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第53話 不穏なお茶会

 思えば街歩きの際、エレーネ王女についてリティスが訊ねると、アイザックからは明らかにおかしな反応が返ってきた。

 あの時、なぜ狼狽えるのか、その点を深く掘り下げて考えていれば、これほど動揺することもなかったのだろうか。今となっては後悔ばかりだ。


 ……あの日。

 咄嗟に、逃げてしまった。

 感情的になってアイザックを責めたことで気が動転し、あまりに居たたまれなかったから。

 彼はひたすら呆然としていたけれど、その視線が温度を失うのも、失望に変わるのも見たくなかったのだ。

 緑雨の間に戻ってからは、互いに何ごともなかったかのように接したけれど、消えてしまいたいほど情けなかった。

 思いが通じ合って、婚約して、幸せの絶頂だったはずなのに。

 なぜこんなことになったのかといえば……ただただ自業自得でしかないのだが。

 あれから三日も経っているのに、リティスの気分は今もどん底に落ち込んでいる。

 だからといって交流会をおろそかにもできないのが辛いところだ。

 リティスは日々、来賓達のもてなしに奔走していた。そうすることで気が紛れるという、現実逃避には最適な忙しさだった。

 今日は、ユレイナが王妃という立場で主催する、お茶会に参加している。招待されているのは女性のみで、より親交を深めるためのものだ。

 レーデバルト連邦からはデュセラとシマラ、フェリオラ王国からはエレーネ。

 残念ながらウルジエ共和国からの参加者はいないけれど、あちらはケインズが男性陣のみを集めた会を主催する手はずになっている。

 ルードベルク王国からはユレイナをはじめ、王太子妃のクローディア、第二王子の婚約者であるリティスが出席している。

 いつもの温室ではないけれど、春の庭園も花々が競い合うように美しく咲いている。

 そして円形のテーブルには、色とりどりのマカロンや白桃が贅沢に使われたタルト、苺が飾られたムースなど、華やかで目にも楽しめる菓子が用意されていた。

 飲みものも紅茶だけでなく、緑茶やほうじ茶といった珍しいものが選べるようになっている。これもまた他国との交流ならではだ。

 円形のテーブルということで、リティスの正面にはエレーネが座っていた。

 昨日の昼間までは妖精のように可憐だとのん気に見惚れていたけれど、クローディアから詳細を聞いた今となっては、だいぶ見方が異なっている。

 アイザックと彼女の婚約話が浮上していたのは、四、五年前だったという。けれどそれも、その二年後には立ち消えとなったとか。

 四年ほど前。二年間。

 ……ものすごく、身に覚えがありすぎる。

 四年ほど前は、リティスが前クルシュナー男爵と結婚した頃。

 そしてその二年後、男爵が亡くなりリティスは未亡人となったのだ。

 誰に確かめたわけでもない。

 だがもしリティスの予想通り、アイザックが初恋を諦めて婚約者を作ろうとしたきっかけ、そしてやはり諦めたくないと思い直したことが、エレーネとの婚約に関わっているとしたら……。

 まだ婚約者候補の段階だったとはいえ、彼女からすれば完全なとばっちり。リティスとアイザックの都合に振り回されたかたちだ。

 もちろん、その決定にリティスは一切関与していない。何ならアイザックの不誠実さに、同じ女性という立場で非難すら込み上げてくる。

 この事実を知った時、真っ先に気になったのがエレーネの胸中だった。

 もし彼女が、婚約の話が立ち消えとなった原因を知っていたら、どう反応するだろう。

 ……リティスを相当恨むだろうことは、想像に難くなかった。

 正直、確かめるのが怖い。

 謝罪を口にしたところで嫌みにしかならないし、この先どう接していけばいいのか。

 何なら、こうして同席しているだけで緊張してしまう。可憐な笑みの下で、エレーネは何を思っているのか。

 先日クローディアに、エレーネの言動の違和感を指摘された。

 彼女の発言は、リティスより優位であることを示そうとしているようだったとか。

 ——そ、そんなの信じたくない……!

