――嘗て、遺伝子操作技術を有するような、超古代文明は存在したか。
ギルベルトが茨木のこの問いに答えたのは、茨木がギルベルトの元から去る、その日だった。
「お世話になりました」
「俺がお世話されたんだけどな――ああ、そうだ」
「何か?」
「答えてやるよ、初日の疑問に」
こうして、ギルベルトは語りだしたのだ。
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――日本において長すぎる縄文時代を含め、世界史的分類の石器時代に当てはめて考えると、その期間は、数万年に及ぶ。
多くの人間は、二千年あれば人類が、遺伝子操作が可能な科学知識を有するに至る事を知っている。そして科学文明社会の痕跡は、それが進歩すればするほど、特別な処置がなければ数百年程度で完全に消滅し、存在自体の遺跡を残さないことも研究から分かっている。石器文明は、その点に置いては、完全に科学文明よりも有利であり、数万年を経ても痕跡を残す。
しいて疑念を挙げるとすれば、過去の未知の科学文明は、石器や化石、燃料の発掘をしなかったのかという点を提示できるが、これに関しても、石器や化石、石油・石炭が発見されない土地も世界各地に存在するため、未発掘だったものが、その後の文明で発掘されているという見解もある。よって、この会場にいる人間にとって未知の古代文明の存在は否定できず、その中に、遺伝子操作技術を有していたような科学文明が存在しなかったとは、断言できない。
「この事実と、『天才遺伝子に人為的操作の形跡がある事』が、この質問を発した理由だろ?」
そう言ってギルは喉で笑い、目を伏せ続けたのだったか。
「第一に、存在した場合、どのような文明だったのか。第二に、何故天才遺伝子に操作を加えたのか。第三に、何故滅亡したのか。これを知りたいんだろ?」
ギルは面白がるような目をしていたような気がする。エマがなんと答えたのだったかは忘れてしまった。あるいはエマではなかったのかもしれないと言えるほど、状況に関しては、詳細には覚えていないのだ。その時の茨木にとって重要だったのは、ギルが二本目の缶麦酒を求めていると言うことで、茨木はその用意に集中していたのである。
――俺が知る限り、恐らくお前達の聞きたがっている文明の存在が二つある。確か、シュメールやアッカドの文明は既に歴史の教科書に載ってるし、それ以前のものでも発掘が進んでる文明はいくつかあったよな?
ただし、お前らが言いたいのは、法制度や数学的知識、言語という意味で優れているにとどまらない、『科学知識』で、ようするに『超古代文明』なんて文脈で語られる、『アトランティス文明』だの『ムー大陸』だの『レムリア』だのに近い印象の文明だろ? ちなみに、科学上で仮想的に定義されたレムリアは、後に存在が否定されたというのは知っているだろうし、ムーに関してはチャーチワードとかいう自称軍人以外存在を記した石版を見たことがないとされてるのも分かってるだろうな。
で、アトランティスに関しては、『アトランティス島に対する見解』は確かに残されているが、あれは「エジプトの神官から聞いた」という注意書き付きで、一番に言いたかったことは、神の怒りに触れたり人として誤ったことをしては行けないって言うご高説だったと考えるのが一般的だ。ちなみにそのエジプトの神官に、その話を伝えた可能性がある存在には、シュメール文明の人間も挙げられるだろうな。
アトランティスにしろシュメールにしろ、高度な社会体制・法体制を有していた可能性がある。そして聖書にも記されているが、シュメールにも洪水伝承があるわけで、実際地球には過去に大規模な水害被害が発生したと考えられる痕跡もある。だが、その洪水でアトランティスが沈んだとか言うのは兎も角、シュメールが滅亡したわけではないし、聖書にしたって、ノアの箱船で人々は生き残ってる。ようするに洪水自体で滅亡はしてない。
というよりも、洪水が原因で、洪水以前の文明が消え去っているとは考えられないんだよな。そう、問題は、シュメールのような文明は、どこから来たのか、だ。当初は四大文明がほぼ同時期に栄えだしていたと考えられていた歴史が、シュメール文明の存在で、それ以前にも文明があったと分かった研究がある。だが、シュメールの前が分からない。
