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第83話 リティス、幸せな夫婦になる

 結婚式を終え、披露宴を乗り切り。

 そうして、夜がやって来た。

 いよいよだ。

 ついにこの時がやって来た。

 リティスにとって、一世一代の夜。

 心臓は、先ほどから飛び出しそうな勢いで鳴っている。

 ——まずは、閨係だった時の失敗を謝罪して、それから……。

 頭の中で今後の展開を思い描いて冷静になろうと思ったが、無理だった。

 どのようなことが起こるのか知ってしまったから、想像するだけでベッドを転げ回りたくなる。

 やがて、月が中天に差し掛かった頃。

 リティスの居室の扉が叩かれた。

「ひょっ……」

 思わず、裏返った声が押し出される。

 扉がゆっくりと開いていく。

 リティスは、全身で呼吸をしながらその人を迎え入れた。

 青い月明かりがやけに眩しい。薄い明かりだけでも、相手の顔が浮かび上がって見える。

 触れたら切れそうな輝きを帯びる銀髪と、澄んだ青色の瞳。

 整った顔立ち、綺麗な姿勢。どこにも瑕疵が見当たらない凛然とした容貌。

 晴れて伴侶となったアイザックが、そこにいる。

「——リティス」

 名前を呼ばれて肩が跳ねる。

 今夜、彼と……夫婦の契りを交わすのだ。

「……アイザック様」

 鼓動が鎮まらない。

 まるで、この先に起こることを期待しているかのよう。

 ——まずは、謝罪を……何を謝るんだったかしら?

 アイザックを見ただけで、それまでの思考が吹き飛んでしまった。

 そわそわ落ち着かなくて、不安で、けれど少なからず期待も混ざっていて。

 どうすればいいのだろう。作法も何もかも真っ白だ。

 次の言葉に迷っていると、アイザックの方から口を開いた。

「大切な話があるんだ」

 ……話。

 その話とやらは、いよいよと緊張が高まっている、今この瞬間じゃないと駄目なのだろうか。

 リティスはてっきり、すぐに事に及ぶと思っていた。

 若干、肩透かしを食らったような気分は否めない。

 ——いやいや。それじゃあ私が、すごく積極的みたいじゃない……。

 恥じらいはどこへ置いてきたのか。

 リティスは赤くなった頬を誤魔化すように、続きを促した。

「お、お話とは何でしょうか?」

「まずは、これを」

 アイザックがそう言って差し出したのは、一通の手紙だった。差出人は書かれていない、薄青色の封筒だ。

「リティスの現在の立場上、披露宴に呼ぶわけにはいかない。だが……それでは互いに悔いが残ると思った。今日のリティスには、誰からだろうと祝福される権利がある」

「え……」

 じわじわと、予感が胸に湧いてくる。

 リティスが披露宴に招待できず気にしていた相手なんて、彼らしかいない。

 だがそんなはずはないと、すぐに期待を打ち消した。

 もうきっと、姉弟として会うことはできないと思っていた。

 没落した犯罪者の身内など、結婚式にも披露宴にも招けるはずがない。

 リティスだって同じ非難を浴びるべきなのに、一人だけ安全なところに逃げ、恥ずかしげもなく家族と呼べるはずも。

「以前、何をするにもリティスに確認をすると約束したばかりなのに、本当にすまない。だがこうでもしなければ、リティスは自身の願いを口にしないだろうと思った。だから結果的に、事後承諾になってしまったが……披露宴会場を眺められる場所に、お前の弟妹を招待させてもらった」

