予定が詰まっているため、すぐにも行動を開始する必要がある。
お茶を飲み終えた二人は、まずは来賓達が滞在している離宮をくまなく探すこととなった。
リティスが暮らしているアイザックの離宮は、王族の住まいとしてはかなり小ぢんまりとしていて素朴な造りだ。
比べて、来賓用の離宮は慄くくらい華やかだった。
大理石の床材に敷かれた毛足の長い絨毯は、国内で織られた最上級のもの。著名な画家の絵や骨董品、贅沢な設えの調度。
国の威信を示すため、離宮自体が国宝にでもなったかのようだ。
足を踏み入れるのさえ躊躇われる離宮で、さらに紛失物を探さねばならない。これは、かなり難易度が高いかもしれなかった。
——慎重に……ものを動かす時は、細心の注意を払わなくては……。
リティスはシマラと共に、彼女に割り当てられた居室へと向かう。
広い回廊にもびっしりと美術品が並んでいるので、居室内で捜索が終われば非常にありがたい。
先導していたシマラが、ある扉の前で立ち止まった。
「ここが私に与えられた部屋だ。ちなみに隣は母の部屋。フェリオラ王国とウルジエ共和国も、それぞれ別の階に居室があるようだ」
「その辺りは、ゆったりくつろげるようにという、王妃殿下の采配かと思われます」
レーデバルト連邦が二階ということは、三階がフェリオラ王国、一階がウルジエ共和国だろうか。
賓客順という意味合いではなく、男性が手前の空間を割り当てられるのはよくあることだ。紳士は淑女を守るべき、というしきたりが形骸化したもの。
離宮内には警備が配置されているものの、滞在客に圧迫感を与えないようという配慮から、外とは違って最低限。
つまり、離宮内にさえ侵入してしまえば、窃盗は案外簡単に行えるのだ。
だが、その外の警備というのが突破困難だった。
念のため、警備体制は一週間ごとに変更されている。人員の交換も配置の全貌も、国王並びに王太子、警備の要である騎士団長しか把握していない。
交流会開始前に説明を受けているので、その辺りの内情はリティスも知っていた。
——つまり窃盗を行うには、王族または騎士団長の協力が必須。または……。
はじめから離宮内にいる、何者かの犯行か。
シマラが指輪を外している時でないと盗むことはできないので、かなり時間も限られてくる。彼女に近しい人間でないと、犯行はほぼ不可能に思える。
けれど、先入観は禁物だ。
リティスは首を振ると、シマラの居室を観察した。
豪華絢爛な内装はそのまま、彼女が自分好みに手を付けた様子は一切なさそうだ。私物も整理されており、シマラのきっちりとした性格が窺える。
「どこかに落ちているだけ、ということも考えて、まずは指輪をなくすまでのシマラ様の行動を教えてください。覚えている限りで結構ですので」
「そうだな。この部屋の中で見つかってくれれば、それが一番だ」
彼女は頷くと、指輪を紛失した日の行動を話しはじめた。
「とはいえ、基本的にはほとんど外さないのだ。湯浴みの時と、就寝時くらいか」
クリスタルに刻印が成されているため、指輪の重量はかなりある。はめたまま就寝というわけにはいかないだろう。
シマラは、いつもベッドサイドのチェストの中に指輪を保管していたという。
それを朝起きて取り出そうとしたところで、なくなっていることに気付いた。
寝室に向かい、チェストの周囲や裏側までくまなく調べてみる。
そのくらいはシマラも探しただろう。当然、何かが出てくることはなかった。
そのまま断りを入れてベッドの下、クローゼットも探してみる。やはり指輪は見つからない。
これは俄然、盗難の線が濃厚になってきた。
しかも容疑者は離宮内部にいた者か、城で働いている警備か。どちらにせよ頭が痛い。
リティスはシマラを振り返った。
「寝室だけでなく、全部屋探してみましょうか。それでも見つからなければ、外廊下も」
「あぁ。……リティス殿の手を煩わせてしまい、非常に心苦しいが、正直とても助かる。ルードベルク王国の者の許可なく家探しといのも、気が引けてな」
彼女は僅かに口角を上げ、安堵の息をついた。
