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第51話 交流会

 それでも来賓の前で暗い顔は禁物だ。何とかもやもやする心を振り切り、笑みを保つことに集中する。

 とはいえ、微笑んでさえいればこの場をしのげそうなことだけは、不幸中の幸いだった。

 リティスは歓待役を任されているが、大切な場面で前に出るのはもちろん国王陛下だ。序列でいえば最も格が低いため、今のところ使節達と相対せずに済んでいる。

 おかげで、来賓をじっくり観察することができた。

 ウルジエ共和国の首相は、厳めしい顔付きの男性だ。

 同伴しているのは息子で、父親によく似ているが全体の印象はとても柔らかい。

 レーデバルト連邦も親子での来訪だった。

 国内での支持が厚いという女傑と、次期酋長候補と目されている娘。どちらも異国情緒溢れる衣装をまとっており、美しさが目を惹く。

 フェリオラ王国からは、第三王女のエレーネのみとなっている。使節の中では彼女が最年少だ。

 ルードベルク王国と様式の似通った可憐なドレスをまとっており、まるで妖精のように儚げな雰囲気だった。

 ウルジエ共和国首相の息子フロイと、レーデバルト連邦酋長の娘シマラ、そしてフェリオラ王国王女エレーネは、国を代表する使者としてはかなり若い。

 特に同じ女性でありながら堂々とした立ち振る舞いを見せるシマラとエレーネには、既に尊敬の念を抱きつつあった。

 ——私より若い二人が国の代表として他国を訪問するなんて、本当にすごいわ……。

 来賓名簿を見た時から、密かにお近付きになりたいと思っていた。

 滞在予定の一ヶ月の間で、仲よくなれたら嬉しい。……国外に希望を見出すほど友人がいない事実が、心に重く伸しかかるけれど。

「——あなたが、リティス・ディミトリさん?」

「!」

 軽やかな声音で名を呼ばれ、リティスの肩に力が入る。

 いけない。また現実逃避をしていた。

「はい。リティス・ディミトリがご挨拶を申し上げます」

 動揺と緊張を悟られぬよう、形式通りに辞儀をする。

 いつの間にか目の前に立っていた少女は、愛らしい顔におっとりとした笑みを浮かべた。

「はじめまして、お会いできて嬉しいわ。わたくし、フェリオラ王国のエレーネよ」

 エレーネ第三王女は、ずいぶんくだけた口調で名乗りを返した。

 正真正銘の初対面なので戸惑ったものの、仲よくなりたいと思っていた相手からの急接近に、リティスの気分は高揚した。

「こちらこそ、お会いできて光栄にございます。殿下のご滞在中、ぜひ交流を深めさせていただきたく思います」

「ありがとう。年の近い方がいらっしゃって安心したわ。時間があれば、王宮内を案内してちょうだい」

 来賓名簿の情報で、彼女が十五歳であることは分かっている。

 ——十五歳で、この完成度……。

 妖精のように神秘的でありながら、気後れせず行動もできる。

 話しかけてもらっただけですっかり舞い上がってしまったリティスは、頬を紅潮させながら頷いた。

「はい。ぜひ仲よくしていただけると嬉しいです」

「えぇ、もちろん」

 エレーネは輝くような笑みで頷き、優雅に離れていく。

 リティスは半ば放心しながら彼女を見送った。

 エレーネも、こちらに興味を持ってくれたのだろうか。リティスと同じように友人になりたいと思ってくれたのなら、それはとても嬉しいことだった。

 胸の内で喜びを維持しつつ、歓待の儀は滞りなく進んでいった。

 来賓達が退席していくと、リティス達ルードベルク王国側も、軽く打ち合わせをしてからの解散となる。今夜、ほとんど同じ面々による晩餐会が行われるためだ。

 アイザックはルードルフと何やら活発に意見を交わしており、気後れしたリティスは声をかけそびれてしまった。

 そのまま彼が忙しなく去っていく背中を見送り、がっくりと肩を落とす。

 結局、また話をする機会を逃した。ここから晩餐会までは空き時間となっているけれど、どうしたものやら。

 ——もういい加減、膠着状態が続くと精神的にきついわ……。

 存在するだけで互いの力になっていたような、以前の関係が懐かしい。

