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第52話 晩餐会は波乱の幕開け

 そして日が落ちる頃、晩餐会がはじまった。

 緑雨の間は、大事な会合で使用されることが多いという。

 大広間ほどの空間はなく、中央には真珠と金で飾られた大理石の長卓が鎮座している。

 大輪の百合の花が活けられた花器は緑青色で、部屋全体が白一色の中、とりわけ鮮やかな印象だ。

 この部屋がほぼ白色で統一されているのは、来賓達を際立たせるためかもしれない。

 各国の正装が集い、それぞれに異なる趣の美しさを見せている。

 ウルジエ共和国の酋長と息子フロイは、裾が広がった軽やかな衣装に身を包んでいる。

 幾何学模様が施された布地自体が薄手なので、ルードベルク王国の正装と比べると堅苦しくない。男性が鮮やかな色を着こなすというのも新鮮だった。

 レーデバルト連邦の首相と娘シマラは、さらに薄い透けるような生地を幾重にもまとっていた。

 内側の布地が淡く色味を発することで色彩が混じり合い、幻想的な雰囲気をかもし出している。

 フェリオラ王国のエレーネ王女が着用しているのは、ルードベルク王国で主流のものと似たドレスだ。

 昼に会った時より華やかに装っており、色は清楚な印象の淡青色。宝飾品も青系でまとめており統一感があった。

 ルードベルク王国の王族も、誰一人見劣りしていない。

 各国の代表が一堂に会すると、それだけで目にも賑やかな光景だった。

 厳かな空気の中、晩餐会がはじまる。

 まずは開催国であるルードベルク王国の代表として、ケインズが乾杯の音頭をとった。

「我らの同盟が、この先もつつがなくあるように」

 全員がグラスを掲げ、末席についたリティスもそれにならった。

 隣の席に、チラリと視線を走らせる。

 リティスの隣にはアイザックが座っていた。彼は普段と変わらぬ様子で、早速正面に座ったシマラに話しかけている。

 話題は素晴らしい衣装についてで、彼女は言葉少なに応じていた。会話を嫌っているというのでもなく、元々寡黙な性分らしい。

 シマラの隣に座っている母親のデュセラは、むしろ積極的にユレイナと会話をしているようだった。

 三十八歳ということらしいが、溌剌とした様子から年齢を感じさせない。衣装から覗く引き締まった腕もしなやかで、武芸に秀でているだろうことが見て取れた。

 ルードルフとクローディアの正面には、ウルジエ共和国の親子が座している。

 息子のフロイが美しくも人好きのする容姿なら、父親のオルジオはとにかく威厳に溢れていた。

 鋭い鷹のような眼差しと、整えられた顎ひげ。彫りが深い顔立ちは国柄だろうか。一見話しかけづらい雰囲気だが、ケインズと酒の話題で盛り上がっているところをみると、穏やかな気質なのだろう。

 来賓達を観察していると、フロイと視線がぶつかった。

 不躾に見つめるのは非礼にあたる。リティスは素早く視線を外そうとした。

 だがフロイからは、思わぬ反応があった。

 こちらの非礼など気にする様子もなく、むしろ笑顔でリティスを見つめ返してきたのだ。柔らかな笑顔になるとさらに親しみやすい印象になり、視線を外すのも忘れて見入ってしまった。

 ——フロイ様の笑った顔……どこかで見たような……?

