「実はお父様に効く治療液がないか聞きに来たんです」
たしかに懸念ではあった。
私が付き添ったところで何の意味もないため、すぐに家に戻ったのだが、村長はどうなったのだろうかと。気だるさなど、彼が腕を失ったことに比べれば些細なことだ。
「村長は、どうなったのですか」
「幸いと言っていいのかは分かりませんが、傷跡は焼き切られていました。なのでいま、先生に痛みを誤魔化す魔法を使用してもらっています」
いわゆる麻酔状態。私は必要な状況になったことはないが、薬物の接種などで感覚や意識を喪失させるものだったか。今回は縫う必要がないため、どちらかと言えば鎮痛という意味の魔法だろう。薬よりは即効性のある手段だ。
「いまは布で覆っていますが、どうにかするならロラさんのほうがいいと先生がおっしゃったので窺ったわけなのですが……」
困った顔のまま、愛想笑いを浮かべる。
その表情には、恐らくロラがいないことにより悩みが増えたという意が内包されていた。単に村長を診てもらえないということ、そして、こんなときにどこへ行ってしまったのかという点だろう。
本人にも、魔獣は撃退したが未だ警戒体勢ではあるという話はした。それなのに、ロラは出かけてしまったのだ。
「門番には話を聞きましたでしょうか」
それに、彼女は否、と首を振った。
いくつか、ロラの行くあてには覚えがある。だがしかし、長鎗の彼女ならば既にそのあてには気付いていることだろう。家を訪ねてきたということは、まだ本格的に探し始めてはいないということなのだろうが。
とはいえまたいつ魔獣が戻ってくるか、という状況だ。杞憂は取り除いておいたほうがいい。
自分も探す旨を伝えると、長鎗の彼女はなら分かれて探したほうが効率的だろうと提案し、私はそれに首肯した。
頭にその可能性は残しておかねばならないとは思うが、門番の目を搔い潜り外に出たとは考えづらい。なにせこの時刻だ。陽はほとんど失せかけ、空は海を潜っていくかのように暗くなっていく。そんな時刻に外に出れば危険であることくらい、ロラも分かっているはずだ。
ただどうしても、その可能性が脳裏をよぎってしまう。なにせ、魔獣の話をしたのは自分なのだ。記憶はないはずで、関わる必要もないのに。何故、今日に限って敵対相手のことに耳を傾けたのだろうと。
「……心当たりがあるのですか」
歩き出さない私を見て、長鎗の彼女が声をかける。不思議がるのは当然の流れだろう。
「いえ、どうしても悪い可能性が頭をよぎってしまって」
「悪い可能性、ですか?」
答えようとして、しかし私は自分が云おうとしていることに一瞬躊躇した。もしかすると悪手だったのではないか、という報告をするときは毎回長鎗の彼女である気がしたからだ。
それにより叱責されたことなど一度もないし、失敗だと言われたこともない。ただ、なら必要ないと捨てられ見放されることが何より、自分の生きている意味の消失のように恐ろしく思う。
ただ、もしそうであった場合。躊躇している余裕はないように思われる。なので私は、崖先に立つような気持ちで今までの事を長鎗の彼女に伝えた。
魔獣が仇である可能性があること、そしてそれを口にしてしまったこと。そして先刻、魔獣に深手を負わせたのちに逃げて行ったことを伝えた話。それら全て。
長槍の彼女は、呆れたように棒のように立ちながら私の告白を聞いていた。
そして、嘆かわしげに吐息を漏らす。
「……恐らく、騎士様の口が軽い、わけではないのでしょうね」
兵士であった頃の、報告しなければならないという精神。それにいつも口の動くロラが沈黙している場面を、ここのところ見るようになった。どうしてか、私は知らず何か口にしなければという心持ちになっていたのだ。
不必要な事など、今まで口になどしなかったのに。
心の呵責が渦を巻く。
とはいえ私の話の引き出しなど皆無に等しい。業務の話題に行きつくのは必然だったのだ。どうせロラにとって私の話なんてつまらない話だと、覚えていても仕方のない話だと思いながら喋っていた。それらに反応しながら、内容は流しているものだと思っていたのだ。
しかし。ロラはそれらを覚えていた。
何のために?