 疲れた時に気持ちを慰めてくれる存在だったのに、今は疲れの原因にもなっている。こんな状況に、もう耐えられそうもなかった。

 リティスは一人謁見の間を、とぼとぼと退室する。

 すると、背後から肩を叩かれた。

「——リティスさん。このあと空いているなら、お茶でもどうかしら?」

 何だかルシエラから聞きかじった、恋愛小説に登場する軟派な男性が、女性に声をかける台詞に似ているような。

 リティスが振り向いた先には、そんな常套句を口にしたクローディアが麗しく微笑んでいた。



「ここ最近塞ぎ込んでいるから、何かと思えば……」

 クローディアの居室にて、テーブルを挟み彼女と向き合っていたリティスは、居心地の悪い思いで肩を縮めた。

 しばらく紅茶を飲んでいると、悩みを抱えていることを指摘された。

 彼女にとってはアイザックも身内だし、喧嘩の内容を赤裸々に語るのは憚られた。リティスは何度も遠慮したのに、いつの間にか巧みな話術で聞き出され、いつの間にか全てを話し終えていた。

 顛末までさらけ出したあとのクローディアの一言が、冒頭のものだ。

 完全に呆れしかない感想に、リティスは泣きたくなった。

「ですから、クローディア様が心配なさるようなことではないと、何度も申し上げたではございませんか……」

「ごめんなさい。また歓待役として気負いすぎているのかと心配していたから、あまりに可愛らしい悩みごとで」

「それに関しては、本当に申し訳ございませんとしか……大事な社交の場に、私情を持ち込んでしまい……」

 そこを指摘されるとさらに情けなくなるので、これ以上追い打ちをかけないでほしい。晩餐会までに気力の立て直しが難しくなる。

 胸を押さえて俯くリティスに、クローディアはからりと笑った。

「可愛らしい悩みごとでよかった、という意味よ。むしろ、大きなことを成し遂げねばならない状況で私的なことに思考が向くなんて、素晴らしい豪胆さだわ」

「あの、全部皮肉に聞こえます……」

「あら。褒めているのに」

 やめてほしい。

 リティスはもう瀕死だ。

「それじゃあ、せっかく悩みを聞き出したことだし、私の個人的な意見を言わせてもらうわね」

 クローディアは本当に気にも留めていないようで、茶化すのをやめ表情を切り替えた。

「まず、私もあなたは間違っていないと思うわ」

 リティスは、アイザックに謝れなかったことを後悔していた。

 けれど、謝るのも自分の考えを否定するようで、そこが悩みの種だったのだ。

 第三者から『間違っていない』と断言された事実は、リティスに深い安堵をもたらした。

「そう、ですか……」

「えぇ、あなたばかりが折れる必要はないもの」

 そう。

 リティスが気になっていたのも、まさにその点だった。

 こちらにも悪いところはあったかもしれないが、アイザックの行動にも問題はあった。

 そこが曖昧なまま謝罪するのは、リティスが一方的に悪かったと言っているようなもの。どうしても、そこだけが釈然としなかったのだ。

「そ、そうですよね」

「謝りたくないっていうと意地になっているようにも聞こえるけれど、そこにこだわるのも、くだらないことだとは思わないわ。そういう細かな齟齬から目を逸らし続けてしまうと、いつしかずれが修復不可能なまでに大きくなって、関係が破綻するから」

「よかったです。私……」

「もちろん、アイザック殿下も間違っていないけれど。もっと言えば、従順な態度で謝罪をしたところで、それも決して間違いではない」

「……え?」

 リティスが正しいなら、やはりアイザックに非があったのだ。

 無意識にそう考えていたところで、頭を殴られたような衝撃を受ける。

 どちらも間違っていない、という考え方自体が、リティスの中にはなかった。

 クローディアはさらに続ける。

「付き合い方も、思いの伝え方も、思い遣りのかたちも人それぞれだもの。正解なんてないわ。たとえば、自分を押し殺して、恋人の意見に全てを合わせる人がいたとする。端から見ればどれだけ滑稽で惨めだろうと、本人が幸せなら、その愛し方を否定できるかしら?」

