温かい日差しを受けて、目を覚ます。
今日もアリシアの一日は、姉の美味しい朝ごはんから始まるのだ。
メイド長と姉は仲が良く、一緒に料理をしていることが多い。
「アリシア、朝よ」
「はい、お姉様」
「着替えて、髪を整えなさい」
「はい!」
アリシアは幸せだった。
大好きな姉と一緒に居られて。
それが貴族の娘としては、少し珍しいことなど、知りもしない。
姉が髪を整えてくれて、アリシアは鏡越しに笑顔の姉を見る。
大好きな姉、私だけのお姉様。
アリシアはそう思って、姉の側を離れる気は一切ない。
一緒に食堂へ行くと、姉の焼いた香ばしいパンの香りがする。
フワフワのパンはとても美味しくて、スープはあっさりしているのに、蕩ける野菜が入っている。
妹の体を気遣う料理の上手さに、アリシアは大満足だった。
柔らかいオムレツにはトマトが添えられ、レタスなどの野菜も載っている。
口に入れれば蕩けるオムレツ。
アリシアはこの美味しさは自分だけのもの、と思って味わう。
これを食べられるのは、これから一生自分だけなのだ。
「そう言えば、朝、お父様へ手紙が来ていたわね」
「はい、お嬢様。本日の昼には旦那様がお帰りになります。その時にお渡しいたします」
「うん、お願いね」
「はい」
姉とメイド長の話を聞いて、アリシアは焦った。
なんてことだ!
あの手紙は、確実に飛んで行って、川に落ちたはず。
それを一晩で書き直して、持ってきたというのか。
なんて執念、なんて行動力!
そんな男に、姉の生涯を渡すわけにはいかない、と思う。
「あら、どうしたの、アリシア?」
「い、いえ!」
「美味しくなかった?」
「そんな!とっても美味しいです!」
「よかったわ。食べ終わったら、少し散歩をしましょうね。それから、読みたがっていた本を読もうかしら」
「お天気がいいので、お庭で読みませんか、お姉様!」
父の手に手紙が渡る前に、どうにかせねば。
ならば、少しだけでも姉を引き離しておきたい。
「そうね、ちょっとお茶でも持っていきましょうか」
「はい!私、読みたい本がたくさんあります!」
「あら、いつの間にそんなにたくさん本を見つけたの?」
微笑む姉を必死に惹きつけて、アリシアは笑う。
自分が笑えば、姉も笑ってくれるのだ。
食事を終わらせると、早速大量の本を握って、アリシアは姉の側にベッタリだ。
父が帰った姿が見えても、挨拶もそこそこに、姉と庭へ出て行く。
絶対に姉を結婚させてなるものか!それが今のアリシアの強い執念であった。
のどかな庭、温かくて、花が咲き、お茶も美味しく飲める場所。
アリシアは、本を読みながら遠目に窓越しの父を見た。
手紙を開こうとしているのを見て、アリシアは悔しくなる。
姉は私がわざわざ転生させて、ここまで連れてきたのだ。
誰かと結婚するために来たんじゃない!
