目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

前日譚~兄カリブスの煩悩~①

「今日も紅茶が美味い」

カリブス・ウォーレンス。それはこの騎士団きっての異才である。貴族の出身でありながら、家督を継ぐのではなくそのまま騎士団へ(勝手に)入団した異例の存在。ちなみに若き日、騎士団に入りたくてたまらなかった父は、結局入団できず、それを今でも恨み言のように言っているので、カリブスは自分が騎士団へ楽々入団できたことは伏せた。


だって、面倒だから。あの父の長々とした話を聞きながら、何を楽しいことがあるだろうか。そもそもあんな運動神経の欠片もない父に、剣でも斧でも槍でも弓でも、何か得意なことがあったか?

あったとするなら金勘定だけだろう。ならば、無理して剣を振る騎士団ではなく、騎士団の会計番や料理番でも上手くやっていけたかもしれない。しかしそうなると今の自分が貴族の息子ではなくなってしまうので、ある意味、父の決断をよかったと思っておくしかない。


「カリブス、戦場で紅茶など悠長に飲むな」

「ルイ~、そんなに気を張っていたら倒れちゃうよ?」

「出立前に小便に行きたいと泣きついてきたのは、どこのどいつだ?」

「騎士団長の弟君であります!なぁ?」


カリブスの横からは、赤毛の青年が顔を出した。赤毛に緑の瞳、顔立ちは割と子どものようで、説明されなければ騎士団とは思えない優男。フォールス・シュヴァル・グラース。グラース家の次男坊である。長男とはほとんど似ていない実の弟だ。


「……俺はまだ騎士団長ではない」

「あれ、もう拝命したのかと思ってた」


ルイフィリアからそう言われ、カリブスは首を傾げる。実のところ、前騎士団長は魔女との交戦で深手を負っており、現状ではもう戦場に出られないと判断されていた。それでも団長を譲らないのは美しくないな、とカリブスは思ってしまう。


自分をここまで育ててくれた立派な団長だが、立派な反面人に優しく、人誑しすぎたのだ。だから何かと問題ごとに巻き込まれる。団長に片恋する団員は、男女問わず多くいるし、遠征に出れば恋の1つや2つ産んでくるのが団長という男だ。


見た目はどう見ても岩のようにガッシリとした、強面なのだが、その中身がいい人となればその落差で人は簡単に陥落するらしい。副団長のハンスが目を光らせているが、なかなか治らない悪い癖―――のようなもの。


「母が死んだから気落ちしているだけさ」

「そう。でもフォンがいるじゃん」


フォン、それが弟の愛称。長い名前をもらうのは貴族では当たり前、騎士団長の家柄ならば当たり前のこと。しかしその名前の呼びにくさは天下一品だ。だからカリブスは弟をフォンと呼んでいた。


「なんで僕?」

「似てるじゃん、母君に」

「うっわー、気持ち悪い。そんなこと言うなよ」


軽々しく口をきいているのは、フォールスとカリブスが学園からの同級生で騎士団でも同期だからだ。どちらもそれなりに功績を上げている優秀な騎士。しかしその中身は、まだ学生気分が抜け切れていない2人だった。兄であるルイフィリアからすれば、可愛い弟が2人いるようなものだが、心配が尽きない。無茶をすることも多かったし、何よりもまだ若い2人なのだ。


「おい、母上の話はここでするな!」


ルイフィリアはそう言って、不機嫌そうな顔をする。魔女との戦いは熾烈を極め、母が死に父は大怪我を負って前線を離脱。騎士団長の一族として、恥ずかしい限りの結果である。しかし母の功績によって、魔女は深手を負っているという話だ。

魔女は、いつどの時代に現れるか分からない。しかしグラースの一族が長年討伐するために命を張ってきたことは事実である。特に騎士団長ともなれば、魔女を討伐することに命を懸けている。