それだけが不可解だ。魔獣のことは覚えていないはずなのに、私の話から何を感じ取り、そして何故いなくなったのか。
胸をえぐられるような自責を感じながらも、私にはそれが分からない。
ロラは一定の責任感と村を思う気持ちはあれど、無茶な行動はしないはずだ。なにより、彼女は戦闘要員ではない。
これは戦うための魔法ではない、そう言ったのはロラ自身である。
「分かっています、ロラさんは自警団ではありませんから。ですが、もしかしたらの可能性があったのなら話すべきではありませんでした」
「……仰る通りでございます」
「どうしてですか、騎士様。普段のあなたなら、話す必要性はないと言いそうなことです」
普段のあなたなら、という響きが胸に突き刺さり、鼓動が早くなる。それは私が、冷静な判断が出来ていないということだ。
余計な話をするべきではなかったと。なぜそんなことをしたのかと後悔するほどである。
唇を軽く噛み考えを巡らせていく。
兵士であったときならば謝罪し、殴られ蹴られ、そして罵倒されるだけでよかった。
何故、と問われると分からない。苦しい、まるで溺死していくようだ。
「ロラはここのところ口数が少なく、それで、どうしてかそれではいけないと思い」
それでも考えを纏めるように、ぽつぽつと口に出していく。
「どうして、いけないと思ったのですか?」
真綿で首を絞められているようだ。勝ち目のない理詰めで、ただただ思考を剝き出しにされていく。
「本当に、ここ数日の事です。ですが笑わない日もあり、不安に思いました。いつもにこにことしている方が、笑顔でいないことが」
愛想笑いばかりしていて、突如怒り出す者なら過去に幾度も見たことがある。ただロラのそれは、そんなものとは違う何かだ。どうして彼女が笑顔でないことに不安を覚えたのか。
自分では分からないのだ。
「あぁ、なるほど。そういうことですか」
分かったように、謎の微笑を唇に漂わせる。
「簡単じゃないですか。騎士様の中で、ロラさんの存在がそれくらい大きいものになった、ということです」
「……私には分からないのです」
私の中で大きなもの、それはいかに穏便に生きるか。そして速やかに戦争を終焉へと導くことだった。義務感でも愛国心でもない。考えていなければいけないことが、その二つだったのだ。
しかし長鎗の彼女が言っているのは、きっとそういうことではないのだろう。
「ロラが、リーデ様が。私の中でどんな存在なのか。上手く、言葉が見つけられないのです」
今までにないくらい、彼女は優しく微笑む。その微笑はきっと、私が分からないことを憐れんでいるのではなく、ただ母性的に見えて、自分はつい顔を背けてしまった。
私は今まで打ち付けられてきた薄笑いに対して、倒れないように、気づかないようにするのが精いっぱいだったのだ。その一つ一つは刃のような冷笑で。なので、長鎗の彼女のように、カルムの者たちみたいに、ただ自分一人に優しく微笑む人に対して、どんな風に返したらいいのか分からなかった。
「思っていることを正直に言えばいい。私はともかく、ロラさんにはそのほうがいいかと」
再認識したばかりだった。私はこの国では主張してはならず、何に対しても抵抗してはならない異物のような存在。先日の湿地帯で改めて。だがそうだ、この場所にいたっては、私は人なのだ。
「赦されるのでしょうか」
「赦されるもなにも。初めから、禁じられてなどいませんよ、騎士様」
今まで意識すらしなかったことだった。
一つ一つの行動に、言動に、私は赦される必要があるのだと思っていたのに。そうしなくてはいけない、そうしなくては死ぬ可能性がある。自分から行動するのはそんなときだけ。
だがここでは、自分が決めていいのだと。
熱い。
悴んで感覚のなくなった手が、熱を帯びていくように。
どうして彼女たちの手(ことば)は、そんなにも温かいのだろう。
「話を戻しますね。ロラさんがどこへ行ったかですが、騎士様は話してしまった内容から考えると恐らく魔獣を追ったのだと思います」
真剣な面持ち。急に何かに憑りつかれたかのように、彼女は表情を引き締めた。
「……ですが、ロラは魔獣のことは覚えていない様でした」
「私には痛いほど分かります、仇である可能性が目の前に現れたときの心情が。だから、騎士様を騙してまで出て行った」
彼女がそれを普通であるかのように言ったとき、それが本気なのか、何度か顔を見直すくらいには妙な気持ちになった。
「ロラが、私を?」
言葉に出して疑う。
「はい。ですがロラさんを責めないでください。きっと、私もあの魔獣が現れたと聞いたら同じような行動を取ると思います」
例えるなら、上官に「お疲れ様、今日は休んでいいよ」と言われたような感覚。騙して出て行った、素直にその言葉を呑み込むことは出来ない。
嘘をつかない人間などいない。だが、騙した、ロラがその言葉に似つかわしくないと勝手に思っていたのだ。私の中でロラが大きな存在であるとは、そういうことかと、少しだけ分かった気がする。彼女ならそういうことはしないだろうというのが、心内のどこかにあったのだと。
「私には仇、というのが分かりません。現在を投げうってまで、討伐しに行く気持ちが」
「分からないほうがいいです、こんなものは。持つべきではないのです」
正確には、白髪として仇と言うべき者は判明した。だが憎いかと問われると、分からない。大臣という存在が、あまりにも遠すぎる存在なのだ。
恐らく自分が殺意を持っていたとしても、白い髪である時点で届くことはない。
それに仮に大臣を討伐して何になろう。地位や名誉が回復するわけでもない。従って、私には現状大臣を討伐する意思は起きていない。
だが彼女たちには、それでも仇敵を討とうという強い意思がある。
「なるほど。ですがそれは、忘却していない場合でございます。先刻の魔法が放たれた時、私はここにいませんでした」
「えぇ、それだけが疑問なのです。もしかすると本当に少し外出しているだけかも」