果たして、投擲された大剣は魔獣の頸へと炸裂した。
それにより大部位が砕け散り、残った頭部と触覚が私たちの前に音を立てて落ちる。
湿原を吹き過ぎる風が全身に触れていく。その瞬間に、一撃は成功したのだと感じた。
難易度の高いことをやってのけた金髪の彼を称えよう。私はただ、投擲しただけなのだから。
「よっしゃあっ!」
両手を打って、子供のように喜んでいる。ほんとうに快活な人だ。
「見事、なり」
頭部分のみとなった魔獣が、それでもなお強力な生命力を以て発言した。だがしかし、声は途切れ途切れで、いつこときれてしまってもおかしくはない、そんな風。
「パレス様」
呼びかける。
一つだけある懸念を取り払うために。
「そこから再生はするのですか」
昨夜見せた再生力。
これほどに巨体を砕こうが、再生されてしまっては意味がない。なので、未だ彼のように嬉しく思うことは出来なかった。
「さすがに無理だろうよ。これほどまでに砕かれてしまってはな。それに余には再生する意思はない」
その言葉に、私はようやく肩の凝りがほぐれたような気持ちになった。
恐らく今回の討伐は、私一人ではどうにもならなかっただろう。魔獣に戦意がなかったことが大きいが、それでも斃すには圧倒的に力が不足していた。
金髪の彼がいなければ、私は魔獣の眼前で立ち尽くしていたに違いない。そしてそれは移民である彼だからこそ成立したものである。もし共に在ったのがこの国の兵だけであったなら、成り立たなかった。
彼としては兵士としての責務を全うしただけで、私もそう思う。
ただその偶然と事象に、私は感謝したい。
しかし当の本人は、報告すると言ってさっさといなくなってしまった。まだ謝辞を述べていないというのに。
言うべき言葉をまた逃してしまった。
巨躯の彼と決闘したあと。私の生い立ちを打ち明けたとき。そして今。それ以外にも、きっと自覚していないだけで言葉にしなくてはならないことを逃してきて現在に至っている。
特にカルムの人たちには。
長槍の彼女が、こういう場面では「ありがとう」と言うべき、と言っていたことを思い起こす。
感謝するとは、とかく難しい。
「パレス様」
砂の城めいて崩れていく魔獣との、途切った会話の糸を拾い上げる。
「何故、魔獣に」
「……分からぬ。ただ死ぬときに声が聞こえた覚えがある。女の声だった。『赦されよ、赦されよ。怠惰な王よ』と」
分からない。
ただ、その声の主に関与しているということぐらいしか、いまは。分からない要素ばかりのことを推測するほど、時間はもらっていない。
「ふっ、怠惰な王とは。ただ宮廷に籠り、あやつの言う事を王命として下していた余には、なるほど相応しい蔑称よ」
自嘲するように、魔獣は自分を嗤った。
「思い出したわ、自分の死に様を。クーデターで王位を剥奪された余は、牢獄に入れられ、最期は飢えと渇きにより死んだ。この魔法は、恐らくその皮肉だろうよ」
政治の転覆を謀られるほど、酷い暗君ぶりだったのだと予想出来る。
それがどれほどの悪政だったかは、私には分からない。恐らく図書館か何かで調べることが出来れば詳細に記してあるだろう。歴史に埋もれていった愚王の、その生涯が。
ただ私は大きな図書館には入れてもらえないだろうし、調べようがない。村で知っている可能性があるのは、副村長か長槍の彼女辺りが知っていれば重畳といったところか。
「……私にはあなたを赦すことは出来ません」
眼前の王を口撃したところで、現状は何も変わらない。私はこれからも、カルムから出れば迫害され続ける。まだ恵まれているほうだと、私は思う。いてもいい場所があるのだから。恐らく迫害の命令が出された当時は、命すら軽薄であっただろう。
しかしその所業、フリストレールにはもう白髪は私しかいないが、歴史を鑑みれば赦すことは出来ない。
否、簡単に赦してはいけないのだと私は思う。目の前の王と、過去この国で死んでいった白髪の者を考えるならば。
「ただ、その悔恨。贖罪したいという心持ちだけは、受け取りたく思います」
王の申し訳ないという気持ち、その謝罪は私だけが受け取ったものだ。向き合わなければならないのだ。私が、歌うたいに贖罪しているように。
「……そうか、それは。……ありがたき」
声は段々と小さくなっていった。死に絶えるそのときが近づいているのだろう。恐らく魔獣が巨体でなければ、絶え絶えになっていくその声は聞き取れまいと予想できるほどに。
魔獣の片目が落ちて、私の目の前に転がる。
改めて人の頭ほどある紅眼を見ると、果たして美しい宝石のようだった。
「持っていくがいい。それほど腕のいい鍛冶師がいるなら、役に立つはずだろうよ」
持ち上げると、宝石めいた見た目に反して重量はなかった。
感謝の言葉は返さない。
私には紅眼が何の役に立つのか分からないが、意味があるのだから託したのだろう。それが王の、私に対する贖罪の一つなのだ。感謝してしまっては、それはただの譲渡になる。従って、私はそれをただ受け取るだけにした。
いつの間にか、二体の鹿とフクロウが王のもとに近づいていた。眷属として、身罷るそのときを見届けにきたのだろう。それを見て、王は決して絶対的な嫌われ者ではないのだと、私は思った。
朽ちていく、その巨体。
「あやつと相対するときがあったら、伝えてくれぬか」
「……何を、ですか」
「先に地獄で待っているぞ、と」
言って、王は砂の上の塔のようにもろくも崩れ去っていった。