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episode1 「強力なものであればあるほど」

 魔獣の体の一部だったものだ。

 禍々しい。

 そう言われても仕方がない。

 黄昏の中、誰もいないカルムを見る。正直なところ、意味の分からない物を持って歩いているため、誰もいないのは都合が良かった。人の頭ほどの、幼子ほどの重量を内包するそれ。

 湿地から半日ほどずっと持って歩いていたため、少々腕が凝り固まってきたのが本音だ。

 もちろん戦争において、それ以上の重量がある物を持って進軍した経験は幾度もある。重さなど気にしている場合ではないのだ。特に、必要以上の物を押し付けられ持たされていた私は。

 ただ、それはそれ。

 考えている場合ではないのだ、重量など。

 持たされた荷物を落としてしまったら、殴られるのだから。そうして殴打されて落とせばまた暴力を振るわれる。その繰り返し。

 なので、まさか少し肩が凝った、などという呑気な感想を抱いていることに違和感を覚えている。

 手に持った紅眼を見つめながら、そう自嘲した。


「何も考えずに渡す物ではない、ということでしょうか」

「えぇ。それこそ強力なものであればあるほど、加工するには危険を伴うから。まあ、それを見たブリジットが何て言うかよね」


 その通りだ。

 結局のところ、本人が何と返すかである。まあ鍛冶師のことを考えると何となく、あまり気の乗らない案件だとは思うが。


「では行くだけ行くことにします。ありがとうございます」


 夜の帳が下りるその前に、村長の家に向かいたい。

 思って、村の入り口を後にする。


「あぁ、あのさ」


 しかし、思い出したように呼び止められる。


「村長の家に行って、もしリーデがいたらこっちに来るように言ってもらえるかしら?」


 頷く。

 何用かは分からないが、覚えておこう。

 長鎗の彼女といえば、門番は一人で大丈夫なのだろうか。いくら外からは廃墟に見えるとはいえ、彼女自身は見えていた。そのため仮に魔獣がやって来た場合、襲われてしまうのではないか。

 ただこうして生き残っているということは、何かしら対策を持っているのだろうが。

 そうして今度こそ、彼女別れる。

 廓寥として人影のないカルム。本来であれば農作業から帰って来た村人たちなどにより、いつものこの時間帯では見られない光景だ。

 前回警戒体制になった際ですら、人通りはまばらであった。そう考えると、今回がいかに厳戒であることが分かる。

 人である野盗と魔獣、その警戒の程度を比べるのは話が違うのだろうけど。

 眠ったようにひと気のないカルムを往く。

 掃いたように通りは静まり返っていて、常日頃見ている村よりも広々と見えた。いつもはこのくらいの時間帯に灯るランタンも、今日はない。いつ襲撃を受けたのかはまだ分からないが、その様子からして恐らく日中だろう。

 道を曲がっても曲がっても同じ、夕日に照らされるだけに寂しい村の様子だけだ。

 一種の冷たい空気。人の跫音のしない村全体の、がらんとした雰囲気。村人はたしかにいるはずなのに、鼓動のない居住区。

 そこを、ただ進む。

 影が風景を埋めていく。夕日も水平線に触れかけている。村長の家を訪ねるのは、きっと日没を越えるだろう。

 しばらく暮れなずんでいたが、やがて背の高い建物から薄墨に溶けて夕闇に呑まれていく。

 警戒からか、光を漏らす家はない。魔法を解いて風景を貼り付けていない今、そうして潜むしかない。しかしその中に、一つだけ明かりを灯して存在感を示す赤い屋根の家が一軒。

 鍛冶師の居住である。

 あまりに浮いた存在で、不用心極まりない所業。

 意図は分からない。ただ作業に集中していて気づいていないか、或いはもっと別の目的があるのか。わざと呼び寄せるような行いはしないとは思うが、不明だ。

 ただ、それは聞けばいい。

 思って、家の扉を叩く。


「ブリジット様、いらっしゃいますか」


 返事はない。

 もう一度、家中に聞こえるように声を張り上げる。しかし、氷が張ったような静けさだけがそこにはあった。

 少し待ったのち、観念するかのようにひとつ大きく息を吐く。

 諦めの念だけが胸にある。元々期待値は半々といったところだったのだ。

 仕方がない。

 予定通り、一旦ロラの家へ帰宅しよう。

 思って、踵を返す。

 しかし、その途端。

 奥からぱたぱたと急ぎ足でこちらへ向かってくる音がした。歩調から、どう考えても鍛冶師ではない。


「えっ、騎士様!? お帰り、どうしたの」


 私の想定を上回る意外な人物。

 どうした、そう言いたいのはこちらである。

 何故、ここにいるのだろう。鍛冶師を訪ねたと思ったら、どういうわけか自分が厄介になっている家主が現れたのだ。


「ロラ……」


 思わず、そう口に出てしまう。


「って、うわ。どうしたのそれ」


 驚いたように目を開く。

 十中八九、この手にある紅眼を見てのことだろう。あちらからすれば、意味の分からない紅色の物を持って現れたのだから。

 ただ、なんと言えばいいのか説明しあぐねる。

 報酬?

 それとも正直に、魔獣に持っていけと言われたと説明するか。

 そうやって返答を捏ね廻していると、やがてロラの後ろから鍛冶師が現れた。


「なにか用?」


 状況に対して何も疑問を呈さずに、彼女は言った。


「ブリジット様。お疲れ様でございます」


 挨拶をすると、彼女は「うん」とだけ、短い言葉を寄越す。

 疑問に思うところなどお互いにあるだろう。例えば、何故ここにロラがいるのか。そして、明かりの件。

 しかしその前に。それらを差し置いて要件がある。


「鞘と帯革、とても助かりました」

「特別製だって言ったでしょ。雪蝶の魔獣の核を加工したんだ、金貨五百枚でいいよ」

「承知致しました」


 ロラの家の二階にため込んでいる金貨の量を思い起こしながら、二つ返事を答える。ほとんど使っていないに等しいため、その程度なら払えるだろう。


「それで?」


 使い心地と商談の話であるにも関わらず、鍛冶師は露ほどの興味もなく聞いていた。

当然だろう、まるでそう言わんばかりに。

 ただ私も、対話するにあたって、そうしてもらったほうが楽であることは否定しない。


「それで、これなのですが」


 話の流れで、私は持ち帰った魔獣の眼球を差し出した。

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