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第56話 視察へ

 橋梁工事の視察は、その翌日に無事敢行された。

 元々現場を案内する予定だったユレイナは、どうしても別日に持ち越せない執務があるたったため不在。

 そういうわけで、補佐として同行するはずだったリティスに、来賓達を先導する役が回ってきた。責任重大だ。

 フェリオラ王国からはエレーネ、レーデバルト連邦からはデュセラとシマラ、ウルジエ共和国からはフロイが参加している。

 一行は馬車で王都郊外へと向かった。

 ルードベルク王国を蛇行しながら横断する川は、北西から南東に向かって、いくつかに分岐しながら流れている。

 北西地域は支流がない分、急流になっている。ここにかかっていた橋が老朽化したため、新しく建て直すことになったのだ。

 作業員達が働く中、橋梁工事を見学する。 

「一般的な桁橋とは、工法が異なるようですね」

 今日はフロイも対外的な雰囲気をまとっており、橋を眺める視線は真剣そのものだ。

「はい。こちらはアーチ橋という、新たな工法を取り入れております。橋桁に、同じくらいの大きさに加工した石材を使用し、それをアーチ状に積み上げております」

 視察の目的が、まさにその新しい工法にあった。

 アーチ橋は、カルタゴンから伝わってきた技術で、まだこの辺りには広まっていない。ルードベルク王国でも、竣工されたのはこれで二例目だった。

 既に完成しつつある巨大な橋を河川敷から見上げ、デュセラはうなるような声を上げた。

「小さな石材をいくつも並べて、大きな橋を作ってるのかい。何だか信じられないねぇ。すぐに崩れちまいそうなもんだが」

「不思議ですよね。これまでは桁橋のように、一繋ぎに加工された桁を橋脚で支えるというのが一般的でしたから」

 一枚の板を柱で支えれば橋になる、というのは想像に容易い。

 けれどアーチ橋は、石材同士を砂で接合しているとはいえ、小さな材料の集合体だ。

 それが弧を描き、橋の形態を成している。その上、人や馬車が行き交っても崩れないのだ。リティスも初めてアーチ橋を目にした時、不思議で仕方がなかった。

 そこで、エレーネも興味深げに声を上げる。

「本当に素晴らしいわ。どのような仕組みなのかしら?」

 リティスも、彼女からの意地悪な質問には身構えていた。

 けれど意外にも、その内容はありきたりだ。

 新たな工法の橋ともなれば、当然そのくらいの質問は想定内だった。エレーネでなくとも、誰の口からでも飛び出す可能性はある。

 一体何を企んでいるのかと警戒しつつ、表向きはにこやかに答えた。

「アーチ橋は、自重で強固になっているそうです。外部から荷重負荷がかかると、アーチ部材の両端支点に力が発生します。それが地盤からの力と押し合うことで、橋を支えているとのことです」

 この辺りはオーリアから学んでいる。

 アーチ橋の利点は、直線形状のものよりも垂直方向の荷重に対して丈夫な構造をしていることだそうだ。

 砂で目地を埋めるというのも、初めて聞いた時はピンと来なかった。

 石材同士の隙間を砂で埋め、そこに水を注ぎ込む。そうすることで砂が固まり、より強度が増すらしい。

 これを、砂の水締めというのだとか。

 全てオーリアからの受け売りだが、工法についても詳細に説明することができた。

「よく理解しているんだね。感心したよ」

 デュセラが腕を組み、しみじみと呟く。

「こういう、政治に直接関わりのないことでも、真面目に向き合うってのは大事なことだ。何でも手当たり次第に勉強すればいいってもんでもないけどね。王子妃教育がはじまって間もないはずなのに、こんなことまで……頑張りすぎて周りも心配してるんじゃないかい?」