嫉妬の炎がメラメラとアリシアを包んでいたが、とうの姉は何も気づかず好きな本を読んでいる。
以前から好きな本であれば、何度も読み返すような人だ。
こんなに純粋でいい姉を、どこのどいつにやれるものか。
しかし、今のアリシアにはもう力がない。
昨日使った魔力は、今出せる最大限のもの。
これ以上は難しいので、どうしたらいいか、考えた。
ならば、とにかく駄々をこねて無理を言ってみるか?はしたないと言われるかもしれないが、効果はあるだろう。
「お姉様、お姉様は学園でどんな本を読まれたんですか?」
「そうねぇ。植物の本はとても面白かったわ。詳しく書かれていたし、絵もあったの。刺繍の模様にも使えそうだったわね」
「まあ、素敵!お姉様って、植物がお好きですよね」
「ええ。まるで植物の声が聞こえるみたいなのよ。ふふ、おかしいでしょ?」
「いいえ、そんなことありません!私、お花畑には妖精さんのお家があるって思います!」
子どもっぽい台詞を並べておこう。
実際のところ、妖精は森や山などの自然の魔力が溜まる場所にいることは多い。
通常は見えないが、魔力の高い者や魔眼を持った者には見える。
アリシアは、魔女の知識として人間の側に妖精がいないことは分かっていたが、夢見る少女を演じることは、姉のためだと信じていた。
「うふふ、アリシアったら可愛いことを言うのね」
「だって!お花の間をヒラヒラって飛んでいるって、夢で見ましたもの!」
「あら、素敵な夢ね」
笑う姉はとても優しい笑顔だ。
姉は、もうすぐ学園の卒業になる。
すでに主席で卒業が確定しており、彼女の能力の高さがはっきりとしていた。
アリシアはそんな姉を尊敬しつつ、やはり卒業後は自分のところに戻ってきて欲しい、と思う。
自分も姉が卒業してから学園に行くことになる。
もう少し年齢が近ければ一緒に行けたのに、と思うことは大いにあるが、仕方ない。
今は、姉が実家に戻る確定を作らねばらなかった。
「そういえば、同級生のご令嬢がお嫁に行くと聞いたわ」
「そ、そうなんですか!?」
今、結婚の話は駄目だ。
そんな話をして、そのままの流れで自分も!と言われては困る。
「ふふ、学園に在学している間に見初められないと、行き遅れるから仕方ないわね。私は完全に行き遅れよ」
「い、いえ、お姉様はお優しいし、何でも優秀でいらっしゃるから、い、い、急がなくても」
「ありがとう、アリシア。そうよね、お嫁に行くのは急がなくてもいいわよね」
「そうです!」
よし、とアリシアは思った。
このまま姉の気持ちを結婚から引き離せ!
絶対に嫁に行ってもらっては困るのだ!
その日の晩、父親が兄を呼びつけて、書斎で何やら話をしている。
アリシアは、姉に見つからないように聞き耳を立てると、どうやら我が家の財政は傾いているらしい。
兄に任せた事業がものの見事に失敗し、負債が増えた、という話だ。
あんな兄に任せるからだ、とアリシアは思う。
そんなことなら、首席で学園を卒業する姉に任せて見ればいいものを、やはり事業をするなら、家業を継ぐなら男でなければ、という思いが父親にはある。
(あのお兄様に何ができるとも思えないけれど……)
遊び呆けているとも聞くし、学園を卒業して数年は放蕩息子状態だった。
稀に連絡は寄越すが、帰って来ない。
遊んでいるのか、仕事をしているのか、分からない。
それが兄という人だった。
(どこのご令嬢からも相手にされない、情けない男だし)
ウォーレンスを見たら逃げろ、とまで令嬢たちから言われたのが兄である。
普通ならば、貴族の男子が来れば、令嬢たちは周囲を取り囲んで、これでもか、というほど自分に注目をさせたがる。
確かに美しい人、胸の大きな人、知性、品性、さまざまな特徴の令嬢がいるが、その誰もがカリブス・ウォーレンスを嫌がった。
もともと風来坊のようにして、飄々とした態度、なんとも言えない口調や仕草に、令嬢たちは気持ちが乗らないのだ。
美しい金髪に青い瞳は、本当に美しいものなのに、兄は好かれない。
変な人に何を言っても、治ることはない。
アリシアはそう思って、離れようとしたが、聞き捨てならない言葉が聞こえてくる。
「騎士団長のルイフィリア・レオパール・グラース様から直々だぞ!」
「そんなの知らないよ、僕には関係ない」
「何を言うか!この縁談でどれだけうちに金が入ると思う!お前が湯水のように消し去った金を、セシリア1人でまかなえるんだからな!」
「はいはい」
なんて奴ら!!
アリシアの怒りは爆発しそうだった。
大事な大事な姉を、お金のために見知らぬ男に嫁がせようとしている。
まさに人質ではないか!
お金がないのは分かる。
しかし、そのために娘を売ろうとはなんという親か。
「養女でもいいと言っておられるんだ」
「あ、そう」
「おい、カリブス!」
そうか。
アリシアは、転生前の彷徨い続けた自分を思い出す。
必要とされない人間はいる。
そんな人間は、それ相応に扱われる。
自分はそうだった。
でも、大事な姉は違う!と叫びたかった。