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前日譚~妹アリシアの苦悩~④

あれから、実のところ数日が経った。

父は姉に縁談の話が来ていることを言えずに、次の仕事に向かったようである。

今回屋敷に戻ったのも一時的なものであり、また数週間は戻らない予定だ。

アリシアは、父を笑顔で見送り、姉にまだ縁談話が回っていないことを確認して安堵の息をついた。


姉へ縁談話が来たのは、正直なところこれが初めてではないのを、父とアリシアは知っている。

貿易商を営む父と、学園を常に主席で過ごしていた長女となれば、関係を持ちたい貴族は多いらしい。

しかし、そんなこと妹にとっては関係ない。

姉は自分だけの姉であって、家や金のために嫁ぎ先を決めるようなことがあってはならない、と思っている。

同時に、このまま姉が嫁ぐことなく行き遅れ、そのまま年を取ってしまえば、次の転生先を考えてもいいかもしれない。

この世界でも上手く行ったのだから、次の世界でも上手く行くはず。

自分が成人した頃には、魔力も十分に回復しているであろうから、今度は計画的に魔力を貯めて、次の世界を選んでもいいな、とアリシアはニヤリと笑う。

紅茶に映った自分の顔は、まさに悪女であった。


姉の幸せを願う、最恐の悪女である。


それを繰り返していくならば、これから先、幾つもの世界を姉の魂と渡り歩くことができるだろう。

そうなれば、今までの孤独は感じることはなくなるし、楽しい日々が待っている。

なんなら、魔力を大量に使って、記憶を改ざんしてもいい。

できなくはないのだが、魔力の消費量がとんでもない量になってしまうので、そう簡単には行えないだけだ。


自分好みの姉を作っていく―――いや、今度は反対でもいいかもしれない。

それも面白いだろう。

そんなことを考えていると、口元が緩んでいく。


「アリシア、ケーキが焼けたわよ」

「まあ、お姉様!」

「見てちょうだい、とっても美味しそうでしょ?」


ニコニコ笑う姉は、とても愛しい存在だ。

アリシアは姉に向かって満面の笑顔を見せた。


「お姉様、今日のお紅茶はとってもいい香りがいたします!」

「そうでしょう?新しい茶葉なのよ!アリシアが気に入ると思ったわ」


姉は妹の好みを把握している、と思っているかもしれなかった。

しかし、実際は妹が姉の喜ぶことを理解しているのだ。

金色の髪や青い瞳、これだけでも姉は大好きで、それに人当たりがよければ十分だ。

貴族の令嬢としてのよさよりも、もっと姉が好むもの。

それはこの「本」の中にある、キラキラ輝く乙女の姿。


「お姉様、お父様ったら、お仕事ばかりですね」

「そうねぇ。今度はどちらに行かれるのかしら」

「この前は砂の国へ行かれたと聞きました」

「あら、だから向こうの織物があったのねぇ」


刺繍が好きで、料理が好き。

綺麗なものをさらに綺麗に、それが姉の大好きなこと。

キラキラ輝く、お姫様を姉は所望しているのだ。

か弱くて、可愛らしい。

ドレスが似合って、リボンをつける。

そんなものが大好きな姉を、大好きな妹。

私だけを見てくれればいい―――たとえ、中身が魔女でも。


「アリシア、私ね、学園を卒業したのだけれど……」

「どうしたのですか、お姉様?」

「家にずっといるのもいいけれど、少し働きに出てみようかと思って」

「は?」


間抜けな声が出た。

この姉、何を言っているのだ。

貴族の娘が、貴族として生きてきた娘が、働きに出る?

そんなこと、できるはずがない。

いや、普通はそんなことを考えない!


「家庭教師に出ようと思って」

「か、ていきょうし?」

「そうよ。いくつか知り合いのお屋敷を回って、家庭教師に入らせてもらおうかと思うの」

「か、か、か、家庭教師ィ!?」


ということは、妹の時間を捨てて、別の人間を育て上げるということ?

