挙式のあとは、王宮で披露宴が行われる。
大聖堂を出たリティス達を出迎えたのは、金彩で華やかに装った白い馬車だった。天井部分のない開放的な造りで、これに乗って王都の噴水広場まで往復することになっている。
馬車の側に待機しているのはスズネだった。
アルスターコートという、ケープが縫い付けてある昼間用のコートに身を包み、髪も一つにまとめている。
驚いて言葉もないリティスに、彼女は美しい辞儀を披露した。胸に手を当てる、紳士の作法だ。
「ご一緒させていただくため、こちらの格好で失礼いたします」
どうやら、スズネが御者を務めるらしい。
そんな特技もあったのかと、リティスは感心しきりだ。
「あ……びっくりしたけれど、あなたがいてくれるなら心強いわ。その服装も、とても似合ってる」
慌てて応えると、彼女はふとリティスの前髪に触れた。
どうやら少々乱れていたようで、スズネは完璧侍女らしさを発揮して髪束の流れを丁寧に整えていく。
そうして、ほんの少しだけ微笑んだ。
「リティス様こそ、今日は誰よりお美しいですよ」
「スズネ……」
「口説くな。俺の花嫁を口説くな」
すかさずアイザックが横槍を入れ、リティスはスズネから引き離された。
王子妃として民衆の前に立つのは初めてのこと。
かなり不安だったリティスだが、周囲を固めるのが慣れた顔触れのおかげで、多少緊張がほぐれた。
動き出した馬車。
貴族が多く住む閑静な住宅街を抜け、商店などが軒を連ねる噴水広場へ。
民で賑わう街が近付くにつれ、人がどんどん増えていく。
その誰もが笑顔だった。
手を叩いて祝福を口にする者、花びらを空に撒く者、酒を片手に騒ぐ者。
どこもかしこも笑顔でいっぱいで、懸命に手を振って応えるけれど追いつかないほどだ。
中には知った顔もちらほらあった。
街歩きをした時にお世話になったパン屋の主人や、果実水売り。アイザックが奇妙な置物を買った雑貨屋の店主は、あの日の客が第二王子夫妻だったと気付いて目を丸くしている。
救貧院の子ども達もいた。リティスが製作したレース編みを振りかざしながら大声で商魂たくましいことを叫ぶから、慌てた引率の教師に止められている。
こんなふうに広く受け入れてもらえるなんて、信じられない気持ちだった。
リティスは未亡人だった。その過去は変えられない。
街の人達が両手を上げて歓迎してくれるとは、思っていなかったのだ。
「……貴族や王族が守っている慣習なんて、大したことではないと思い知らされるな」
「え?」
外向けの微笑みで対応していたアイザックが、感慨深げに呟いた。
彼はちらりとリティスに視線を投げた。
「民衆が見ているのは、その人の本質のみ。肩書きも経歴も、本当のところは気にしていないのだろう。リティスがよい人間なら受け入れる、ただそれだけだ」
アイザックもまた、同じようなことを考えていたらしい。
リティスは微笑んで頷いた。
「私……この人達の優しさに応えられるような、そんな王子妃になりたいです」
「なれるさ、リティスなら。俺も全力で支えよう」
「アイザック様の全力は逆に怖いので、程々でお願いします」
軽口で返すと、アイザックはいたずらっぽく笑った。そしてリティスを引き寄せ、こめかみにキスをする。
途端に爆発的な歓声が上がる。
はやし立てる観衆達にしばらく頬を染めていたリティスだが、やがて弾けるような笑顔になった。
馬車は噴水広場を一周し、そのまま王宮に戻っていく。
披露宴が行われるのは、王宮正面の前庭だ。
ここは初夏の花に彩られ、今一番の盛りを迎えている。
大聖堂にいた参列者達も既に移動は済んでいて、リティス達の登場と共に披露宴が開始される。
ドレスはそのままだが、ロングベールを外したおかげでずいぶん動きやすくなっている。
リティスはアイザックと共に、立食形式のテーブルを次々と回った。
国王夫妻と王太子夫妻は同じテーブルを囲んでいた。そこにディミトリ公爵夫妻もいる。
ユレイナとクローディアは、リティスを抱擁で出迎えた。
「結婚おめでとう、リティスさん。とっても素敵な式だったわ」
「お義母様のおっしゃる通り、本当に素晴らしい結婚式ね。慶事の席って油断している貴族が多いから、ついでに政敵を一掃できるいい機会になるわ」
「……ありがとうございます」
台詞から、クローディアの結婚式も相当恐ろしいものだったと思われる。
リティスはあえて訊かず、感謝の言葉だけを返した。
エルティアも結婚に向けた様々なしきたりを教えてくれた分、今日は感慨深いようだ。
「無事に式が終わってよかったわ。ふふ、とても刺激的な撃退法だったわね」
「返す言葉もございません……」
アイザックが力技すぎる方法で問題を解決したおかげで、この披露宴中はからかわれ続けるだろうと思えば居たたまれない。
披露宴とは、このような苦行だっただろうか。
エルティアは楽しそうに笑った。
「気にすることないわ。こんなのは、通過儀礼のようなものだから」
彼女の言葉に苦笑したのはユレイナだ。
「そうね。いつの時代も困った方は一定数いるみたい」
穏やかに見解を口にしているが、油断してはいけない。ユレイナは、ピンヒールで政敵を踏みにじって歩いた女傑だ。
このままだとクローディアの挙式についても触れてしまうと危機を察知し、リティスは慌ただしくテーブルを離れた。
次に向かったのは、同盟国からの招待客が集まっているテーブルだ。
「レディ・ディミトリ、ご結婚おめでとうございます」
