「それは何」
そう言って、ちらりと紅眼を見る。その素振りも、さほど興味は持ち合わせていない風に思えた。
「討伐した魔獣の眼でございます。加工出来る者がいるのなら持っていけ、と言うものですから」
それに、鍛冶師はただ「そう」という、まことに不愛想な気のない相槌を打っただけだった。
「ってことは、騎士様。魔獣をしっかり討伐してきたんだ。さっすが騎士様!」
ロラが頬に嬉し気な笑みをのぼせて言った。ぱん、と手を叩いて喜びがおりから吹きだした明け近い風のように、心地よく吹きだす。まるで自分のことみたいに。
「はい、なんとか」
「そっかそっか、お疲れ様」
なんのまじりけのない明るい顔。私にはロラがどうしてそこまでこれ以上嬉しそうな表情はない、というほどの喜色を浮かべているのか分からなかった。
その後、鍛冶師が紅眼を床に置くように指示してきたので、彼女の近くにそっと置く。一応、代物を見る気はあるらしい。
「あの、ロラは何故ここに」
「心配で見に来たの。まさか寝てるんじゃ、って」
「ロラは心配しすぎだ。こんなときに居眠りするほど、僕は呑気じゃない」
それには私も鍛冶師の意見に同意する。いくら彼女が朝に弱く夕方にも睡眠をとるからと言っても、さすがに村の危機に眠り込んでいるほどではないだろう。
警戒の勧告が出るのは初めてではないのだ。それを鍛冶屋も理解しているはずだ。
「でも、心配なんだよ」
ロラの顔には、固唾を呑んでいるような真剣さが見られた。鍛冶師はその表情に対し、困った顔のまま愛想笑いを浮かべる。
恐らく過敏になっているのだろう。前回の野盗の襲撃とは違い、今回は魔獣だ。それも狼を形どる。彼女の両親は、狼の被害に遭ったと言っていた。不安を抱くのは当然の流れだ。
鍛冶師が軽い嘆息を漏らす。
「ロラ、僕はいなくならないよ。だから今は家に戻って」
言って、ちらりと電光のように私の顔に視線を寄越す。恐らくは連れ帰ってほしいという合図だろう。
「ロラ」
どうして連れて行ってほしいかは分からないが、ともかく私は促すように彼女の名前を呼んだ。そうしなければ、この場は収まらないと思ったため。
ロラはじっと、私の顔を見つめる。それこそ、穴の空くほどに。眼が深い眼窩の奥で、引き絞られるように力を帯びる。
私はその姿をただ見つめ返す。どうしてか、視線を外してはならない気がして。
そうして視線を縫い付けられたままでいると、やがてロラは一瞬だけ鍛冶師の方へ視線をやり、無理に押し出した笑みを浮かべた。
「帰ろうか、騎士様」
言って、鍛冶師の家を出て行く。
正確には私はこのあと村長の家に行かねばならないわけだが、それは一回ロラの家に戻ってからでいいだろう。青い彼女の幻が効いていない以上、送り届ける義務が私にはある。どのみち、一言二言では終わらない用事だ。
ただ鍛冶師の家を後にする前に一つだけ、気になることがあった。
「あの、ブリジット様」
奥へ引っ込もうとしていた鍛冶師が足を止め、首だけを振り向かせる。
「ん。なに」
「他のみなは家の電気を消しているようですが」
その問いに、鍛冶師は渋い顔をする。
「さすがに外からは見えづらくなる結界を張ったよ。ロラが」
物乞いを断るように、鍛冶師は面倒くさそうな口ぶりで答えた。彼女が改めて優秀な人物なのだと思い直していると、その間に鍛冶師は旋風のような去り方で奥へと消えていく。
しっかりと魔獣の紅眼を抱えながら。
何故答えるのを一瞬渋ったのかは分からなかった。
鍛冶師の家の外でロラは待っていた。
「もしかして、村長の家、行かなきゃいけない?」
恐らく私が紅眼を持っていたことから、村に帰還して直行で鍛冶師の家へ来たのだと予想したのだろう。そうだとしたらその予想は聡く、実際正しい。
「……その通りです」
私は一瞬言い淀んだが、違うと言うほうが変に思われると感じ、正直に答えた。
「そっか」
微笑みを作る。なるべく自然に。だがしかし、精一杯作っているということは、その笑みはもう笑顔ではない。気づかれていることを察したロラは、一瞬だけ神妙な顔つきをし、そしてまた乾いた笑みを浮かべた。
「大丈夫大丈夫。でも、なるべく早く帰って来てね」
視線は、どうしてか私の遥か遠くを見つめているように感じた。
「ロラ……!」
呼びかけなければならない気がした。
これが最期というわけでもないのに。
「……あたし、狼の魔獣が来たって聞いたとき胸がきゅっとなったんだ。また、狼に誰か奪われるのかなって」
顔にほんの少し深い影が落ちているように感じた。
ロラがあの家にいたのは、鍛冶師を心配してのことだ。ただその理由は眠っているか危惧したのではなく、両親の次に自分に近いところにいる彼女がいなくなってしまうのではないかという不安からだろう。実際誰を失ってもおかしくはない状況だ。
しかしロラは、また自分の大事な人が、という恐怖に苛まれている。
「……私が。私が皆を護ります。だからロラは早く家に戻ってください」
根拠のないことを言うことはあまり好きではない。
ただ今は、ロラを少しでも安心させるには、こう言うしか選択肢がなかった。だからどこか嘘をついているような、騙しているような気持ちが私を締め付ける。
「ありがと、騎士様」
その笑みは光が散るような、寂しくて明るい笑顔だった。
闇夜に消えていくロラの後ろ姿が、本当にどこかに行ってしまうのではという心持ちにさせる。どうして、こんなにも嫌な予感だけがあるのだろう。