「……どういう、ことでございましょうか」
その村長の言葉を、ほんの一瞬だけ理解出来なかった。ゆえに、そう反射的に返してしまう。
まさか状況を汲み入れるに、場を和ます冗談ではあるまい。
村長が子供の頃というには何十年も前の話だろう。たしかに、何気ない事ならば、忘れるには十分な年月である。だがしかし、忘れていたと言うには無理な内容だ。
「いや、違ぇな。なんでこんなに曖昧なんだ? 俺が騎士殿くらいの歳にも来たか」
苦虫を噛み潰したような、苦々しげな思いが皺や歪みになって顔に出ている。
曖昧なのにはきっと理由があるはずだ。
例えば、それは思い出したくない記憶で、自衛のために自分の奥底に仕舞いこんでしまったか。
或いは。
そんな魔法が存在するのか。
いや、よく分からない事象を、何でも魔法のせいにするのは思考の放棄だろうか。
「この村には俺やラヴァーグなんかよりも上の世代、つまり爺さんがあまりいねぇのには気付いたか騎士殿」
思い起こす。
この村の年齢層を。
いるにはいる。
ただ本当に、村長や副村長よりも一回り上の男性たちを、あまり見かけない。比率的に言えば、ロラや長鎗の彼女と世代、つまり若者が多いだろうか。
それもよく分からない。
ただ、少し考えると事の理由が氷のように透きとおって、私の前の前に立ち並んで見えた。
「……まさか」
「あぁ。俺の爺さんやその世代はその命と引き換えに魔獣を追っ払ったのさ。俺がここの村長をやってんのは、俺らよりも年寄りがほとんどいねぇからだ」
なるほど。
兵士時代に、村を駐屯地として利用する機会が何度かあったことを想起して。たしかに、村の長として存在していたのは、少なくともここの村長よりも年齢を重ねた者ばかりであった。恐らくはそういうものなのだろう。
能力があるがゆえに村長として君臨しているのかと思っていたが、まさかそんな酷な理由があろうとは。
「……村長や副村長よりも、ロラやリーデ様のような私と同じ年代の者が多いのも、似た理由でしょうか」
「おう。あのときも多く犠牲が出た。俺らの中でなんで俺が村長をやってるかってぇと、最終的に追っ払ったのが俺だからだ。まあ、押し付けられたってこった」
噛み締めた唇が、後悔の表情と共に震えている。
無論、村長という役目を押し付けられたことにではなく、犠牲が数多く出たことに対してだろう。ただ私個人としては、最終的な功労者が上の地位に就くのは、至極全うな流れだと思える。
本人が押し付けられたと言うからには、誰かに推されたということだろう。それだけで、戦果が正当に評価されたことを物語っている。
しかし、俺を含めて。
その言葉を考えるに、当時戦いに参加した者は悉く忘れていたと見て取れる。いくら凄惨な結果であったといえど、皆が皆心の内に仕舞いこんで忘却してしまったとは考えにくい。
二度も機会があったにも関わらずだ。
従って、特別な事情があると絡んでいると考慮するべきだろう。限りなくその可能性が高いが、原因が魔獣であるかは、まだ判断出来ない。
「二回とも追い返せてるじゃねぇか、って思うか?」
ひどく神妙な顔つき。
村長が言っているのは、今までの襲撃も防げているのだから今回も抵抗すべきだったどうか、ということだろう。たしかに、その問いに対し首を縦に振る余地はある。
実際、自警団の面子は優秀だ。
実力のある者と、特別製の武器を創造出来る鍛冶師。討伐までは至らなくとも、再び追い返すことが出来る可能性は大いにある。
しかし、私はそれに「いいえ」と答えた。
「二度とも多く犠牲が出たと仰りました。多少は仕方がないと思います。ですが、戦闘を回避できるのならそのほうがいいかと」
快活な表情で。
自分の判断は間違っていなかったと、納得したように。
「あぁ、俺もそう思った。自警団の何人かは打って出るべきだって主張してたがな」
「その主張も、間違ってはいないと思います」
「俺も間違っちゃいねぇと思うぜ。ただ、先生が先に動いてくれたからな。戦わなくていいならそれに越したことはねぇよ」
同意する。
ここは人の営みがある場所だ。
戦場ではない。
私一人であったなら、討伐に赴いていただろう。自警団の何人かも、この村を護る意思が強いゆえに打って出るべきだと主張した。それは、巨躯の彼から見えた意地がそう思わせる。
しかし、その彼らも自衛しているとはいえ、村人であって兵士ではない。私が護るべき対象なのだ。
おいそれと命を賭させるわけにはいかない。村長の判断は、決して間違ってはいないと私は思う。
「……ですが、ヴィルヘルミナ様の魔法は解けてしまっています」
「あぁ、先生が言うには、あの魔法は同じ場所にかけることが出来ねぇ」
その原因を作ったのは、私だ。
私にこの村はまだ無事だと証明するために、魔法を解除してしまった。自分の痛い何処かを、覗き込まれているような罪悪感。
報告した際は、村長は仕方がないと言ったがやはり後ろめたさが残る。
「だからもう、次にあいつが来たときは戦うしかねぇ」
恐ろしく厳粛した顔。
圧倒的不利な状況の戦争へ赴く兵士の、それでも諦めてはいない眼をしている。
そういう表情が出来るからこそ、彼は村長足る存在なのだろう。ならば、騎士で在る私はそれに応える義務がある。
一度目とも、そして二度目とも恐らく状況は違う。だが、そのニ度とも押し返しているのだ。
絶対ではないが、その事実が私にわずかばかり安堵感を与える。あの圧倒的な存在を相手取ることは、不可能ではないのだと。