 仲よくなりたいという淡い希望が、粉々に砕け散っていく幻覚すら視える。

 次にリティスは、隣の席のユレイナを窺った。

 彼女はいつものおっとりとした微笑みを浮かべ、紅茶を口に運んでいる。

 アイザックの元婚約者候補のエレーネと、現婚約者のリティス。

 王妃であり母である彼女が、この微妙な関係に気付いていないはずがない。

 リティスをこういった状況に追いやったユレイナの意図は明白だ。

 この程度の困難を自力で跳ね除けられないようでは、王子妃など務まらない。

 つまり、お手並み拝見——と。

 ……ディミトリ公爵家の姉妹は、教育方針もよく似ているようだ。

 優しく丁寧に、けれどきっちり厳しく。

 恐ろしい。交流会を成功させればいいだけのはずが、ただもてなせばいいというわけではなくなってきた。

 穏やかな茶会が、殺伐とした戦場に思える。

「——しかし、親睦を深めるったって、お茶を飲む以外にやることはないのかねぇ?」

 和やかな空気を破壊する者は、他にもいた。

「お上品すぎて性に合わないよ。乗馬とか狩猟とか、もっと他のことでもてなしてくれりゃいいのに」

 レーデバルト連邦首相である、デュセラだ。

 彼女は億劫そうに愚痴をこぼしつつ、焼き菓子を勢いよく食べている。端から食い荒らしている、と言ってもいい。

 ユレイナは慣れているのか、困ったように微笑むだけだ。

「あなたに合わせていたら、若い子達がついて来れないでしょう? そうでなくとも、『レーデバルト連邦が交流会開催国だと、無駄に骨が折れる』とか、ケインズが口癖のように言っているわ」

「それは、そちらのご夫君の体力に問題があるんだろう?」

「あなたの体力が規格外なのよ」

 交流会で何度も顔を合わせているだけあって、ユレイナとデュセラのやり取りは打ち解けた雰囲気で行われている。親睦を深めるためのお茶会は果たして必要だったのかと、疑問を感じるほどに。

 とはいえ、周りで聞いている方は気が気じゃない。侮辱に等しい台詞の横行に、胃が痛くなってくる。

 不思議だ。和やかなお茶会になりそうな気が、微塵もしない。

 それでも一応表面上は穏やかに、お茶会が進んでいく。

「こちらのタルト、白桃がとても瑞々しいですわ」

「お口に合いましたなら幸いです。ルードベルク王国の中でも温暖な気候の、東部で作られたものだけを使用しておりますのよ」

「他の果物もとても甘いです」

「あら、嬉しいことを言ってくださるのね。やはり、ルードベルク王国の土地が豊かである証かしら」

「あー、甘いものばかりで飽きてきたね。辛いものと酒の用意はないのかい?」

 ……駄目だ。

 どこぞの首相様が、ギリギリのところで作り上げた束の間の平和さえ破壊してしまう。 

 娘のシマラも、そんな母親をいさめようとすらせず無言で緑茶を飲んでいる。

 このままでは、滞りなく交流会を進めることが危うくなってくる。

 エレーネは頬に手を当て、微苦笑を浮かべた。

「招かれた方の求めるものが用意されていなかったとしても、わたくしは素晴らしいお茶会だと思うけれど……おもてなしとは奥が深いものね、リティスさん」

 リティスはギクリと肩を揺らす。

 たとえこの茶会を主催したのがユレイナだとしても、交流会という広い括りで考えれば歓待役の失態、という意味に聞こえた。

 エレーネはあくまでおっとりとした態度だが、素早く視線を走らせた先で、クローディアが小さく頷いた。彼女が気にしていたのはこれか。

 クローディアは、空気を変えるように手を叩いた。

「デュセラ首相はそうおっしゃられるだろうと思いまして、お酒もそれに合う軽食も用意しておりますわ」

 彼女の合図で動き出した使用人達が、テーブルに次々と皿を載せていく。

 しかも一般的な貴族が好むワインなどではなく、ルードベルク王国の各地で醸造されている酒や珍味ばかりだ。

「おっ、よく分かっているじゃないか。度数の高い酒に癖の強いあて。最高の組み合わせだね」

「気に入っていただけたようで何よりですわ」

 クローディアがリティスに目配せし、小さく首肯した。頼ってばかりで申し訳ないが、とても心強い。

 エレーネの反応を窺ってみる。

 彼女はクローディアに向かって微笑んだ。

「さすが、王太子妃殿下。様々な可能性を事前に考慮なさっておられたのですね」

 エレーネの称賛は、万全の準備をしていたクローディアへのもの。

 リティスは笑みが強ばるのを感じた。

 ——そうよね……クローディア様が素晴らしいだけで、私は何もできていない……。

 優しい義姉は微笑の裏で、助けになれなかったことを気にしているかもしれない。

 けれど結局は、付け入る隙を与えてしまうリティスの失態なのだ。 

 エレーネが、アイザックの婚約者となったリティスを気に入らないのは理解できる。

 だがそれは、どのような感情からくるものだろう。

 描いていた将来の展望を邪魔され、ただ腹立たしいだけなのか。

 それとも、アイザックを好いていたからこそ憎いのか——……。


 もし恋情があったのなら、リティスはどう対処すればいいのだろう。

 苦痛でしかないお茶会の間、リティスはそんなことばかりを考えていた。




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