指輪を紛失した事実が知られるとまずいのは、リティスもシマラも一緒だ。
リティスは、交流会開催国という責任のため。シマラは、レーデバルト連邦にて国印に次ぐ効力のある印章を、紛失したという失態のため。
頬が引きつらないようにしながら、リティスはフロイに声をかける。
「……これは、フロイ様ではありませんか。どうしてこちらに?」
ウルジエ共和国が利用しているのは、離宮の一階のはず。二階以上に上る理由はない。
言外に警戒をにじませると、彼は屈託のない笑みで応えた。
「今日は公務の予定がなく、手が空いてしまったので。せっかくだからリティス様をお誘いしてお茶でも、と思ったのですが、離宮の警備から『シマラ様とご一緒している』と聞いたのです」
「警備から、ですか……」
リティスは愕然とした。
警備の者から予定を聞き出すとは想定外だ。
この場合、個人的な情報を流した警備にも問題があるかもしれないが、何より信じがたいのはフロイの対人能力だ。
誰もが好感を抱かずにいられない彼だからこそ、警備も気を許してしまったに違いない。そうして知らぬ内に、世間話の体で情報が引き出されていると。恐るべし親しみやすさ。
——これは、責める言葉に迷うわ……。
職務怠慢として追及すべきだろうが、フロイの親切な距離感に救われた経験がある身としては、警備を一方的に糾弾しづらい。
週に一度くらいの頻度で不定期に行っている、対面での経過報告ではなく、さらりと書面にて報告しておこう。ケインズならば色々察して、あまり大ごとにならないよう配慮してくれるはず。
リティスは思考を切り替え、まずは目の前のフロイと向き合うことにした。
「それで、シマラ様を訪ねていらっしゃったのですね」
「はい。リティス様とシマラ様がお茶をしているなら、私も仲間に入れてもらおうかと」
「フロイ様ほどの方となると、そういう結論になるのですね……」
一般的には遠慮する場面なのに、人懐っこさが予想を覆してしまう。いや、もはや半ば予想がついていたかもしれない。
——そうね、分け隔てのない方ですものね……。
不審な行動にもかかわらず、もしや指輪紛失に関与しているのではと疑う気すら起きなかった。フロイはフロイという属性だから。
相変わらず油断を誘う、穏やかな笑みを浮かべながら、今度は彼の方が疑問を口にする。
「それで、お二人は何を探しているんですか?」
脱力しているところを切り込まれ、リティスは咄嗟に答えることができなかった。
その時点で負けは確定。誤魔化しも方便も、フロイには一切効果がなくなった。
ちらりと視線を送れば、シマラも対応に困っているのか俯いてしまっている。無理でも何でも、ここはリティスが頑張るしかなかった。
「探しているのは……ちょっとした余興で、焼き菓子を隠しておりまして……」
「見つけると、その一年は健康に過ごせるというような? 面白そうなので、ぜひ参加させてください」
「そ、そうなりますよね……」
楽しい企画で、逆にフロイの興味を引いてしまった。こんなはずでは。
「えぇと、これは、女性のための遊びなので、殿方はご遠慮いただきたく……」
「せっかくの交流会なのに、寂しいことをおっしゃいますね。ですが、そういうことなら仕方がありません。それならば私がエレーネ殿下をお呼びして来ますので——……」
「おっ、お待ちください……!」
青ざめて引き留めるリティスを振り向くと、フロイは笑った。どこかいたずらっぽい笑みに、完全に遊ばれていることを悟る。
「急にしどろもどろになって、本当に可愛らしい方ですね。リティス様は、嘘や誤魔化しが不得手なようだ」
「
まただ。
フロイの、以前からリティスを知っているかのような言動。
それとも考えすぎで、交流会という僅かな期間の中でのやり取りを踏まえての発言だろうか。
親しみやすく、誰の懐にもするりと入ってしまえるのに、どこか本心が読めない人だ。
彼に気を許していいのか判断に迷う。
フロイは、人好きのする笑みを浮かべつつ、さらに畳みかける。
「状況から察するに、何か重大なものを紛失してしまったようですね。それを秘密裏に見つけ出し、なくしたこと自体を隠ぺいしたい。だからこそ、この事実を知る者は必要最低限であることが好ましい。エレーネ殿下に露見すれば、揚げ足をとられる恐れがあるかもしれませんしね」
「べ、別にエレーネ様を警戒しているわけでは……」
している。彼女はリティスが絡んでいるとなると、何を仕出かすか予測できないところがあるから。
——はっ。ついエレーネ様のくだりに反応してしまったけれど、これでは紛失や隠ぺいについては肯定しているようなものだわ……!