愛しい妹との時間を、ゆっくりのんびり、楽しむという選択はないということ!?

アリシアは混乱していた。

そもそも貴族の娘が働きに出るだけでも、おかしいというのに、家庭教師だなんて野蛮すぎる!


「お姉様が家庭教師ですか!?」

「ええ、そうよ。駄目かしら?」

「いえ、その、あの……」

「学園に入る前の子に色々習い事を教えたりするの。素敵じゃない?」


素敵じゃない。

まったくもって、素敵じゃない。

なんで、そんなことに結論が出たのか。

アリシアは、それを回避すべく、頭をフル回転させた。


「お姉様、か、か、家庭教師ならば、まずは私に色々教えてくださいませ!?」

「あら、アリシアにはいつも色々教えているでしょう?」

「も、ももも、もっと、色々教えてください!!」


目が回るような、展開にアリシアは本気で困り果てていた。

姉はもともとそんなところがある。

だから、転生前の世界で自殺しようとしていた人間に飛び掛かり、一緒に死んでしまったのだ。

そんな姉だから、一度言い出したら、もっと大きなものがなければ意見を変えることはない。


どうしよう。

本気で困った。

自分が魔女であることを明かしてしまおうか。

アリシアはそこまで思う。

しかし。


しかし、そんなことをすれば姉が哀しむのも分かる。

妹が魔女だなんて知ったら、心優しい姉はひどく哀しんでしまうだろう。

それは避けたい。

哀しませたいわけではないのだ。

アリシアは頭をとにかく回転させ、答えを、急ぐ。


「お、お、お、お姉様に大事な話がある、とお父様が」

「あら、そんなこと言っていたかしら?」

「お、お忙しいようで、帰るまで待つように、と……」

「あら……じゃあ、家庭教師に出る話もその時にしようかしら」

「そうですね!それまでは急がない方がよろしいかと思います!」


一生続く安定や安寧はない。

いつの日か、揺るぎがくるもの。

それが、今、目の前に。

姉の結婚を阻止したつもりだった。

阻止したつもりだったけれど、貴族の娘が家庭教師に出るなんてことよりはましなのだろうか?


「仕方ないわね。お父様がお帰りになるまで、ゆっくり過ごしましょう」

「はい、お姉様!」

「じゃあ、それまではアリシア専用の家庭教師ね」

「はい!」


アリシアは、その言葉につい心をときめかせてしまった。

自分専用の家庭教師になってくれる姉。

姉との充実した時間。

愛しくて、甘くて、幸せ。

だから、アリシアは油断してしまったのだ。


父の帰りが早かったこと。

縁談話がかなり押しが強く、すぐに返事が必要である状態にあったこと。


帰り着いた父親は、セシリアを部屋に呼びつけ、縁談話を受けなければいけない、と話を進めた。

相手は顔も知らない、この国の騎士団長だ。

しかしこの家にしてみれば、騎士団長の家に養女がもらわれて行くならば、安泰ではないか。


ついに姉は、結婚することになってしまった。


傾いた家のため、お金のため、哀しい結婚だ。

アリシアはそれを止めたかったが、それよりも早く騎士団長が動いてしまった。


騎士団は、魔女を討伐するために結成された、国を守るものだ。

自分が魔女であることが知られるのは時間の問題である。

なぜなら、騎士団長の家系には、魔眼というものを代々受け継いでいる。

その目で見られれば、自分の魂が魔女だと分かってしまう。


姉の結婚相手には会いたくないが、姉には会いたい。

どうしたらいいのか、と考える。

結婚式の前に、姉は騎士団長の屋敷に移り、結婚式までを過ごす。

貴族の家では、新しい家のことを学ぶ。

大きな貴族の家では、荷物が多いこともある。

荷物の運び出しで時間がかかるため、結婚式までの時間を長くとることもあるのだ。


姉のいなくなった屋敷はつまらない。

あの温かくて、あの自分だけを愛してくれる存在がいない。


妹は、父の馬車を勝手に拝借して、屋敷を飛び出すのだった。


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