運命の相手。そんなもの、と思いながら誰もが欲しがる。カリブスは、紅茶を眺めながら眼の前の大して綺麗でもない令嬢にため息をつかれた。令嬢の話は、流行のお菓子ばかり。食べることにあまり興味のないカリブスにとっては、楽しくも何ともない。何ともない?つまり、カリブスは気持ちが揺らぐことすらないのだ。
令嬢は普通の顔なりに、不機嫌そうにしている。評判どおり―――カリブス・ウォーレンスは見た目だけの王子様。金色の髪に青い瞳は、まさに王子様。乙女が夢見る、おとぎ話に出てくるような見た目「だけ」の男。自慢話もなければ、お金も大してなくて、話をしても上の空。だから貴族令嬢たちの中では、カリブス・ウォーレンスだけは「なし」という話だった。
その通りのカリブスは、噂されていることなど露とも知らず、よくいえばのんびり、悪く言えば上の空で、令嬢とお茶をしている。つまらないと思っているのは、カリブスばかりではない。相手だって同じこと。こんな男には絶対嫁ぎたくない!と誰もが言うのだ。
そうなると、たちまちカリブスの評判は社交界で最低になる。変な男、放蕩息子、特技もなく、金もない。本当のカリブスを知らない者は皆、口をそろえて言った。カリブス・ウォーレンス「だけ」は「なし」と。
顔か金か。どちらかだけでも選ばれるはずなのに、カリブスはどちらからも選ばれない。では自分の実力を示してみては、と思うところもあるのだが、カリブスとしては剣の技量などで妻が持てるはずがない、と思っている。世間では騎士団の夫を持つことは、安定と栄誉であると言われていた。しかし、カリブスはそんなことを理解できるような頭を持ち合わせていない。彼にとって必要なのは、運命ーーーと思い込んでいる。
思い込んだ人間は、決してそこから抜け出すことができない。もしも抜け出すことができたなら、それはそれに相当するだけのとんでもないことが起きたからだろう。カリブスの場合、友人と思っていたルイフィリアから、妹であるセシリアを妻にもらいたいと相談を受けたことだ。しかし、その相談はかつて彼の弟であるフォールスの願いであったはず。戦争が終わり、妹が学園を卒業したならば―――そう言ってフォールスは魔女の炎に焼かれてしまった。親友であるカリブスを庇って。ルイフィリアがフォールスの気持ちを知らなったことは、彼自身の態度からすぐに分かった。しかし手放しでは喜べない。ルイフィリアの幸せとフォールスへの後悔。その狭間で揺れるカリブスは、妹の気持ちをすっかり忘れてしまっていた。
煮え切らないカリブスの返事に、ルイフィリアはついにウォーレンス家の金銭的な支援をすることで縁談を優位に進め始めた。最初こそ幼い妹も姉の結婚を喜んでいなかったので、迷っていた父だが、騎士団長直々に金の面倒と縁談が舞い込めば話は違う。騎士団長の一族と関わることができ、その上金銭の心配も要らなくなる。ならばこの縁談、飲むしかないだろう。
カリブスはどうなることか、と思ってその結婚を遠目に眺めるしかなかった。そんな折、カリブスはルイフィリアから相談を受ける。それは結婚のことではない。騎士団にわざわざ呼ばれたカリブスは、ルイフィリアから魔女についてのことを聞いた。
「お前の妹は魔女だ」
その言葉に、フォールスの姿が蘇る。カリブスは吐きそうになるのを堪えて、いつものようににやけた。こうやって自分の心を守るしか、方法を知らないのが、彼なのだ。
「き、君は、魔女と結婚するつもりなのかい?ああ、そうか、そうだよね、そうしたら、楽だもんねぇ!」
「落ち着け、カリブス」
「いやいや、さすが騎士団長!やることなすこと、凄いじゃないか!」
この場を離れたい、とカリブスが思った時。ルイフィリアはカリブスに向かって、鋭い眼光を向けていた。
