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第60話  シマラの相談

 シマラの話というのが秘匿性を求めるもののようなので、救貧院から帰ったのち、改めて仕切り直すこととなった。

 リティスの居室に彼女を招待し、急遽お茶会がはじまる。レーデバルト連邦出身のシマラの好みに合わせ、ほうじ茶や緑茶といった珍しい茶葉も、スズネが抜かりなく用意してくれた。

 リティスは少し緊張していた。

 私室に人を通したことはあるけれど、同年代の女性を招いたのは初めてのこと。しかも家族でも友人でもない、他国の次期首相候補だ。

 この機会に仲よくなれたら……という淡い期待はある。

 けれどエレーネのような例もあるので、油断は禁物だった。

「ようこそいらっしゃいました、シマラ様」

「本日はお招きいただき、ありがたく」

 招き入れると、シマラは綺麗な礼をとった。

 レーデバルト連邦式の、両手を胸の前で組み合わせるものではなく、ルードベルク王国で行われる礼だ。

 ただし、ドレスの裾を摘むカーテシーではなく、左胸にこぶしを当てる騎士の動作ではあったが。

 リティスは戸惑い動きを止めかけたが、すぐに笑顔を作り直す。

 ルードベルク王国の作法に合わせてくれたシマラに、失礼があってはいけない。

 ——きっと、慣れないなりに友好的な態度を示してくださったのだわ。

 リティスが椅子を勧め、それぞれ席に着く。お茶の種類を問うと、シマラは緑茶を選んだ。

「珈琲も紅茶も何でも飲むが、昔から飲み慣れているのは緑茶とほうじ茶だ。気を遣わせてしまったな」

「とんでもございません。緑茶は、紅茶に比べやや低い温度で淹れるとおいしくなると聞きました。お味の方はいかがでしょう?」

「あぁ、とてもおいしい。苦みが少なく、ふくよかな甘みがする。香りも爽やかだ」

 フロイからは、シマラは無口だと聞いていた。

 けれど実際の彼女は、表情の変化こそ少ないものの話しやすい印象だ。

 シマラは緑茶用に準備しておいた湯呑みを置くと、真っ直ぐにリティスを見つめた。

 こちらの機嫌を窺うでもなく、かといって見下すでもなく。

 臆することのない眼差しの強さが、リティスには眩しく映った。ついでに、女神のように美しいため、ただ見られているだけで圧がすごい。

「リティス殿。私のことは、どうかシマラと呼んでほしい。次期首相と確定しているわけではないのだから、堅苦しくする必要はない」

 堅苦しさでいえば、シマラの方がよほど礼儀正しいのだが。

 はじめからずっと気になっていたものの、彼女が真っ直ぐすぎて非常に突っ込みづらい。

 何とも返せず黙り込んでしまったリティスに、シマラは首を傾げた。

「どうかしたか?」

「いえ……その、何と言いますか……シマラ様は、どなたから言葉を学ばれたのかと思いまして……」

 遠回しな質問となったが、彼女はすぐに察する。

「言葉? もしや、どこかおかしいだろうか? ルードベルク王国で騎士だったという老人から教わったので、非礼にあたることはないだろうと思っていたのだが」

「いえ、そのようなことはなく、とても丁寧といいますか……」

 非礼どころか、ものすごく固い。

 先ほどの礼といい、元騎士から学んだというなら納得だ。その老人とやらは、よほど生真面目で己に厳しい人物だったのだろう。

「シマラ様は、元々はレーデバルト連邦独自の言葉を話されていたのですか?」

「いや、ルードベルク王国と同じく神聖言語だ。しかし、神聖言語は神聖国から遠ざかるほど発音が変化したり、独特の言葉が使われていたりする。だからルードベルク王国出身の者から言葉を習ったのだが」

 なるほど。この辺りの国はほとんどが神聖言語を母国語としているため、目論見としては間違っていないだろう。

 神聖言語の起源は、ルードベルク王国の西側に位置する神聖国とされている。シマラが言うように独自の変化を遂げながら、この大陸の隅々にまで普及していた。

 各地の伝統的な言語を守っているのは、ごく僅かな地域を残すのみとなっている。

 神聖言語を使うのが正しい、というわけではないが、これさえ覚えておけば大抵の場所で意思の疎通を図れる。知っておいて損はないのだ。

 ルードベルク王国は神聖国から近いため、発音も原形に近い。そのため、レーデバルト連邦やウルジエ共和国の一部の国民が話す神聖言語が、ひどく訛っているように感じ、聞き取りづらいことが多々あった。

「それでとても流暢に話されるのですね。シマラ様、ありがとうございます」

「いや、礼には及ばない。交流会というより、将来を見据えた上でのことだ」

 次期首相としての土台作りは、もうはじまっているということだろう。最近王子妃教育を受けるようになったこちらとは、比べものにもならない。

 リティスは称賛を込めた笑みを浮かべる。

「素晴らしい心構えですね。私の場合、次期首相ほど責任のある立場ではございませんが、ぜひ見習いたく思います」

 そう告げると、シマラはなぜか気まずそうに視線を外した。

「……あまり手放しで褒められると、このあとの相談がしづらくなるのだが」

 相談というと、今日の本題のことか。

 リティスは慌てて先を促す。

 シマラはしばらく懊悩を繰り広げていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「実は……私が祖国から持ち込んだ指輪が、紛失したのだ」

