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第74話 華やかな舞台の片隅で

 堂々たるダンスをやり遂げたリティスは、アイザックの誘導で壁際に移動していた。

 彼は飲みものを持ってくると言い残して、席を外している。

 一人になったのにリティスに寄ってくる者がいないのは、もはや苦笑するしかない。アイザックは穏便に説得したというような表現をしていたが、その内容をぜひとも知りたいものだ。

 ——おかげで、正式な婚約者として認知された前例ができたのだけれど……。

 かなり力技というか、ほとんど曲芸の域というか。

 それでも、つい口元がゆるんでしまうのは止められない。

 アイザックと楽しく踊れたことも相まって浮かれていた。

 漆黒に身を包んだアイザックは、いつもより精悍さを帯びているようだった。

 動くたびに銀髪が輝きながら揺れて、ずっと見ていられそうだった。

 今夜は額にかかる髪を整えていたから、リティスが好きな青い瞳もよく見えた。

 切れ長の目が好意を宿し、じっとリティスだけを見つめる。アイザックの瞳にも、彼しか見えないリティスが映っていたことだろう。

 アイザックのステップは巧みで、リティスは安心して身を任せることができた。

 周囲の視線を気にしないと、ダンスはこんなに楽しかったのかと驚いたほど。

 ——あんなに素敵な方が婚約者だなんて、本当に私は幸せ者だわ……。

 ご乱心事件のことなどすっかり忘れて、リティスはアイザックへのときめきに酔いしれる。恋は盲目だ。

 そんなリティスに、声をかけてくる強者がいた。

「——リティス殿、素晴らしいダンスだったな」

 夜会中ずっと遠巻きにされていたから、一瞬自分が話しかけられているとは気付けなかった。だが、よく知っている声だ。

 リティスが振り向いた先には、シマラとエレーネが立っている。

 そういえば、先ほど二人でいるのを見かけて、違和感を覚えたばかりだった。

「レディ・ディミトリ。とても素敵でしたわ」

 エレーネが完璧な辞儀を披露する。

 ルードベルク王国とフェリオラ王国はほとんど文化圏に違いがないため、まるで手本のような所作だった。洗練された美しさが際立っている。

「アイザック殿下と並んでいると、一対の絵画を眺めているようでしたわ。本当に仲睦まじく、憧れるばかりです」

「ありがとうございます、お二方」

 以前だったら、エレーネの言葉の裏に何か隠されているのではと、疑心暗鬼になっていただろう。

 だが彼女の本音を聞いた今となっては、思い合って結ばれることを純粋に羨んでいるのだと分かる。

「お二方は、ダンスはなさらないのですか?」

 特にエレーネは、ダンスも完璧のはずだから引く手数多だろうに。

 そんな疑問が顔に出ていたらしく、彼女はくすりと笑った。

「わたくし、不実な振る舞いをするつもりはありませんの」

 意中の相手がいるため、義理でも他人の手を取るべきではないと。エレーネは想像していたより、ずっと情熱的だ。

「——では、私と踊ろうか?」

 シマラが突然、意表を突く誘いを口にする。

 いつもの淡々とした表情だから軽口なのだろうが、リティスはぎょっとして固まってしまった。

 エレーネは平然と微笑みを返している。

「この国では無理でしょう。女性同士で踊っても、奇異の目で見られるだけだもの」

「そうだな。ウルジエ共和国ならともかく、ここは慎重に行動すべきか」

 シマラまでほんのり笑っている。

 というか、リティスが知らなかっただけで、二人はとても親密な様子だ。

 ——会話の内容も意味深で、何だか……。

 自身の思い付きに、リティスは愕然とする。

 そう、彼女達はまるで——……。

「……お褒めいただき嬉しいですが、あなた方の仲睦まじさも、とても素敵ですわ」

 確認のため口にしたリティスの賛辞は、てき面に作用した。

 エレーネもシマラも、これまで見たことがないほど華やかな笑みを浮かべたのだ。

「うふふ。人の目にそんなふうに映るのでしたら、わたくし恥ずかしいですわ」

「ふふ、そうだな、面映ゆいものだ」

 そうして彼女達は、幸せそうに見つめ合う。完全に二人の世界だ。

 頭の中を、これまでの数々の出来事が駆け抜けていく。

 滅多に接触のなかったシマラとエレーネ。

 だが灌漑工事の視察中、土手で体勢を崩したエレーネをすかさず助けたのは、シマラだった。

 その後のエレーネが、妙に静かだったことを覚えている。

 シマラは、フロイの問いかけを徹底的に無視していた。

 それを照れ隠しだと解釈していたリティスは、彼女に慕う相手ががいるのかと問いかけた。

 シマラは否定も肯定もしなかったが、道ならぬ恋をしていることを匂わせた。

 首相にならないことには、自由な恋愛も許されない。

 婚約に関しては相手方に様々な制約があるため、どうせすぐには結婚できないと。

 ……制約とは、婚約しかけたものの破談となった、例の件ではないだろうか。一度傷物扱いをされると次の結婚への障害となることは、リティスも身をもって知っている。

 エレーネも言っていたではないか。好きな人との結婚を成就させたアイザックが羨ましい——と。

 両者の言動がこんなにも一致しているのに、なぜ気が付かなかったのか。

 ——ウルジエ共和国は同性婚を認めているけれど、レーデバルト連邦はそうじゃない。だから、シマラ様ご自身が首相にならなければ、自由な恋愛ができないということだったのね……。