リティスはフロイの話術に戦慄した。
駄目だ。これ以上一緒にいると、警備の者のようにいつの間にか情報を引き出されてしまう恐れがある。
とにかく話を切り上げようとするリティスに先んじて、彼は笑んだまま人差し指を立てた。
「ではその捜査、私に協力させてくださいませんか?」
「……!?」
リティスの恐れをさらに上回る提案。
自ら渦中に飛び込もうだなんて、どう考えても怪しすぎる。
「私がいれば、離宮内をうろうろしていても、警備に怪しまれませんよ。何と言ってもいつものことですから」
「それはそれでどうなのでしょうか……」
「リティス様もシマラ様も、誠実で嘘のない方々です。弁の立つ私を仲間にした方が、お二人も今後の捜査が楽になると思いますよ」
「口が上手いことを自負する方ほど胡散臭いものはありませんが……」
「あはは、ひどい言われようだ」
ひどいと言いつつ、フロイは非常に楽しげだ。本気で意図が読めない。
「突然そのようなことをおっしゃられても困ります。ねぇ、シマラ様」
加勢を得ようとシマラを振り返る。
けれどなぜか、彼女はリティスの背後にぴったりと張り付いていた。
「……シマラ様?」
先ほどまで女神のごとき神々しさを誇っていた彼女が、今や風をしのぐため岩場で丸まる小動物のようだった。一体どうしたのだろう。
シマラは俯いたまま、リティスの耳元で素早く囁く。
「フロイ様なら、問題ない」
フロイに真実を打ち明ける危険性を負ってまで、味方に引き入れたいということか。
——確か、今回の交流会より以前から、二人には親交があったようだし……。
フロイ様
戦力としての価値に重きを置いているのではなく、ただ信頼しているということだろうか。
シマラが彼の提案を受け入れるなら、リティスが意見することでもない。断る口実を紡ごうとしていた口を噤む。
フロイが、今度はシマラ相手に交渉をはじめた。
「シマラ様。楽しそうなので、私もご一緒してよろしいでしょうか?」
シマラは何度も首を縦に振った。
「わぁ、ありがとうございます。きっとお役に立ってみせます」
シマラは何度も首を横に振った。
「あぁ、役に立とうと躍起になることはないと? シマラ様は本当に優しいですね」
……というか、シマラの豹変が気になりすぎた。
楽しそうだからというフロイの提案は失礼そのものなのに、注意もしない。そもそも会話が成立していること自体が不思議だった。
そういえば、以前フロイから、シマラは無口な性質だと聞いていた。けれどリティスと話す様子からは、特にそういった点は見受けられなかった。
「それで、なくしたものとは何ですか?」
「……」
「指? あぁ、指輪ですか。印章入りのものをお持ちでしたよね。確かになくしたと知られたら、困ったことになりますね」
「……」
無口だ。本当にシマラが無口になっている。しかも情報を隠そうという気すらなくなっている。
信頼というより、もしやこれは。
リティスは、必死に俯いているシマラの顔を覗き込んだ。
彼女は相変わらず無表情だ。無表情だが、なぜか忙しなく目が泳いで落ち着きがない。苦悶するかのように唇を引き結んでもいた。
無表情なのに、そこには明確な感情が表れていた。
——シマラ様……もしかして、フロイ様のことがお好きなのでは……?
こんなにも必死に真顔を保とうとするなんて、照れ隠し以外の何ものでもないだろう。
他人事のはずなのに、リティスの胸までそわそわしてきた。
それほど、シマラの行動がいじらしく思えたから。一途な恋心の証拠に見えたから。
——フロイ様の人間性が信頼できるものなら、ぜひぜひ応援させていただきたい……!
つい無駄に協力したくなるほど、シマラは健気で可愛かった。リティスすらニマニマ見守ってしまうような不器用っぷり。
目を合わせることすらできなくて、何を話せばいいのか分からなくて。嫌われてしまわないか、そんなことばかりが気になって。
そういった感情には、リティスだって十分覚えがあったから。
——初々しい……! 初々しいです、シマラ様……!
……端から見れば自分もそう思われていることを、リティスは知らない。常に生温い視線にさらされていることも。
——指輪探しを共にすれば、実際のフロイ様がどのような人物なのか、深く知れるはず。……これは、いい機会かもしれないわ。
そうしてシマラの思いを後押しすることだって、可能になるのではないだろうか。
それは、とても素晴らしい作戦に思えた。
指輪探しの手を抜くつもりはない。
だから同時進行で、シマラとフロイの距離を縮めていくのだ。
——アイザック様……私、頑張ってみせます!
リティスは胸に小さな野望を秘め、こっそりとこぶしを握り締めた。