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終章 怠け蝸牛と白いひと

 大気に還っていく王を見ながら、回想する。

 あの時。

 少年兵として上官と初顔合わせをした時、問答無用で暴力を振るわれた。今まで白髪が虐げられていると養父に聞いてはいたが、幼かった私はそれがどういうことなのか理解していなかったのだ。

 しかし、顔面を蹴り飛ばされた。ただそれだけで理解してしまった。

 私にはこの先、地獄が待っているのだと。

 今でこそ何とも思わなくなったが、何故生きているのだろうと、当時はそれだけを思っていた。

 王様。

 あの時代が、あなたによって生み出されたというなら。

 やはり私は。


「あなたを赦すことは出来ない」


 何もなくなった中空を見つめながら、柄にもなく独り言ちた。

 その言葉は、私に向けて口にしたものだった。あくまで、個人の事情によるものである。

 あなたは煉獄にて。

 私はこれからも。

 起こされた悲劇を抱えていくのだ。

 ……。

 ざっ、という音がした。

 幾つもの足音に、私の意識は引き戻される。


「ようやく、ですか」


 丁寧ながら、毒のある鋭い声。

 数人の兵士を連れ立って、指揮官がやって来た。

 どれほど長い時間、滅びゆく魔獣と対峙していたのだろう。金髪の彼が報告し、指揮官がここへ来るまで。自分ではそこまで長くは感じなかったのだが、現実では結構な時間、王と向き合っていたらしい。

 後ろに連れられた兵士も同意するように、冷たい言葉を私の胸に突き立ててくる。


「お疲れ様です」


 無視されることが決まり切っている挨拶。それでも、しないわけにはいかない。


「兵士から報告は聞きましたが、終わったのですね?」


 それに、同意するように返事をする。


「本当は昨夜のうちに斃してもらいたかったのですが、まあいいでしょう」


 額に手を当てて、悲しげな吐息を漏らす。

 これは、どういう嘆息だろうか。苛立ち、軽蔑。それとも、即刻討伐して帰れなかったことによる落胆か。

 どうでもいい。

 念のため自らの足で確認しに来たところは、評価出来る。彼ならば、それも兵士にやらせてもおかしくはない。


「ゲットには聞きましたが、改めて報告を。どうやって斃したのですか」

「……私の剣を投擲して斃しました。魔力が流れているものでしか痛手を与えられない魔獣でしたので、ゲット様の腕で柄頭を殴ってもらい加速を加えました」


 我ながら、簡潔な説明とは言えない。どうして魔力が流れていないと斃せないことを知っているのか、何故剣を投げたのか。突けば言い淀む箇所はいくらかある。

 だが、鞘のことを明確に話すことは出来ない。鍛冶師のことが知られてしまう。ただもし、金髪の彼が鞘に魔力が流れていると話していた場合、それはもう次の言い訳を考えるしかない。


「なるほど、報告通りですね。それで、その投げた剣は」

「投擲してしまいましたので、いま手元にはございません」

「そうですか、残念ですね。あれば回収して討伐の証拠として上に見せたというのに」


 冗談ではない。

 あの鞘は、鍛冶師が夜通し打ったものだ。おいそれと渡すことは出来ない。それに万が一、鞘の事を調べられてしまっては、左遷された身の私がどう手に入れたのかと追及される恐れもある。

 なので投擲してしまったことは、むしろ幸運である。

 ふう、と息を吐きながら指揮官は手巻きタバコを取り出す。それを見て、背後の兵士がすぐさま腰にぶら下げた小袋からマッチ箱を引っ張り出した。

 戦後の一服、といったところか。


「いいですか」


 言いながら、火の着いたタバコを薄い唇の間に加える。

 そうしてエラ骨から喉仏までを動かして、初めの一服を忙しげに吸い込んでいく。


「話はこうです」


 溜め息と共に煙を吐き出す。青白いタバコの紫煙が、白い霧のように天空へ立ち昇っていく。

 白煙が空に向かって伸びていくのを見つめていると、昔吸いかけのタバコを口に突っ込まれたのを思い出した。


「あなたが魔獣に苦戦しているところ、機転を利かせて持ってきていた魔弾を撃ち込んだ。魔獣が崩れ落ちたところにゲットがその義手でとどめをさした」


 両手を広げ、芝居じみた様子で即興のあらすじを披露する。討伐の手柄を寄越せ、そう言っているのだ。

 なるほど、一日も早く討伐してしまいたかった理由がこれである。


「素晴らしい。あぁ、言うことは聞いておいたほうがいいですよ。なにせ私の叔父は少将ですからね」


 言って、私の肩鎧にタバコの火を押し付ける。

 じゅっ、という鎧が熱される音。

 顔に押し付けられるのかと思っていたため、少し身構えていたところだった。

 別に功績が欲しいわけではない。

 そのため、すぐに承ったことを伝える。

 手のひらで、顔の下半分を覆うような仕草。そこから覗き見える口元の邪悪さたるや。きっと、そうやって大尉の地位にいるのだろう。

 勝ち誇ったかのような微笑。自分で掴み取ったものでもないのに、彼は作り出したその虚栄(しょうり)に酔いしれているようだった。

 そしてひと通り笑ったあと、姿勢を正す。


「ではこれくらいにして、おいとま致しましょう。感謝致しますよ、騎士様」


 わざとらしく、ゆっくりと。


 そこからの撤退作業は、なかなか骨が折れるものだった。

 木道を形成していた大量の木の板と、ランタンを回収して拠点に返していく。何度も、何度も往復して。湿地帯の外に待機していた荷車に乗せていく。

 拠点の解体は自分たちで行っていたのがまだ救いだ。それまで大して使った記憶のない場の撤去まで押し付けられてはたまらない。

 そうして作業を続けていると、全てを終える頃には、湿原は朝日を含んだ金色の霧の底に沈んでいた。不健康的な、ただ気だるいだけの朝。

 解体が完了すると兵士たちはさっさと立ち去って行った。それをたしかに見送ったのち、ようやく広大な湿原から大剣の捜索をし始める。

 先ほどまで木道があったため、目印があったが、それは分からなくなってしまったため、まず魔獣の紅眼を見つける作業から入った。木の板により野草が倒れている地点があるかと思いきや、どういうわけか復活していて難航したが、太陽が完全に昇り切った辺りにようやく発見に至った。

 それからはなぎ倒された野草を探す。

 幸いそれはすぐ近くにあり、大剣は魔獣が押し潰して作った領域の中心に突き刺さっていた。昨夜までたしかに魔獣が存在し、そして討伐した名残である。

 都合よくなぎ倒された野草たちの真ん中に鎮座していたのは、あるいは眷属たちのお陰なのかもしれない。眷属たちはあれからどうなったのか、しばらく王がいた地点を何もせず見つめていたようだったが、指揮官がやって来て事が終える頃にはどこかへ消えていた。

 まあ、あの者たちならば放っておいても害はないだろう。

 そうして、ようやく私は帰路へ着く。

 往路で掛かった時間から鑑みると、大体カルムへ到着するのは夜へと差し掛かった辺りだろうか。急がねばならない。


 ただただ復路を往く。

 来たとき同様、森を越え一枚岩を越えて湿原を渡る。

 そろそろ夏に差し掛かろうという夕方の空は和やかだった。闇の色合いや風の感触も柔らかく、湿原に比べれば全然寒気はない。昏れかかった空が、墨の滲みのような濃淡を去来させている。

 その中で、私を出迎えたもの。

 果たして、それは悉くを破壊され、廃村と化したカルム村の姿だった。

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