そしてその部分は、見事に、世界史的分類の石器時代に分類されるわけだ。俺が知る限り、そのシュメール以前かつ石器時代に分類される時期に、二つの高度な科学技術を持つ文明が存在しているって事だ。遺伝子操作ができたと言うだけだから、科学文明とするには語弊があるかも知れないけどな。それに、それ以前にもっとすごい文明があったとしても、それは俺には分からない。
一つは、リ・シュメロ=レ文明だ。この文明は、わかりやすく説明するならば、『ラピュタ文明』といった方が良い。リ・シュメロ=レというのは、その文明の音的言語をそのまま使っただけで、説明には向かない。だけど、ラピュタなら分かるだろ。ガリバー旅行記に出てくる、天空の都市だ。そ、この『ラピュタ文明』は、空の上に浮かんでいたわけだ。地球の上空を周回してた。念のために言っておくけど、宇宙空間ではない。
大体旧オーストラリア大陸と同じくらいの規模で、島というのが正確なのか陸地と呼ぶのが正確なのかは不明だが、少なくとも『土』を有した基盤が、空に浮かんでいたんだ。動力源は、「力」だ。ラピュタ文明では、その力は、「ヴァレ」と呼ばれていた。俺達の力と同一だと言って良い。しかし、『呼んでいた』というのは正確じゃない。
ラピュタ文明の者は、声を持たなかった。
全て、言うなれば、微弱音を伴うテレパシーで意思疎通を図っていたんだ。それに、視覚も無かった。目が見えなかった。というよりも、目があったのかすら微妙だ。彼らの社会は聴覚社会だった。彼らは音で、世界を認識していた。しかし言語は、超感覚的知覚で行っていた。はっきりいって、彼らは、『人類』では無かった。ラピュタ文明を築いた者達は、既に絶滅していて、一人――一個体も残っていない。彼らの外見は、巨大な芋虫だった。その背中の部分に、人類の耳そっくりの器官があった。耳付き芋虫の体内がどうなっていて脳があったのか否かを俺は知らない。
ただ、彼らには、まぁさまざまな呼び名があるにしろ、『想像力』があり、それを『現実世界に出現させる能力』があったわけだ。恐らく法体系も倫理も、そもそも生殖活動や種の保存、本能、価値観も何もかも、俺達とは違ったんだろう。彼らが何をどのように考えていたのかは分からない。ただし知能と「ヴァレと呼ばれる力」と技術があったのは確かだ。彼らを仮に、『メルム』と呼ぶ。芋虫じゃあんまりだからな。メルム達は、地上に繁殖していた原始的な人類に対して、ヴァレ能力を使用した。
これは、一つの遺伝子操作だったはずだ。世界中に、原人や類人猿が残っているだろ?
その中の一つに、彼らはヴァレ能力で、『知能』を与えた。ヴァレ能力で特定の遺伝子を変化させたんだよ。この時作り出されたのが、『高知能水準発現因子』をもたらす遺伝子だ。そう言う意味では、メルムは神様かもな。空の上にいたわけだしな。ただ、何を彼らが考えて、人類にそんな遺伝子操作をしたのかはさっぱり分からない。ちなみにこの遺伝子は、受け継がれていくことになる。
因子を上手く発動させられる人間と、遺伝子はあるけど未発動の人間は当然いたわけだけどな。さて、メルム達は何故滅んだのか。それは、俺が知る限り最初の『アルダーノフ精神伝染病』の『パンデミック』だ。精神病は脳の病気だって言うけど、メルムに脳があったのか俺は知らない。だけどな、確実に、この病気でやつらは滅亡したとしか考えられない。メルム達は、ラピュタの中でしか暮らしていなくて、地上で生存していた例はない。少なくとも俺は知らない。
――アルダーノフ精神伝染病は、感染する精神病だ。本来精神病は感染しない。しかし、アルダーノフ精神伝染病は、空気感染する。集団妄想とは異なる。潜伏期間は非常に短く、長くても三日程度である。感染力は非常に強いが、めったに発生しない伝染病である。
さて、このラピュタにおいて、メルム達はこれが原因で、全滅した。全員死に絶えたから、ヴァレ能力を使用できる者はいなくなって、ラピュタは海の藻屑となった。陸地に落ちなくて良かったかも知れないな。が、海の中で、ラピュタは跡形もなくその痕跡を消し去られたわけでもあるから、微妙なラインだな。落ちた場所は、ちなみに太平洋だったから、頑張ったら痕跡が見つかるかも知れないぞ。