「それは……」

「どれほど歪んだ愛情表現であっても、お互いが幸せなら他人が口出しすべきことではないのよ。王太子妃という立場上、大々的に肯定はできないけれどね」

「それは……私には何とも言えませんけれど……」

 当人同士の合意さえあれば、犯罪紛いのことでも許容されると言っているようなもの。確かに誤解を招きかねない。

「私には……クローディア様のような考え方に至るのは、まだ難しいようです……」

 リティスは自分にがっかりしていた。

 知識や教養を身につけ、少しは弱い自分から変われたと思っていた。

 それなのに、クローディアのような寛容さもなければ、相手を間違っていると決めつける傲慢ささえ育ちはじめているとは。我ながら心底がっかりだ。

 けれど、クローディアは意外そうに目を瞬かせた。

「私の考え方だって、世の中に溢れている意見の一つにすぎないわ。リティスさんは、リティスさんのままでいいの。あなたまで自分を否定しては、あなた自身が可哀想でしょう?」

 それもまた、リティスにとっては新鮮な考え方だった。

 何も返すことができず途方に暮れていると、クローディアが淑やかに笑った。

「折れたくないと意地になれるのも、あなたがアイザック殿下に甘えられている証拠だと思うわ。そのまま自分の意思を貫いたっていいのではないかしら?」

「そう、でしょうか……」

 言われてみれば、アイザックとは衝突らしい衝突をしたことがなかった。

 嫌われるのが怖くて、無意識の内にどこかで遠慮していたのかもしれない。

 それはリティスの昔からの癖で、幼少期に自分の居場所がなかったことが原因だった。

 役に立たなければ一緒にいられない。

 嫌われたら、もっと状況が悪くなったから。

 それなのに、アイザックに対してだけは気が緩んでしまう。それを甘えられる証拠だと、いいことだと言うのだろうか。

 分からなくて、リティスは黙り込む。

 すると、クローディアが真剣な顔で身を乗り出した。

「それと、一つ大事な忠告をしておきたくて。エレーネ王女とは、あまり深く関わらない方がいいわよ」

「え……」

 突然の話題の変化についていけず、リティスは戸惑うばかりだ。

 しかも内容も思いがけない。

 クローディアは、心底不愉快そうに顔をしかめた。

「大体、エレーネ王女のあなたに接する態度なんて、まるきり目下の者に対するものだったじゃない。王宮内を案内しろだなんて……」

 彼女は、社交をしつつもリティスを気にかけていたらしい。会話の内容までしっかり把握されている。

「そうおっしゃられても……あちらが私より地位が高いのは事実ですし」

「リティスさん。あなたは王子妃となることが既に決まっているのよ。他国の王女だって、顎で使うことは許されないわ」

 エレーネもリティスと同じように、仲よくなりたいから声をかけてくれたのだと思っていた。

 けれどクローディアからするとエレーネの言動は、自分の方が相手より優位であることを示そうとするものだったという。

 ——妖精のようで、世俗の穢れとはかけ離れた存在に思えるけれど……。

 これに関しては、クローディアの取り越し苦労という可能性もあるのでは。

 そう楽観的に考えるリティスに対し、彼女はいたって真面目な様子だ。

「それに、あちらの思惑が分からない内は警戒しておいた方がいいでしょう? あなた達は複雑な関係だし」

「複雑な関係、ですか?」

 リティスが首を傾げると、クローディアの表情はみるみる歪んでいく。

 見開かれた瞳から、何かとてつもない嫌な予感がした。

「嫌だ……信じられない。まさか、アイザック殿下から何も聞かされていないの?」

 そうしてクローディアから明かされた事実に……リティスは愕然と息を呑んだ。



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