 とんでもない勘違いをしていた。

 フロイとシマラの関係性を妄想していたけれど、リティスの勘、全然当たっていなかった。

 事実彼女は、一度としてフロイの名を持ち出したことはない。

 確かにこれは道ならぬ恋だ。

 周囲に気付かれないよう、彼女達はとても慎重に振る舞っている。交流会でも最低限の接触しかなかったのも、そういうことなのだろう。

 一気に疲労感が増したリティスは、それでもおずおずと口を開いた。

「ちなみにフロイ様のことは、何とも……?」

 シマラは、真剣に悩む素振りを見せる。

「私にはないものを持っていると、認めてはいる。遊び心とか、状況への適応力とか、柔軟さとか」

 注意深く答えつつも、表情は正直だ。しかめられた顔には、先ほどまでの幸福感が微塵も残っていない。

「だが、正直私はあいつが苦手だ。私の気持ちを理解した上で際限なく話しかけてくる図太さも、そうしてこちらの反応を楽しんでいる底意地の悪さも含めて」

「そ、そういうことだったのですね……」

 フロイに話しかけられても返事ができなかったのは、恥ずかしかったのではなく嫌だったから。

 リティスの陰に隠れて避けていたのも、常に顔を背け続けていたのも、全部。

 ——そう言われてみれば……ひたすら嫌っている相手への行動のような……?

 だが、二人は言葉にせずとも会話が成立していたのだ。

 以心伝心で、それがリティスの勘違いに拍車をかけた。

 その点はどうなのだろうと悩んでいると、シマラの方から追加で説明してくれた。

「我々は、交流会のおかげで、互いの国に頻繁に行き来している。エレーネだけでなく、フロイ殿とも昔馴染みなのだ。結局は気心が知れている」

 彼女はそこで、口元を押さえて笑った。

「リティス殿が私の思い人を勘違いしているというのは、気付いていた。すぐに訂正しなくて申し訳ない」

「いえ……それだけお二人が徹底しているということですから……あれ? では、今は……?」

 リティスは力なく答えたあと、はたと気付く。

 それでは、なぜ今は仲のよさを隠さないのだろう。

 この会話だけで真実にたどり着ける者はそういないだろうが、疑惑すら許さぬ徹底ぶりだったというのに。

 シマラの隣でエレーネが笑みを深めた。

「だって、レディ・ディミトリがいらっしゃるもの。まだデュセラ首相には認められていないけれど、あなたは応援してくださるのでしょう?」

「そ、そうですね。そう言いました」

 答えつつ、別の部分で納得もする。

 なるほど。エレーネはデュセラに認められていないから、彼女の頼みを断れないし、貸しも作っておきたかったのか。

 それは、好きな人の母親ならなおさらだ。リティスにも覚えがある。

「ふふ。わたくし達、もうお友達ですものね」

 ……友達。

 いつの間にかそういう間柄になっていたらしい。

 エレーネは丁寧な謝罪をくれたし、こちらも彼女の恋心を応援すると約束した。

 ということで、友達なのだろう。

「そ、そうですね」

 リティスがぎこちなく頷き返すと、シマラまで晴れやかに笑った。

「それだけでも、今回の交流会は収穫があったと言える。友人が増えることで親交を深めるのは、何ら不自然ではないからな」

 ——あぁ、そういうこと……。

 今までは陰ながら思いを育んできたものの、同年代のリティスが介入することにより、大手を振って会えるようになるということか。

 つまりリティスは、彼女達の恋の目眩ましだと。

 今後堂々とリティスを利用する宣言。

 恋人同士は趣味嗜好や考え方が似てくるという。エレーネとシマラは、心から似た者同士といえる。

 リティスは彼女達との会話の当初から、脱力しっぱなしだ。完全に振り回されている。

 ——交流会の間に、お近付きになれたらいいな、なんて……そんなことを思っていた頃もあったわね……。

 あの頃のリティスは純粋だった。

 だからこうして、両側からがっちり逃さないとばかりに、捕獲されてしまったのだろう。

「レディ・ディミトリ。国に帰っても、お手紙をお出しいたしますね」

「あぁ。返事をくれるか、リティス殿?」

 この場合、返事は一つしか用意されていない。

「はい、喜んで……」

 リティスは乾いた笑顔で頷き返した。

 そのあとも、アイザックが飲みものを持って戻ってくるまで、三人は友好を深め続けた。




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