「それは……耳が痛いです……」

 リティスは恥じ入って俯いた。

 王子妃に相応しくあるよう、とにかく知識を仕入れることに躍起になっている自覚はある。なぜ伝わってしまうのだろう。

 けれどデュセラの指摘は、嫌みというより建設的な意見だ。リティスも素直に聞き入れることができた。彼女に少し認められたようで嬉しい。

 こうしてゆっくりとでも成長し、いつかは対等に渡り合えるようになりたい。

 その後は、作業員達に話を聞くことになった。

 河川敷を、仕事の邪魔にならないよう練り歩く。

 川沿いに近付いた時だ。

 エレーネの足が、水際をずり落ちた。

「あっ……!」

 危ない。

 リティスは咄嗟に声を上げたけれど、どう考えても間に合わない。

 河岸は浅瀬で、段差も僅か。大怪我をすることはないだろう。

 とはいえほんの少しの怪我でも、交流会の場であるという点が問題だった。このままでは、他国の姫君がルードベルク王国滞在中に怪我をするという、最悪な事態は免れない。

 けれど、何より。

 ……傷付いてほしくなかった。

 いくらリティスが疎ましいからといって、エレーネが足を踏み外したことまで故意だとは思わない。

 リティスだって、きつく当たられてばかりで苦手だけれど、彼女の不幸を願うつもりはないのだ。

 血の気が引いて、咄嗟にぎゅっと目をつむる。

「……?」

 けれどいつまで経っても、聞こえてくるはずの水音がしない。リティスは恐るおそる目を開く。

「……無事か?」

 何と、シマラがエレーネを片腕で抱き止めていた。

 先頭の方を歩いていたはずなのに、いつの間に移動していたのか。足音もしなければ気配もなかった。

 絹糸のように真っ直ぐな黒髪が、川風に揺れる。シマラの神秘的な雰囲気と独特な美しさに、思わず状況も忘れて見入ってしまった。

 エレーネが可憐な妖精なら、彼女は異国の女神だ。

 対照的な二人が見つめ合っていると、まるで物語の一場面のようだった。

「エレーネ王女殿下、無事か?」

 シマラが再度問いかけることで、リティスや護衛についていた騎士達の時間も動き出す。

「大丈夫ですか? お怪我は……」

「すぐにお助けできず、申し訳ございません!」

「安全な場所までお運びいたします!」

 ずっとシマラを見つめていたエレーネも、ようやくリティス達の存在を思い出したらしい。やや早口になって答える。

「わたくしは大丈夫よ。特に問題はないから、視察を続けましょう」

 もっと騒ぐかと思いきや、エレーネは殊勝な態度で再び歩き出す。なぜか足取りも早いような。

 リティスは首を傾げつつも、シマラに視線を移す。彼女はずっとこちらを窺っていたようだった。

 目が合うと、シマラは小さく頷く。

「——どうやら、リティス様とエレーネ殿下の間に漂う険悪な空気を気にされていたようですね」

「!」

 リティスはその場に飛び上がりそうになった。

 いつの間にか、すぐ背後にフロイが張り付いていた。だからなぜ全員気配がない。

「お、驚かさないでください……」

「失礼。シマラ様との意思疎通にはコツがいるので、通訳が必要かと思いまして」

「通訳?」

「はい。優しい方ですが、彼女はとても無口なんです。とはいえ私も交流会を通じて何度か会っているだけなので、大してお役に立てないかもしれませんが」

 フロイにはシマラの行動原理が、ある程度理解できるらしい。

「リティス様の奮闘ぶりをずっと見てきたので、ぜひ力添えがしたいとのことです」

「ほ、本当にそのようなことを……?」

 正直、にわかには信じがたい。

 だがシマラは、フロイの台詞を肯定するようにこくりと頷いた。

「エレーネ殿下には自分が注意をしておくので、安心してほしい——とのことです」

「本当に本当ですか……?」

 何だか都合がよすぎるような気もするが、フロイの笑顔に裏はなさそうだ。

 リティスは諦めにも似た笑みを浮かべ、シマラに小さく礼を返した。

 交流会を通じ、フロイのように肩肘を張らずに済む相手に出会えたのは嬉しいことだった。

 ——この喜びを、分かち合うことができたらいいのに……。

 視察を無事やり遂げられそうなこと、少しは認めてもらえた気がすること。

 嬉しいことがあるたび思い浮かぶ笑顔がある。

 アイザックなら、きっと一緒になって喜んでくれる。リティスの成長を、大げさなほど褒めてくれる。

 ——会いたい……。

 公務でしか会えないことが、こんなに寂しいなんて思わなかった。

 そういった場では『王太子の辣腕すぎる右腕』として振る舞っているので、にこやかではあっても普段のアイザックとは雰囲気が異なる。

 子どものような笑みも、愛おしげに細められる青色の瞳も、もうどれくらい見ていないだろう。

 口論をしたあとになって、リティスは初めて気が付いたのだ。

 王子妃教育がはじまるまで、彼に会いたいと思うことはほとんどなかった。

 それは、こちらが会いたくなる前に、いつもアイザックの方が会いに来てくれていたからなのだと。

 ——だから、次は私が。

 王都へ出かけた時の気まずさや、エレーネと親しげな様子を目撃したことで内心もやもやしていた。

 けれど、そういった本心も全て打ち明け、分かり合いたいと思う。

 リティスは決然と顔を上げると、来賓一行の元へ歩き出した。


 ……次の機会は自分で作る。

 今度は、リティスの方からアイザックに会いに行くのだ。




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