 ふと頭に掠める既視感はあったものの、目の前で繰り広げられる会話に気を取られる。

 シマラと話していたアイザックに、今度はエレーネが声をかけていた。

 彼女はフェリオラ王国の宝石加工技術について最新の情報を語り、アイザックはそれを熱心に聞いている。

 見ていられなくて、リティスはさりげなく視線を逸らした。

 今自分は、普段通りに笑えているだろうか。

 味のしない食事を淡々と進めていると、不意に隣から声がかかった。

「——レディ・ディミトリ」

 見上げると、傍らにはフロイが立っている。

 彼は気取らない笑顔で手を差し出した。

「酔い覚ましに、夜風に当たりたくなりました。お許しいただけるのでしたら、少々お時間をいただけませんか?」

 どうやら案内を頼まれているようだ。

 一人手持ち無沙汰にしていたから、気を遣われたのだろう。

 フロイは気配りも完璧で、リティスの婚約者であるアイザックにも伺いを立てる。

「アイザック殿下。あなたの大切な花を、ほんのひと時お貸しいただいてもよろしいでしょうか?」

 面と向かって尋ねられれば、アイザックも断りづらい。女性の自由を尊重しない、心の狭い婚約者だと思われてしまうからだ。

 アイザックからの了承を得ると、フロイは改めて手を差し出した。

「ルードベルクの王城の庭園は、それは見応えがあると聞きます。レディ・ディミトリ、案内してくださいますか?」

「……はい。喜んで」

 リティスはフロイの手を取って立ち上がった。

 アイザックへ、素早く視線を送る。

 彼の眼差しは心配を隠しきれていない。それでも黙って見送らなければならないせいで、ひどく歯痒そうだ。

 夜の庭園は、ランタンやろうそくで幻想的に照らし出されている。

 春の夜は、散策をするにはちょうどいい気候だ。

 けれど夜の庭園にて、元騎士団長に拘束された記憶は新しい。

 リティスはとてもではないが歩き回る気になれず、建物からほど近いガゼボにさりげなくフロイを誘導する。

「話に聞いていた通り、素晴らしい庭園ですね。王妃殿下はまるで魔法使いだ」

「ありがとうございます。それを聞けば、王妃殿下もお喜びになると思います」

 ユレイナの園芸好きは、同盟国間でも有名らしい。

 リティスはようやく、肩の力を抜いて笑えた気がした。

 淡い明かりに照らされ、フロイが笑い返す。

 彼の黒い瞳は、夜の暗さなどものともせずに輝いている。星空を閉じ込めたように美しく、爽やかな笑みと相まってひどく魅力的だった。

「リティス様、とお呼びしても?」

「え?」

「実は今回の訪問、あなたにお会いすることも楽しみの一つでした」

 フロイは、リティスのことを以前から知っていたかのように話す。

 だからこれほど親しげに接するのだろうか。だが、リティスには面識があった覚えはない。

 ——あ……でも、どこかで会ったことがあるような、あの感覚は……。

 先ほど感じた既視感を思い出し、リティスはフロイをじっと見つめた。

 彼は何も言わない。ただ楽しそうに、リティスの返答を待つばかりだ。

 まるで、気付くかどうかこちらを試しているかのように。

 けれど、考えていられる時間はそう長くなかった。

「——フロイ殿」

 呼びかけに振り返ると、そこにはアイザックが立っていた。

「そろそろ晩餐会は解散となるので、報せに参りました。閉会の挨拶の際には、フロイ殿も同席していた方がいいでしょう」

「これはお気遣いいただき、感謝いたします」

 時間切れだ。

 公的な顔でアイザックに応じたフロイが、リティスを見下ろし残念そうに肩をすくめる。

「……今日はここまで。ですがリティス様とは、またゆっくりお話できる機会があればと思います」

 彼は素早く囁くと、会場へ戻っていく。

 その背中にリティスへの未練はなく、さっぱりとした態度にむしろ好感を抱いた。

 意味深なことを告げられたけれど、口説かれたわけではないと思う。

 フロイの接し方は、一貫して気さくな友人のようだった。ただ、リティスにはやはり彼と会った記憶がない。

 真剣に考え込んでいると、急に腕を引かれた。

 見上げると、アイザックが険しい顔をしている。

「暗がりで男と二人きりになって、もし襲われでもしたらどうするつもりだった!?」

「襲われ……彼は国賓ですよ。滅多なことをおっしゃってはなりません」

 小声で声を荒らげるという器用な芸当をする婚約者を、リティスは慌てていさめた。

 一応国賓のフロイを憚っているようだが、内容がひどすぎる。

 まだ交流会ははじまったばかりなのだ。

 ここで問題を起こせば、歓待役であるリティスにとって失敗と同義だった。

 「それに、二人きりだったわけではありません。スズネもおりましたし、フロイ様も従者を連れていらっしゃいました」

「フロイ、『様』……?」

 アイザックが、信じられないとばかりに目を見開いた。

「俺は最近になってようやく『アイザック様』と呼んでもらえるようになったのに、フロイ殿は出会った初日で……?」

 突然どうでもいいことを比較され、リティスは頭が痛くなってきた。

 こちらは交流会を成功させようと必死なのに、アイザックは何を気にしているのか。

「彼の国は共和国。酋長様はともかくフロイ様には敬称がございません。便宜上そう呼ばざるを得ないのはお分かりでしょう?」

「分かっている。分かっているから、今後は俺のことは『アイザック』と呼び捨てにしてくれ」

「全然分かっていないではありませんか……っ」

 嫉妬ということは分かる。それがリティスへの好意から来るものだということも。

 普段ならきっと、困ったり呆れたりしつつも、どこかに嬉しいと思う部分があった。

 だが——……。

「……アイザック様だって……」

「? リティス?」

 リティスは唇を噛み締めて俯いた。

 本当は晩餐会の間も、先ほどクローディアから聞かされたことが頭の中をぐるぐると巡っていた。

 アイザックが好き勝手に感情をぶつけるから、リティスの頭にも血が上っていく。

「リティス、一体どうし——……」

「——アイザック様だって……エレーネ王女殿下が婚約者候補だったこと、黙っていたではありませんか……!!」

 しん、と辺りが静まり返る。

 勢いで口走ったあとになって、リティスも一気に頭が冷える。

 慌てて口を押さえるも、もう遅かった。

 アイザックが呆然とリティスを見下ろしている。

 アイザックに甘えられている証拠?

 この事態を、そんな可愛らしい言葉で片付けられるだろうか。


 ……婚約者と、初めて口論になってしまった。




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