目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

episode19 「断罪してほしい」

 其方。

 その言葉に対し、脳内であの緑の赫奕が結びつく。体躯を葉や蔦が覆い、一瞬にして全身の水分という水分を奪い取る、恐るべき魔法。

 指揮官に報告こそしたものの、あの様子では注意するよう伝えているか怪しい。紙が風により翻るように、あの魔法は人を生から死へと簡単に裏返してしまう。

 茨に囲まれるような危険な状態であった。

 口を開ける。

 注意するようにと。

 しかしその前に、兵士は「あ?」と苛立たしい棘を尖らせて返事をしてしまう。

 途端に彼の足元が緑色に赫奕して、植物がその体躯の一切を被覆する。

 一瞬であった。

 空に閃く稲妻よりも速く。

 兵士の体は干からびてしまう。

 やり場のない無念さが自分を押し包んでくるのが分かる。心の中でどう行動するべきだったのか、という答えを探して歯ぎしりした。もっと判断が早ければ被害はなかったのではないかと。


「なんだ、今のは……」


 雷に打たれたような、呆気に取られた面持ちをしたのは金髪の彼だ。やはり報告は行き届いていなかったらしく、目に浮かんだ心底仰天したような色は、無意識に彼を一歩後退させた。


「問いかけに応じた者の水分を奪う魔法のようです。まだ、明確ではありませんが……」

「んな危険なもん、報告にはなかったぞ……!」


 感情はほつれて、金髪の彼の左頬がぴくぴくと痙攣している。尋問官が訊き質すように、私の肩を力強く掴んでその眼が鋭く迫った。


「昨夜指揮官には報告したのですが、どうやら信用されずに皆には伝わらなかったようです」

「なんだ、それ……」


 と、彼は息を呑む。

 そう反応したくもなるだろう。魔獣の攻撃手段など、いち早く伝達するべきである。それなのに、白髪による報告。それだけで、伝わるべき情報は放置されてしまった。

 仮に伝わっていれば、少なくとももう一人の兵士が体内の水分を枯らすことはなかっただろうに。

 眉を顰めながら、呻きが漏れた。

 理解出来ない、という風に首を振りながら、彼は私の肩から手を離す。


「悪い、掴んじまった」


 痛みなど感じなかったため、その行為には蚊が止まったほどにも思わなかった。

 いいえ、そう言いながら肩を何度か回す。

 むしろ、申し訳ないという気持ちが出てくることのほうが、私にとっては慮外であった。彼が白髪に害意を持っていないことは理解出来ているのだが、どうも実際にリアクションされると違和感なく呑み込むことができない。


「おう、お前」


 急に話を転じる。


「何が目的なんだ。話し合いを持ちかけてきたかと思えば、魔法で攻撃してきたり。さっぱり分からん」


 問いかけた相手はカタツムリの魔獣であった。突然気分を変えるように言ったかと思えば、「ふん」と鼻を鳴らしながら、眉間に深い皺を刻む。

 それには危惧の念を伴わざるを得ない。

 魔獣は兵士に攻撃している。彼から話しかけて、触手や緑の赫奕の対象にならないか、私自身非常な神経が働いてしまう。

 だが魔獣は、その杞憂とは裏腹に牛のように押し黙って答えない。反応を待つが、貝のような頑なな沈黙がそこにはあった。


「パレス様」


 魔獣が黙っているのがよく分からず、私はその沈黙を破りたいばかりに呼びかける。魔獣は答えない。代わりに紅玉のような眼がぎょろりとこちらを向いて、思わず身構えた。

 息を呑む。

 死人のように息を詰めて、魔獣が行動を起こすのを待った。


「……金の髪。其方、西方の者か」


 金髪の彼が首肯する。

 恐らくは魔獣による呼びかけを警戒してのことだろう。


「ふむ。移民の兵を許しているのか」


 まるで普通は許していないことを知っているかのような口ぶり。実際、移民が兵士として志願するのは国民として戸籍を取得するための近道だ。フリストレールは戦争の頻度に違わず、獲得している領域も多い。そのため、その国力を求めてやってくる移民も少なくない。

 ただ、私は見たことがない。少なくとも、戦争に駆り出されている移民兵は。私が見たことがあるのは、先兵として使われている異民族くらいだろうか。


「あぁ、そうだ」


 彼は自分を移民の兵であることを認めた。

 移民の兵が嫌われているという話は聞いたことはない。なので、彼は堂々と在ることが出来るのだ。私と違って。


「昔は許していなかったが、そうか。今は許しているのだな、あやつは」


 まるで自分が当事者であるかのように、魔獣は言う。

 昨夜もそうであった。

 魔獣であるにも関わらず、外相の名。そして白髪の事情。フリストレールの事情を、何故知っているのか。

 王族の陵墓を見てきたせいか、眼前の魔獣にどうしてか人を感じてしまう。そんなこと、あるわけないのに。


「昔は?」


 だがそんな自分の思考は傍らに置かれて、会話は進んでいく。


「うむ、記憶が正しければ、余の時代は移民が兵になることは許可していなかったはずだが」


 いつの時代の話なのか。

 たしかに、魔獣ならば寿命など人のそれとは比べ物にならないだろう。ただそれが、過去の政(まつりごと)を知っていることにはならない。


「何故、それを知っているのですか」


 率直に。

 魔獣相手に一晩語らう必要もない。

 対して、魔獣は考えあぐねている様子だった。口もなく表情も読み取れない、そんな魔獣だが、何となくそう感じる。


「白髪よ」


 やがて、些か張った声で言う。

 それは奮い立つようなしっかりとした声で、こちらも身構えなければという心持ちにさせる。水中のように籠った声ではあったが、強い意思が灯っていたため、手足に通う血管が収縮せざるを得ない。


「断罪してほしい。其方には資格ある。余は、かつては人であったのだ」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?