儚げな笑みを浮かべて言祝いだのは、エレーネだった。隣にはしっかりシマラがいる。
彼女達がこっそり愛を育んでいるテーブルで、飲み比べを繰り広げているのはデュセラとオルジオだ。
まだ披露宴ははじまったばかりなのに、既にこのテーブルだけ混沌としている。
「あぁ、そうでした。姓が変わったのだから、今後は高貴なる方とお呼びした方がいいかしら?」
「エレーネ様。式に出席してくださり、感謝を申し上げます。私のことは以前のように、名前で呼んでくださると嬉しいです」
ディミトリ姓ではなくなるけれど、だからといってルードベルクを名乗るわけにもいかない。
この国では、『レディ・ルードベルク』は国母——つまり王妃殿下を表すのだ。
「では、お言葉に甘えさせていただきます。リティスさん、お祝いの品はもうお手元に届いたでしょうか?」
「はい。既に受け取っております」
フェリオラ王国からは、アレキサンドライトを使った髪飾りを贈られている。
彼の国からしか産出されない希少性から、恐ろしいほど価値が高いと聞いているため、リティスはまだ一度も触れていなかった。
「ありがとうございます。あの髪飾りに相応しい人間になりたいと思います」
「リティスさんは既に素敵な方ですわ。今日の装いも、とても素晴らしいではございませんか。特にロングベールは、見たこともないほど精緻なレースで。そちらは、リティスさんの手作りというのは本当なのですか?」
「レースの生地を編み上げたのは私です。けれど、美しく仕上げてくださったのは、専門の職人の方々ですよ」
「そうだとしても、とても素人が作ったとは思えない素晴らしさです。わたくしも、いつかあなたの幸せにあやかりたいものだわ」
エレーネが同意を求めるように視線を投げかける相手は、当然シマラだ。
シマラの方も、頬をゆるめてしっかり頷いている。いつか今日のような結婚式を挙げられたらいいね、ということだろう。相変わらず仲がいい。
「リティス殿、この度は目出度い席にお招きいただき、感謝を申し上げる。本当におめでとう」
「ありがとうございます、シマラ様」
「ついては、リティス殿にロングベールの製作を依頼したく……」
「——早速交渉をはじめないでいただきたい。俺の花嫁は今日の主役だぞ」
特別な発注がかかりそうになったところで、アイザックが制止をかける。
あからさまな拒絶に、こめかみを引きつらせたのはエレーネだった。
「あら、アイザック殿下もいらっしゃったのですか。やはり新郎は新婦の引き立て役とも言いますから、今日ばかりは存在がかすんでいるようですわね」
「嫌みにもならないな。それだけ俺の花嫁が美しいというだけだ」
「アイザック殿下、『俺の花嫁』と言いたいだけなのではございません?」
それは先ほどからリティスも思っていた。
恥ずかしすぎたので、リティスはすぐにその場を離脱した。
デュセラとオルジオは早くも酩酊状態になっているため、挨拶は酔いがさめてからでも遅くはない。
次のテーブルには、クルシュナー男爵家の面々が揃っていた。同盟国の席から移動したフロイもここにいる。
「リティス、おめでとう。本当に綺麗だわ」
「素晴らしい式だった。リティス、絶対に幸せになるんだよ」
「ありがとうございます。エマさん、トマスさん」
ルシエラは何をしているかと思えば、こんな時にまで手帳にしがみついていた。
「結婚式……最高の伴侶……その後国中に姿絵が出回り、二人の愛は永遠という名の翼を得て空高く舞い上がり……」
「ルシエラ、怖いぞ!」
「ルシエラ、やばいよ……」
また弟達に怯えられているが、彼女はこれでいいのだろうか。
——本来なら、親戚の結婚式なんて格好の出会いの場だけれど……。
高位貴族が多くいるし、その子息も何人か同席している。
まだ夜会への出席が許されていないデビュタント前の令嬢にとって、将来の伴侶を見繕う最高の機会だろう。……一般的には。
けれど、ルシエラは母親に独身宣言をしている。
それを両親が認めるかはともかく、リティスは彼女の夢を応援したかった。
熱中しているルシエラには、声をかけないでおく。
すると、いたずらっぽい笑みを浮かべたフロイと目が合った。
片手に持ったグラスはほとんど空になっていて、少し酔っているようだ。
「リティス様、ご結婚おめでとうございます。いやぁ、歴史に残りそうな結婚式でした」
「ありがとうございます、フロイ様」
感謝で応えたものの、これは完全に嫌みだ。
「リティス様は、いつか二つ名で呼ばれるようになっているかもしれませんね。その場合、『猛獣使い』とかでしょうか?」
側で聞いていたエマが、フロイの台詞に噴き出した。
「あははっ、それいいわね! リティスとアイザック殿下の関係性を、絶妙に表現してるじゃない!」
……そういえばエマは、酔うとどこまでも陽気になるのだった。他人の目を気にしないくらい。
祝いの席での軽口でも、周囲の高位貴族に聞かれるのはよくない。
あと、微妙に傷付くし。
「もう、いい加減に……」
「——何の話ですか?」
鋭利な笑顔と共に切り込んできたのは、アイザックだった。
ご乱心事件を皮切りに、今最も敵に回したくない人物の登場に、姉弟は一気に酔いがさめたようだ。
「な、何でもないです……」
「それはよかった。酒は程々にして、合間に水を飲むのも忘れないようお願いいたします」
「はい……」
これはもう、この先挙式の内容について誰かにからかわれることはないだろう。
リティスは他人事のように眺めつつ、内心で確信した。