まるで拷問部屋から解放されたかのような気分だった。恐ろしい悲劇が遠退いた時が如く、安堵の情が胸を浸す。
「お父様!」
地響きのような足音が辺りに木霊したと同時、村長が頽れる。糸を切られた操り人形みたいに倒れ込んで、途端に長鎗の彼女が弾けるように駆け出した。
魔獣が遠ざかっていく音で、緊張が弛んだのだろう。今まで立っていたのが嘘のように、うつ伏せにどうと倒れるなり動かない。心配に濃い色が加わり、何となく肩が重くなる。いいや大丈夫だろうと思いながら、何かに追いすがられるようだった。
後ろから追いつくと、長鎗の彼女が村長の意識を引っ張り上げるように肩を揺する。そのおかげか何とか自我を保てているようだが、表情は引きつったような微笑で、口は半開きだった。
「はっ、情けねぇ」
自分を嗤う。
何が、と私は返した。
「仕留めきれなかったくせにこの様だ」
空になった酒瓶を回すような、空虚な含み笑い。改めて、口の隅に歪みを作る。それは自らへの呆れとも、皮肉な痙攣とも思えた。
「いいえ、そんなことはございません。少なくとも私よりも立派に、この村の守護を果たされました。むしろ、情けないのは私のほうでございます」
言った通り、私は攻撃を防いだだけだ。それで村への破壊が防がれたと言うと聞こえはいいが、実際に追い払うに至ったのは村長の一撃である。私は魔獣に対し、特に何もしていない。
騎士として、あまりに不甲斐ないように思う。
「んなこたぁねぇ、何も斃すだけが騎士じゃねぇだろ」
「お父様の言う通りです、村を護るのが騎士の役目なのでしょう。なら、騎士様は立派に役目を果たしていますよ」
ですが。
そう言いかけて、咽喉へ引っ込める。私は騎士であるにも関わらず、攻撃する役目を他の者に任せてしまった。もし村長が不在であった場合、私は一人では対処出来なかっただろう。
彼らは自分でも防衛の意識がある。だから護りきることが出来た。これがもし、防衛を騎士一人に頼る現場であった場合、魔獣の進行は塞き止められなかったに違いない。
その点で、私は役目を完璧に果たせてはいないと思う。
二人の言葉は労りだ。優しい目をしている。哀れまれている気すらした。ロラがよく持っている、慈愛に満ちた目。それに二人の言うことは間違いではない。だからその双眸に、反対など出来なかった。
「……いえ、お二人もお疲れ様でございました」
大剣を鞘に収める。
長鎗の彼女が口を微かに開いて、何かを言おうとした。労いの言葉に対して生まれる言葉は、しかし。紡がれる前に、閉じられてしまった。
「悪ぃが立てねぇんだ。適当に男手を連れてきてくれないか」
その微妙な間を埋めるかのように、村長が顔に苦しい微笑を凝らせる。
たしかに、成人男性でかつしっかりとした体つきの村長を、細見の彼女が運べるかと言ったら疑わしい。
「お任せを」
両手で抱えるように持ち上げる。
重荷を背負いながら山を往かされたときのことを思い出せば、思ったよりは重くないというのが所感だ。生きている人間は運んだことがないが、これなら何とかなりそうである。
「おいおい騎士殿?」
瞠目という表情。何に対しての驚きなのか、まるで分からなかった。私が村長の体を持ち上げて運んでいる、ということに対してであればまあそういう女もいるだろうという話である。
「騎士様、それはちょっと」
彼女も異様な微笑を眼の下に引き攣らせながら、依然として普段と同じ口調で続ける。
今までにも大剣を振りまわしている場面は見ているはずなのだが、村長を持ちあげることがそんなに衝撃的なことなのだろうか。
「すまん騎士殿。持ち上げられるのは分かったから、一旦置いてくれねぇか」
「いえ、これくらいなら」
肩を叩かれる。
そして囁き声が、蘆の葉に渡る葉のように流れてきた。
「騎士様。流石にお父様もいい歳なので、騎士様くらいの年頃の子にお姫様抱っこされるのは面子に関わると言いますか」
外国語のような言葉だった。
いい年の男性が、私くらいの女に運ばれるからなんだというのだろう。この程度で、体面が汚れるというのか。
よく分からない。
それにお姫様抱っことは、もしかして両手で掲げ持つことを言うのだろうか。フリストレールの姫君は、こうして運ばれていくのか。あまり意味があるとは思えないが。
ただ、村長の眉は顰められてひどく憂鬱な表情をしているのは事実だ。そのため、一割も理解出来ないが、ゆっくりと村長を降ろす。
「誰か!」
長鎗の彼女の振り絞る声が、昼の空気を切り裂くように響く。
あまり進んでいない。呼びかけに反応した自警団の一人がこちらに着くよりも、私があちらに運んだほうが明らかに早いように思う。ただ、私は運ばないほうがいいらしい。そのため、ここは黙って彼の到着を待つことにする。