「お前の妹はセシリアだけか」
「え……」
「もう1人、いるだろう?そっちの話だ」
「あ、ああ、アリシア……そう、なの?あの子が魔女?」
「転生というよりは、憑依に近いかもしれないな。魔女が覚醒すれば、お前の妹は完全に消されるだろう」
妹たちのことが可愛くなかったわけではない。ちょうどその頃合いを騎士団で過ごしていて、関わりに空白ができてしまっただけだ。だから、本当に下の妹が魔女なのか、疑わしい。
「本当に……?」
「魔女はその魂を何度も転生させ、次の時代を生きると聞く。俺の時代で終わりにしたいものだ」
「お、終わりにするって……そんな、やり方、分かっているの?」
「父からは魔眼が鍵になる、と幼い頃から言われてきたが、はっきりとはしないな。だが俺は、そんなことのためにセシリアを娶るつもりはない」
そのまっすぐな視線に、カリブスは少しだけ昔を思い出した。戦場を駆け抜けた日々。多くの敵を倒した瞬間。剣を握り、もっとも最初に斬り込むのは、カリブス・ウォーレンスの役目だった。
「……カリブス、騎士団に戻ってくれないか?お前がいてくれれば、俺は安心できる」
しかしカリブスはまだ返事ができなかった。妹が魔女と知られれば、騎士団でどんな扱いを受けるかわからない。同時にそれは嫁に行くセシリアもだ。ない頭で考えて、カリブスは思う。
「僕はまだ、騎士団には戻れない」
「カリブス……」
「ま、いーじゃない?これからは家族なんだから!」
あはは、と笑いながらカリブスは思う。フォールスを奪った魔女は、今度は自分の家族を奪おうとしている。多くの命を奪い、殺戮の限りを尽くして、今度は自分の家族さえ狙っているのだ。それを黙って見ているわけにもいかない、とカリブスは思った。
カリブスは、屋敷に戻った。屋敷ではアリシアがもうすぐ学園に行くという年齢になっている。魔女はいつ覚醒するかわからない。だからこそ、とカリブスは思う。
「この家に……残るよ」
目的は違う。しかし今の自分はちょうどいいかもしれない。大していい噂もなく、ダラダラと実家にいても怪しまれない。妹の監視をしているということが話題にされても、ただの変人扱いで済む。それならそれが安くつく。その方がいい。それで、いい。
平静を装いながら、カリブスは常にアリシアを見ていた。あの子はセシリアのことばかり考えていて、少しおかしい。姉への執着がここまで来るなら、まさか本当に、と思ってしまう。もしも最後に違っていたならば、それはそれでいいのだ。誰も傷つくことなく、終われるはずだから。
そんなことを考えながら、カリブスはルイフィリアとセシリアの結婚式を待つ。その日は国王も出席だろうから、妙なことが起きてはいけない、と思った。だがそんなことを思ったせいか、運命は妙な方向へ転がり込んでいく。
来るはずのない書状。開ければ、そこには山岳の部族が、娘の結婚相手を決めるという内容だ。もしも挑みたければ、挑めばいいーーー挑発ともとれるようなことが、カリブスに送られてきたのである。ただの挑発、ただの見せしめ、そうとしか考えられない。今頃、なぜ、と考えながら、カリブスは自分の愛情が燃え滾り始めたのを感じた。もしも部族との戦いに勝ったならーーー運命が手に入るかもしれない。その運命が手に入ったなら、自分は少しはフォールスに顔向けできるだろうか。
愛情と友情。
カリブスの中ではそれがせめぎ合う。本当ならば、生きている人のことを優先すべきだ。魔女の討伐に協力し、騎士団へ戻るべきだ。しかし心が揺れ動く。
カリブスは、愛した人を忘れることができなかった。
カリブス・ウォーレンス、彼は煩悩にまみれた、「もっとも人間らしい男」なのである―――