「兄さん、そんなに怒らないでよ。母さんが死んだのは……」

「その話はやめろ!ハンスの前でもするな!」

「分かったよ……」


弟は兄に敵うことはない。それがこの家での常だ。愛された兄弟ではあるが、魔女との大きな戦いによって母が死に、父が死の淵に立っており、多くの家族を喪う結果になった。特に辛かったのは、母の姉である伯母が魔女として覚醒してしまったこと。それにより、ハンスと結婚していた時の記憶はすべて失い、伯母は魔女になり果てた。

その魔女を極限まで追い詰めたのが、母である。赤毛に緑の瞳を持った異国の娘であった母は、姉とともにこの国へやってきた。そして共に暮らし、お互い伴侶を持ったのだ。しかしその後のこと。家族が増え、多くのことが明るさと楽しさにあふれていた時に、伯母は魔女となった。


「フォン、もう行こう。交代の時間だよ」

「カリブス……」

「ルイ、フォンと見張りの交代に行ってくるね」


飄々とした態度に、何を考えているか分からない表情。金色の髪に青い瞳の青年。それがカリブス・ウォーレンスだが、それは見た目だけの話で、中身は騎士団でも五指に入る実力者だ。剣を握らせれば、その速さは電光石火。部隊の斬り込みを担当させれば、小隊程度ならば1人で壊滅させられた。

そんなカリブスも、グラース兄弟のことは心配している。騎士団長の交代は、先代が生きている間に行う方がいいだろう。魔女との決着は完全についているわけでもなかったので、これからどうなるのか、分からない。今は遠征先の山岳地帯方面に出向いている。魔女が山の方へ逃げた、東の方へ逃げた、などさまざまな情報が出たからだ。


「フォンは、都に帰ったら王子の側近をするんでしょう?」

「なんだよ、急に」


高台の見張りを交代し、2人は寒空の下で話をした。学園にいた頃も、騎士団の訓練中も、こんなことは何度もあったものだ。まるで自分たちの方が兄弟みたいだ、と周囲からは言われたこともある。


「いいなぁって。僕は家に帰っても、父の貿易商を手伝うしかないじゃない?」

「何言ってるんだよ、カリブス。お前こそ、騎士団を続ければいいだろ?腕が立つんだからさ」

「うーん、そうだねぇ」


カリブスは、自分のように貴族に生まれた男児の運命を知っていた。どこかから連れて来られた娘と結婚し、子どもを作り、父の跡を継ぐだけの人生。かろうじて父の事業が貿易商なので、色々と楽しい場所には行けるかもしれない。しかしそれくらいのものだ。


「そうだ、お前に妹がいただろ?」

「あー、いるよ。大きいのと小さいのだけど」

「なんだよ、その言い方……。ほら、上の姉の方だよ」

「セシリアね」

「あの子さ、学園を常に成績主席なんだろ?」

「そんな話も聞いたけど……あ、うわ、ちょっと、フォンには紹介しないからね!」

「なんだよ、年も近いしさ、もしも相手がいなかったらどうかなって思ったんだよ。なかなかの美人だって聞くし」


そう言って照れたように笑う。確かに、フォールスはいい男だ。いい奴だ。こんな彼に妹が嫁いだなら、あまり笑わないあの子でも、幸せになって笑えるかもしれない。そんな微かな希望をカリブスは感じた。しかし、ここは兄として早々に許しを出すわけにもいかない。


「駄目だよ、フォンは僕より弱いし」

「それは痛いところを突かれたなー。じゃあ、俺が一本取れたら妹を紹介してくれよ?」

「無理だよ。フォンは僕から一本取れたためしがないじゃない」

「取るさ、これから!」


これが恋というものなのだろうか。誰かのために、何かのために、必死になれること。まだ見ぬ人に恋をして、その人との未来を描く。それがフォールスを勇気づけ、前に進めている。


しかし、この願いが叶わぬことを―――まだ彼らは知らないのだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?