しれない。
恐らくはそう言おうとしたのだろう。風の向きが変わったかのように、彼女が押し黙ったのは、つまりは相応の理由がやって来たからに他ならない。
私はその相手には正午に会っている。それでも、彼女がここへやって来るなど完全に予想の範囲外だった。
「やっぱり。なんとなく、そうじゃないかって気がしていたわ」
先刻と変わらない服装。真剣とも冷やかとも言える、それらが複合してはっきりとしない顔つきで。
「どうして、クラリカさんがここへ来たのですか」
歌うたいがやって来た。 彼女は事情により軟禁状態にある。それでもこうして禁を犯してやって来たということは、余程に言うことがあってのことだろう。
それでも、勝手に出歩くという行為は見過ごせるわけではないが。
「直接言わなければと動かないと思って」
ただそんなことはお構いなしという風に、歌うたいは言う。
「約束違反ですよ、クラリカさん。この場は見逃しますから、早く家に戻りなさい」
「もちろんよ、言うことを言ったらすぐに戻るわ」
歌うたいはしっかりと目つきで私を見据えた。持っているランタンが風景を揺らめかせ、彼女の感情を覆い隠しているように感じる。
このタイミングで、言いたいことを言うためだけに禁を破ってまでする話があるとは思えないが。
「ロラのことよ。 簡単だわ、あの子の魔力はいまこの村の中では感じられない」
黒い疑惑が波濤の如く押し寄せる。
まるで今まで私たちの話を聞いていたかのような、都合のいい答えだ。
「どうして、分かるのですか」
「この家を起点にして、どんどん村から遠ざかっている魔力があるものだから、ロラしかいないと思って」
まるで作り話でも聞いているかのよう。仮に歌うたいの言うことが正しいなら、魔法使いはお互いに居場所を把握しているということになる。そしてそれは魔法使いを連行している国側にも同じことが言えるのではないだろうか。
だがこの場面で、そんな嘘をつく理由がないのもまた事実である。
「……それが本当という証拠は?」
「ないわ。あくまで私が分かるという話だから。信じられなければ信じなければいい」
途端に長鎗の彼女の双眸が蒼く赫奕する。
言葉が真実かを見極める、この場において最適解の魔眼。説得力を提示出来ないと言う彼女に対し、まるでこの時のために在ったよう。彼女がその力を使用するのには、納得のタイミングであった。
ただ、何か釈然としない。
彼女の言うことの真偽を確かめ、ロラを探す。それが正しい流れだと思う。
しかし、今までの話の流れを感じ。それでいいのかと若干の違和感がある。本当に、それでいいのかと。
「……お待ちください、リーデ様」
その違和感を飲み込むその前に。言葉が口から出ていた。
何故止めたのかは自分でも分からない。もしここで歌うたいに何か目論見があって、それを見逃すようなことがあっては取り返しがつかない。だがどうしてだろうか、何の確証もないのに、私は彼女の言葉が本当であるように思えるのだ。
歌うたいに対し、後ろめたい事情があるからではない。ただその言葉を、自然に飲み込める自分がいることに驚きすらある。
だがそれを言葉に出すほうが、私には恐ろしい。自分の予感のみで、歌うたいの言葉は正しいのではないかと主張しようとする自分のほうが。
「騎士様?」
長鎗の彼女からの呼びかけに、さっと思考を目の前に戻す。
私はつい先刻、嘘をつかれたばかりだというのに、何を思っているのだろう。
確証のない、自分の思考を破棄する。
自分はこの村を護る使命があるのだ。私の感情だけで同じ義務がある自警団、その一員である彼女を振り回してはいけない。
「失礼いたしました、リーデ様。真偽のほどはいかがでしたか」
落ち着き払ったような表情で、長鎗の彼女は私を眺めている。それは本当に落ち着いた、眼の輝きを止めた私にする表情とは思えなくらいの穏やかさだった。
「騎士様はどちらだとお思いですか」
よく分からない問いだった。
本当にロラが魔獣を追って出て行ってしまったのなら、流暢に私をからかって遊んでいる場合ではないはずなのに。
「リーデ様、今は戯れている場合ではないはずです」
「まあまあ。私の眼を遮ってまだ何か思う事があるのですよね? いえ、正確には輝いた時点でもう発動し終えているのですが」
それではなおさら、私に問う必要性はないように感じる。だがたしかに、私はその眼は止められると思って、彼女に話しかけた。何故と問われるのは道理だろう。
そして答える義務もある。
尋問室の席に座ったような、そんな心持ち。
「……私は、クラリカ様の言葉に嘘を感じなかったのです。どうしてかは分かりません。ですが、信じたほうがいい。そう思ったのです」
二人とも、瞼をぴくりとさせて目を見張っていた。
その表情が、焦りを生じさせる。まるで吊り橋で足を滑らせたような感覚は、私の感情がやはり間違えだったのだと思わせた。
「意外ね」
口を開いたのは歌うたいだった。
「いつものあなたなら、そんな不明瞭なこと言わないはずなのに」
本当に。
いつもの自分とは違う、という評価はきっと普段通りの判断が出来ていないということだろう。やはり、この感情は一時の誤りだったのだ。
「はい、これは嬉しいですね。『そう思ったのです』、きっとこれは騎士様の気持ちから出た言葉なんだと思います」
微笑ましく私を見るその顔が、一層混乱を加速させる。
私の気持ちから出た言葉、だからなんなのだろう。それは正解なのか間違った言葉なのだろうか。
まるで経過観察されているような彼女の言葉に、私は謎の何かに急き立てられるような焦燥と不安に包まれた。
「ですが、ええ。クラリカさんの言っていることは正しいです。この眼が、そう言ってます」
なんとなく、ほっとした気がする。
だが本当に、ますます彼女が私にどっちだと思うか、そう問うた意味がよく分からなくなった。
「だから、言っているでしょう。騎士様、あなたのその祝福は、もうこの家にまで及んでいる。だからロラは忘却から護られた。本当に出鱈目な祝福だわ」
挨拶であるかのように、重要な話を織り交ぜてくる。私自身だけでなく、周囲にまで浸食している。私に中にいると言うこれが判明するときが、果たして来るのだろうか。
では。
長鎗の彼女が話を折るように、手を叩く。
「外にいるのであればやることは一つです。騎士様、その人を家に送り届けてください」
思いがけない言葉だったため、一瞬声の出し方を忘れる。
「疲れていますよね、騎士様。それもとても。お母様に気付かれるくらいには」
突然心の臓を鷲掴みにされたような気持ちだった。私としては毅然としていたつもりで、不調は隠し通せているつもりでいたのだ。それが容易く見徹されていたということに、とても愕きを感じた。
「平気、です」
答えると、私を見徹すような、人に迫るような顔つき。実際、倦怠感は未だ残留しているが、動けないというほどではなかった。
「本当に、ですか」
恐らく本当と言っても、彼女ならば誤魔化そうとしていると即座に気付くだろう。
だがしかし。
私はどうしても、ロラを迎えに行かなければならない、そう思った。
「正直なところ、倦怠感はあります。ですが、行かせてください。行かねばならないと、私は思うのです」