「ありがとう。あなたが親身になって協力してくれることが、私はとても嬉しい」
神々しさすら感じる笑みに、リティスは危うく顔を覆い隠してしまうところだった。そんなことをしたら絶対不審者だと思われる。
リティスは気を鎮めるために咳払いをすると、早速捜索に取りかかった。
ダイニングルーム、洗面室、祈祷室、どこを探しても指輪は出てこない。
こうなったら回廊を見て回るしかない。
「まずは二階の外廊下から階段にかけてを探してみましょう」
リティス達は、いよいよ捜索の範囲を室外へと伸ばした。
共用空間でもあるので、ここからは誰に見つかるかも分からない。慎重に行動しなければならなかった。
「この階にはシマラ様とデュセラ首相、警備の者しかいないはずですが、万が一ということもあります。念のため、何か言いわけを考えておいた方がよさそうですね……」
リティスは思案しつつも、視線だけは抜かりなく動かし続ける。
飾られた観葉植物の鉢植えの裏、巨大な黄金の壺の周辺、猫足の椅子の座面と背もたれの隙間。どれも極上の品ばかりなので神経がすり減る。
「そうだ。共にお茶を飲んでいる内に親しくなった、ということでどうでしょうか? これならば、完全な嘘ということにもなりません」
事前にリティスが住まう離宮に招いているし、お茶の席を設けている。そこは事実なので、誰に問われても余裕をもって答えられる。
シマラはそれに同意を示した。
「それならば、その方便の信ぴょう性を、さらに裏付ける必要があるな。私達は、互いのことをあまりに知らない。それはいささか惜しいと思う」
思わぬ返しに、リティスは目を瞬かせた。
つまり、嘘を本当にするためにも親しくなろうと?
シマラはさらに続ける。
「あなたの好きなものは? 好きな食べもの、苦手なこと。休みの日には何をするか。リティス殿のことをもっと知りたいから、何でも話してくれ」
リティスはたまらず頬を赤く染めた。
——な、何だか、素敵な方とお見合いをしているようだわ……。
シマラの黒髪が、さらりと音を立てて肩をすべり落ちる。彼女をかたち作る一つ一つがあまりに芸術的で、隣を歩くだけで妙に緊張してきた。
「——リティス殿?」
シマラは微笑み、リティスに柔らかな眼差しを向ける。
回廊の窓から差し込む陽光が、彼女をさらに光り輝かせる。
リティスは今度こそ顔を覆い隠した。
——何という色気……!!
無理だ。凛とした神聖さの中に、危うい色香を感じずにいられない。
同性なのにシマラの魅力によろめいてしまいそう。リティスより美しく華やかで神秘的で、魅力のある女性だというのに。
お近付きになれたらと思っていただけに、効果は抜群だ。婚約者がいるし女性だしと、すっかり油断していた。
これで相手が男性だったら、アイザックとの婚約を台無しにされたくないので、ある程度の警戒心は持っていたのに。
負けた。もう、不審者と思われるとか、そんな気遣いをする余裕はない。
「シマラ様は……天然でいらっしゃるのですね……」
「天然? 私は、とぼけていないつもりだが」
「そういうところです……」
天性の人たらしは、無表情のまま首を傾げるばかりだった。
リティスは首を振ると、気合いを入れるために軽く頬を叩く。
「申し訳ございません、状況も忘れて関係のないことを……今はとにかく、指輪探しに専念しなくてはなりませんのに」
「リティス殿が苦悩を理解してくれただけで、私は十分救われている。あまり根を詰めては、あなたの方が辛くなってしまうだろう。どうか無理をしないでほしい」
——だ、だから……。
何だか逐一口説かれているようで、せっかく入れ直した気合いが全身から抜けていってしまいそうだ。
これは別の意味で難易度が高い。
「——何だか面白いことをしているね、君達?」
リティス達に、突然声がかけられる。
ほとんどひと気はなかったはずなのに。
毛足の長い絨毯が足音を吸収したせいで、接近に気付けなかったようだ。
曲がり角の向こう、階段の踊り場の方から現れたのは、なんとフロイだった。