二つ目は、地上で栄えた人類の文明だから、こっちの方をみんなきっと想定してたんだろうな。断言は出来ないが、この『ミセリア文明』は、ラピュタ文明と平行して存在していたんだと思う。ミセリア人は、非常に長命だった。平均寿命が五百歳だ。ただし数が大変少なく、子供もめったに生まれなかった。だが非常に高度な学識を有していた。シュメールに限らず各地の文明に、知識を伝達したのは、恐らく彼らだ。
ミセリア人は、寿命の長短を、種の優劣と捉えていた。だから、寿命の短い他の人類を労働力としていた。率直に言って、奴隷だ。場合によっては、ミセリア人以外の寿命が、短くなるように操作していた形跡がある。そしてミセリア人は、五人に一人が、『天才遺伝子』とされる二因子を持っていた。
彼らは、劣等な短命種族の中に、高度な知性の持ち主が生まれることは良しとしなかった。そこで、『致死性遺伝子』を組み込んだらしい。ミセリア文明は、特定の箇所にあった訳じゃない。世界各地に、少数のミセリア人が渡り、そこでそれぞれ地域を支配していた。そして、連絡を取り合って、文明圏を維持していた。だから、天才を生む二遺伝子と、致死性遺伝子は、世界各地に広がっているんだ。
寿命が人種によらずほぼ同一なのも同じ理由だ。もっともそちらは、発生時からそれが自然だったとも言えるけどな。兎も角、知識伝達以外で彼らの痕跡がないのは、各地に散らばりそれぞれ好き勝手にやっていたから、文明の要という場所がなかったからだ。この世界の覇者とも言えたミセリア文明は、ちなみにラピュタ文明とほぼ同時期に崩壊した。
ミセリア人には、ただ一人として、『能力者』が存在しなかった。
その結果、『伝播性グリツァエフ脳症』で地上から姿を消したんだ。ミセリア人は、例外なく全員『第三の目』を持っていた。それを所持している者を対象としたんだろう。誰がやったのかは知らない。また、仮に生き残ったとしても、各地に一人ずつであれば、その土地で寿命を迎えれば死ぬしかなかっただろうから、絶滅するしかなかったといえる。
――伝播性グリツァエフ脳症というのはな、なんと言えばいいんだろうな。
ある能力者(A)が主観的に同じ集団の構成員だと捉えている人間に伝播していく。遠隔地にいても伝播する(集団構成員が認識している相手及び同一形態の『偶像などの視覚的表象』を持つ者)。その集団構成員に別の能力者(B)がいる場合、重篤な影響は起きない。Bが存在しない集団の場合には、集団構成員に伝播された刺激(多くの場合明滅映像)が脳における処理過程でウイルスに変異し、特殊な脳症を引き起こし、死に至る。
能力者が一定数存在する人間が患う事はきわめて稀である。しかしながら、集団がごく小規模と捉えられていた場合、発生可能性は高まる。古い事例であれば、非科学を信じない一つの村の人間を旅の魔術師が全員呪い殺したというのは、この症例だと考えられる。
まぁ、こういう感じだ。
それで――どこかの誰か達が『原初文明』と名づけている、芦原の前文明が、俺には『ミセリア文明』に思えるんだよなぁ。
ギルベルトの話は、それで終わりのようだった。
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――回想していた茨木は目を開くと、退屈そうな顔で、再び抽斗を開けた。
資料類をしまう。それから、ポツリと呟いた。
「偶発的タイムトラベラー症候群」
これは、フォンス能力のコスモス(ESP)が強すぎて、過去の文明も今の文明もほかの星の文明も同時期に全部経験している――と、本人は理解している状態の仮称だ。現実文明理解と同じで、異なる文明が同時派生していたとしても、一つ一つを同一世界の同一時間軸の過去未来として考えるとするものだ。
茨木は、『不老不死』に懐疑的だった。油絵や写真の証拠など、その時々の年齢をイメージ念写可能であるし、写真という品物の年代をフォンス能力で作り変える方が易い。ただ――それを言い出すと、年代測定自体の、フォンスに影響されない手法の発見が急がれる。それから茨木は、珈琲を出現させて嘆息した。
「非実在性ファントムクラック有可視化能力者の可能性……だとするならば、現状維持コネクトが必要だな」
そう口にしてから、茨木は目を伏せた。