「指輪が、ですか……」

 それは確かに困ったことだが、先ほどの会話とどう繋がっているのだろう。 

 内心で首を傾げていると、シマラがさらに続ける。

「指輪は……印章。国印に次ぐ効力を持つ、代理印だ。国宝にも代え難いものを、私は——なくしてしまったのだ」

 彼女の告白を聞き終え、リティスは盛大に固まった。

 印章とは、文字や家紋などを彫刻したものだ。それを公私の書類に押印することにより、個人または官職にある者の責任や権威を証明することができる。

 つまり偽造の許されない、強い効力を持つもの。

 シマラが所持していたのは、レーデバルト連邦首相のみに許された、国印の次に権威の高い代理印だという。

 それを交流会の期間中、ルードベルク王国内で紛失した。

 その事実が意味するところに思い至り、リティスの顔はどんどん青ざめていく。

 シマラは深刻な表情で続けた。

「もちろん非は私にある。だが問題は、交流会の最中になくしてしまったことだ。万が一これが露見すれば、ルードベルク王国まで責任を問われるかもしれない。それは、非常にまずい」

 そうだ。

 ただの指輪でも困ったことになるが、印章というならもっとまずい。

 国家間の問題に発展する可能性があるし、その場合ルードベルク王国が圧倒的に不利だ。交流会開催国の失態として、何かしらの代償を払うことになるだろう。国家規模で重要なものの代償なんて、考えたくもない。

 ——それに、せっかく築き上げてきた同盟関係に、ひびが入ってしまう……。

 レーデバルト連邦との関係悪化は避けられることではなく、そうなってくると何十年も続いてきた交流会も、今回で消滅する恐れがあった。

 ……正直、なぜリティスが歓待役を務めている時に限ってこのような問題が起きるのかと、泣きわめきたい気分だ。

 まずは、国王夫妻に相談しておくのが賢明だろう。

 直接申し上げる機会がすぐにめぐってくるとは限らないので、アイザックを通すのが最善だ。彼ならば両親へすぐに伝達できる。認めさせてみせるという宣言のあとすぐに頼るのは気まずいけれど、緊急事態だから仕方がない。

 混乱しつつも、頭の中では情報の処理と今後の対応について、目まぐるしく思考が展開されていく。

 そしてリティスはふと気付いた。

 非常にまずいと考え、シマラは秘密裏に話を持ってきた。非は自分にあると明言もしている。

 つまり、彼女の目的とは——……。

「誰にも悟られないように印章を取り戻し、そのまま何ごともなかったかのようにやり過ごしたい——ということで、よろしいでしょうか?」

 リティスは自身が弾き出した答えを、慎重に言葉に乗せた。

 相手の出方によっては、この密談自体が火種となりかねない。国際問題相当のできごとは、既に起こってしまっているのだ。リティスからすれば薄氷を踏むような心地だった。

 一方のシマラは即座に頷いた。それこそ、清廉潔白で崇高な騎士のように。

「あぁ——当然だ」

 凛とした眼差し。

 これを好機とみなし、ルードベルク王国側に無理難題を押し付けることも可能なのに、彼女はそれをきっぱりと否定してみせた。

 にわかには信じ難い。シマラの人となりを詳しく知らないから、どれほど誠実な態度であっても注意深くならざるを得ない。

「……理由を、お訊きしてもよろしいでしょうか?」

 リティスの問いに、彼女は初めて表情を動かした。

 気分を害してもおかしくないところ、なぜかシマラは片頬を持ち上げるようにして笑っている。

「疑う気持ちも理解できるがな。これはひとえに、私自身の気持ちの問題だ」

 彼女の瞳が真っ直ぐにリティスを見つめる。

 ぶれない潔さで射貫かれ、自然と背筋が伸びる。

「己の失態の責任を、他国にとらせるわけにはいかない。理由などただそれだけだ」

「シマラ様……」

 リティスは逡巡の末、こくりと喉を鳴らした。

 簡単に信用すべきではないかもしれない。

 けれどシマラが、指輪の紛失について誰にも漏らしていないのは確かだ。こういった噂が広まるのはあっという間なのに、一切聞こえてこないのはそういうことだろう。

 招いた当初から、ルードベルク王国を尊重する姿勢を崩さなかったのも大きい。

 信じたい、と思った。

「……分かりました。では協力して、印章の指輪を見つけ出しましょう。内密に動く必要があるため、この件を国王陛下に報告しないとお約束いたします」

 アイザックにも誰にも頼れないが、やるしかない。

 交流会を大成功の内に終わらせてみせると、リティスは決めたのだから。

 シマラはホッとした様子で、胸に手の平を当て礼をした。

「あぁ、感謝する」


 ……この件がただの紛失に留まらないことを、この時のリティスはまだ知らなかった。




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