「なるほど、そうかい」
両腕を閂のように組みながら、報告に納得したという風に村長が口を開く。
家を訪ねたとき、上半身を晒した状態で出て来たため、不意を突かれたが、今は上着を羽織っている。羽織っているだけで、未だその肌は露出しているのだが。無駄な肉はなく、両腕には筋だけが針金のように浮き上がっている。
そういえば、以前にもその上半身を晒したまま私を出迎えたことが何度かあった。もしかすると、常日頃から家では上着を着ない性質なのだろうか。だとするならば、あまり知りたくはない情報だった。確認する気にもなれない。
家内には小さなロウソクの灯り一つ。長鎗の彼女はどこにいるのだろう、奥様は奥に引っ込んでいると言っていたが。
「しかし人から魔獣になるたぁ不思議な話もあるもんだ」
討伐した魔獣がどのようなものだったか聞かれ、その報告に対する言葉。至極当然の感想である。
私も初めは信じてはいなかったが、その話の内容からそれは本当なのではないかと思うに至った。自分に関与する事だった、というのもある。
むしろ、こうして口伝し、呑み込むのが村長は早すぎるとさえ思う。自分だったら、人が魔獣になっていたと報告されたところで冗談ではと一蹴するだろう。
「ただ、そうだな。よく帰ってきてくれた騎士殿。先生から話は聞いたか?」
首肯する。
先生、とは青い彼女のことだ。彼女はこの村の子供を家に呼んで勉学を教えていることから、カルムの皆からは先生と呼ばれている。
「良し、話が早ぇな。魔獣が来たのは昼過ぎのことだ。ちょうど、畑仕事に出たばかりの奴らが戻って来たから何事かと思ったぜ」
「被害は出ていませんか」
「おう、気づくのが早かった。皆戻ったのを確認して、先生が村全体に魔法をかけた。ホント、先生には頭が上がらねぇや」
同意だ。
話から考えるに、彼女は昼過ぎからずっとあの場にいた。外部の何者にも見つからないように身を潜めながら。無論、狼の魔獣もやって来たはずだ。それにも関わらず、彼女はやり過ごしてずっとあそこで見張りをしている。
魔法を解いてしまった、今尚だ。
もう一度廃墟の風景にならないところを見るに、少なくとも連続で使用することは出来ないらしい。それか、同じ場所には風景を貼り付けることが出来ないか。
それを考えると、長鎗の彼女を呼んでくるよう頼んだのは、見張りを託すためなのかもしれない。あの場にいて、まだ何か出来る事があるならば、また違う理由なのだろうが。
「申し訳ありません、私がいないときに」
言うと、村長は燕のように首をかしげた。
「あん? 騎士殿は何も悪かねぇだろ」
「騎士であるにも関わらず、私は何も出来ていません」
この答えに、村長は肺を空にするほど深い息をついた。
「騎士殿は上に呼ばれて行ったんじゃあねぇか。そりゃあ、騎士殿がいたほうが良かったが、無理なもんはしゃあねぇだろ。そこにねぇものに頼むほど、オレらも腑抜けちゃいねぇ」
ですが、そう言おうとして言葉に詰まる。たしかに村長の言っていることは最もだ。私は呼ばれて湿地帯へ出向いていた。その間に起きたことはどうしようもない。
私は自分の云おうとしていることが無駄であることに、思わず躊躇した。
「騎士殿には守護してもらわなけりゃなんねぇ。魔獣の討伐直後で疲れてるところ悪ぃがよ」
問うその顔つきは、表情を消した声だった。
「もちろんです」
問題ない。
昨夜は撤退作業で徹夜ではあったが、一昨日は眠れているのだ。二度程度の完徹ならば幾度も経験がある。
それに、仮に明日からでいいと言われても、この緊張の中で警戒心など抜けない。しっかり休むことなど出来ないだろう。
「先生はどうしてる? リーデが魔法が消えてることに気付いた瞬間出て行ったが」
恐らく魔法が解けたことを察した長鎗の彼女が、私が訪ねるその前に青い彼女の元へ向かったのだろう。
「リーデ様を呼ぶよう仰っていましたが、その件でしょうか」
「先生が? なるほど、手が早ぇ」
顎を指に乗せて、一瞬考えるような仕草。
そして内情を察して、腑に落ちたらしい。
頼まれた件はこれで解決してしまったと言っていいだろう。ならば自分がすべきことは何か。
一旦ロラの家に戻るべきなのは変わらない。ただ、入り口にはあの驚異的な存在の警戒に対して、長鎗の彼女一人である。先ほどまでは魔法で誤魔化していたが、それも自分に証明するために解いてしまった。
長鎗の彼女を信用していないわけではない。だが、果たしてまた襲撃したとき、彼女一人で対抗出来るのか。
「私もリーデ様と門番に立ったほうがよろしいのではないでしょうか」
考えると、そこに至る。
「あぁ、俺もそうしてくれと頼むところだった」
「承知致しました」
同意を示す頷き。
ロラのことは心配ではあるが、予定通り動くことにしよう。
「一度だけロラの家に戻らせて頂けませんか。すぐに入り口へ向かいますので」
対して、村長は「おう」と短く答えた。
それに一礼して感謝を伝えると、そうして私は村長の家を出るため、彼に背を向けた。
「しかし何で忘れてたんだろうね、俺も含めて」
その独り言が気になって、足を止めて振り向く。
「何を、でしょうか」
「あぁ。狼の魔獣のことだ。あれは俺がまだガキのときに一度、この村を襲った厄災だ」