少女に力を分け与えると、その少女は死ねなくなった。

名前も持たず、何も持たず、そこにはただのアンと少女しかいない。

いない世界の中で、2人きり。

ただ人間や動物の世界が崩れては生まれて行き、産まれては崩れていくのを見続けた。


やがて、少女はアンがその争いを引き起こしていることに気づく。

どうしてそんなことをするのか、と尋ねれば、アンは笑った。

それが面白いからよ、と。

面白いから、それをするの、と。

お嬢さんには分からないかしら、でもいつか分かるわよ、あなたも死ねないのだから、と言った。


少女は恐ろしくなった。

自分の隣にいるのは、美しい者ではなくて、ただの暗闇なのだ。

他者の心に住まう闇が、ここに具現化している。

恐ろしくなった少女は、アンを愛しながら、アンを捨てるしかなかった。


アンの側を離れて、何度も何度も死のうとした。

けれども死ねなかった。

この世界は少女を縛り付ける。

生きろ、生き続けろ、と少女を縛って、死なせてくれなかった。

首を吊っても、心臓を貫いても、何をしても死ねないのだ。

だから。

少女はアンからもらった力を使い、時空を超えて、死を願った。


何度も、何度も、違う時空、違う世界で命を絶とうともがく。

でも、絶てないのだ。

壊れた体も、腐った肉も、命が潰える前に元通りになる。

少女は、自分の死に場所を求めて世界を探し、時空を渡り歩いた。


時にそれは美しい娘、時にそれは仕事に疲れた若い男。

海から身を投げ、電車に飛び込み、毒を飲む。

けれども死ぬことはなかった。


最後に死のうと思った世界に行った時、彼女は初めて出会ったのだ。

自分の死を止めてくれる存在―――自分の自殺に巻き込まれて死んだ、女。

自分は死ねなかったのに、自分を止めた女は死んでいた。

赤い血が川に流れて、女の息が止まる。

それを見て、少女はこの人なら自分の何かを断ち切ってくれるのではないか、と思う。

だから、この人の望む世界に行こう、共に。

一緒に生きて、この因果から一緒に解き放たれよう、そう思えた。


だから少女は、その女を転生させたが―――すでに死んだ女の魂は量が足りず、自分の魂を分け与えた。

こんなことをすれば、この女の因果に魔女の力が関わってしまうかもしれない、と分かっていたけれど、それでも自分を救ってくれるかもしれない存在を、手放す気になれなかったのだ。


次に目が覚めた時、そこにあの人の存在があった。

自分を最初から愛してくれて、育ててくれて、心の底から大事にしてくれる。

アンとは違う存在。

それを少女は手に入れたと思った―――しかし。


少女は自分を抱く腕を覚えていた。

この腕、この声、この魂の形。

自分を見る目は、忘れもしない―――原初の魔女。


「セシリア、あなたはとても優秀だったわ。前の世界でお嬢さんの魂をもらって、ちょっと能力が高くなって。それで転生したのだから、騎士団長の妻くらいになってもらわなきゃ、面白くない」


私は、セシリア・グラース。

騎士団長、ルイフィリア・レオパール・グラースの妻。

目を開けると視界が開け、そこにいたのは母だった。

金色の髪に青い瞳。

私を見つけた、私とアリシアの母、アンリエッタ。


「人間との戦争もそろそろ潮時だと思っていたの。人間ってやっぱりつまらないわ。壊して、壊れて、争って、罵り合い、傷つけ合うことの繰り返し。おかしいと思わない?自分たちの利益にならないと分かっているのに、争い続けるのよ」


母が笑っていた。

アリシアが母を睨む。


「そう仕向けているのは、あなたでしょう、アン!」

「そうねぇ。でもそれは人間の本心がすること。本能なんじゃないかしら、人と争い、傷つけ合うことが。だからもう飽きたのよ、こんなことの繰り返し。でも、そんなことよりももっと面白いものを見つけたわ!」


母は、まるで子どもがおもちゃを見つけたかのように、笑う。

可愛らしい笑顔だ。


「ねえ、セシリア!あなたは私の娘でしょう?だから―――いいわよね?」


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