 やはり、そうなのか。

「では、これは……」

「あぁ。それはユリアとヴォルフからの手紙だ」

 リティスは驚きで声が出なかった。手紙を持った手が震える。

 アイザックが裏でそんなことをしていたなんて、全然気付かなかった。

 こういうところが彼はずるいのだ。

 普段は暴走気味で、リティスを困惑させることの方が多いのに、本当に大事なところは絶対に外さない。

 いつだって、リティスの隠した願いを見つけてしまうのだから。

「リ、リティス? どうした?」

 アイザックが、リティスを見て狼狽えだす。

 リティスはいつの間にか泣いていた。

 あとからあとから、涙が溢れて止まらない。

 けれど、これは温かな涙だ。

 アイザックを選んでよかった。

 アイザックと結婚できてよかった。

 そんな思いで胸がいっぱいで、苦しい。

 おろおろとこちらを覗き込む彼の胸に、リティスは飛び込んでいた。

 この人が本当に好きだ。

 この人がいるから自分になれた。

 弱音も泣き言も、恥ずかしいような失敗も、丸ごと受け止めてくれるから。

 この先の人生、迷ったり苦しんだりすることがあっても、アイザックがいてくれるから大丈夫だと思える。

 自分も彼にとってそういう存在でありたい。

「ごめんなさい。私……本当は閨係の時、何も知らなかったんです……」

 受け止めてくれた彼の腕の中、ベッドの揺れが伝わってくる。

 背中に回されたアイザックの手の温かさに、体の強ばりがほどけていく。

 彼の体温と安心する匂いに包まれ、溶けていくようだった。

「アイザック様が気を遣ってくださったから、閨係を辞退することもなかったし、こうしてずっと一緒にいられるようにもなって……でも、私はアイザック様に、迷惑をかけてばかりいます……」

 本当は、至らないリティスは、彼に相応しくないのかもしれない。

 それでも、もう離れたくなかった。

 離さないと、ぎゅうっとしがみつく。

「けれど、アイザック様を好きな気持ちは、誰にも負けません。だから……ずっと側にいさせて……」

 渾身の願い。

 だからこそ、反応を確かめるのが怖い。

 リティスの頰にアイザックの手が触れ、顔を上向けられる。

 彼は優しく微笑むと、触れるだけの口付けを落とした。

「俺の方こそ、リティスに迷惑をかけてばかりだ。そもそもお前を閨係に選んだのも俺だしな」

 体重をかけられ、今度はアイザックがリティスに覆いかぶさっていた。

 背中にシーツのひんやりとした温度を感じる。

「お前が閨係として頑張ってくれたから、今の俺達がある。俺はそう思っている」

 彼の指が、ゆるゆると頬をなぞる。

 そのもどかしい触れ方も、青い瞳を細める蠱惑的な表情も——まるで。

 リティスは瞬時に赤くなった。

 ——え。え、え? 今?

 突然の展開に頭が追い付かない。

 一体何がアイザックをその気にさせたのか。

「——どんなふうにしてほしい?」

「……え? ど、どんなとは……」

「優しく? それとも、激しく? 思いきりゆっくりすることも、丁寧にすることもできる。リティスが望むやり方に合わせよう」

「の、望むやり方……?」

 閨房術の授業では、手順は一つだけだった。何通りもあって選ぶことができるなんて聞いていない。

 全く分からないけれど、ひたすら恥ずかしい。おそらくこれは、ものすごく卑猥な会話だ。

 リティスは対処しきれず口をぱくぱくとさせた。

「リティスに負担はかけないつもりだが、正直俺も初めてのことだからどうなるか分からない。抑えも利かないかもしれない」

 抑えとは。

 閨ごとは、一度で済むものだと聞いているのだが。

 駄目だ。授業が全く役に立っていない。

 リティスが動揺している間も、アイザックの手はいたずらに動いている。

 首筋を撫でられ、肩、鎖骨と滑るように降りていき……夜着の胸元を乱す。

 そんなことをされては何も考えられないから、少し待ってほしい。

 リティスは冷静さを総動員して、彼の問いの意味を考える。

 何も分からないけれど、自分がアイザックにどうしてほしいのか。

「わた、私は……」

 割り入ってくる彼の脚を、反射的に挟み込んだ。

「——アイザック様がしてくれることなら、どんなことでも、嬉しい、です……」

 途端、アイザックの手が止まった。

 そのままゆっくりと顔を上げ、視線が合わさる。

 彼は笑顔だった。

 なぜかとても凄みのある、獰猛な笑み。

 冴え冴えとした瞳の色が濃くなっており、リティスは僅かにたじろいだ。

 もしかしたら、選択を誤ったのかもしれない。不意に危機感を抱く。

「……そんなふうに煽って、後悔するぞ」

 脅すようなことを言うのなら、答えを変更させてくれてもいいのに。

 そう声を上げる前に、あっという間に口を塞がれてしまった。



 ……嘘からはじまったリティスとアイザックの恋は、こうして本物になった。

 本物の夫婦となり、これからは二人で幸せに見つけていく。

 二人だけの物語を紡ぎながら。





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